13 僕は生きていても良いの?
ルネはその日はずっと馬車の中で塞ぎ込んで、何も話さなかった。
宿場町に到着して、素朴なスープとパンの夕食を淡々と口にし、与えられた部屋で大人しく眠る。時折ジローが声をかけてきたが、返事をする気分にはならなかった。
夜、いつもよりも固いベッドの中でルネは溜息をついた。
部屋の外、ドアの前には警護の騎士が立って中の物音に聞き耳を立てているだろうから、物音を立てる気にはならない。
けれど眠ることはできなかった。
目を閉じると、どこまでも深い暗闇が自分を捕まえにくるような心地がした。
精霊の祝福がこの国から消えてしまった原因が自分にあるという事実に、ルネは耐えられなかった。
弟たちの引き立て役。名前だけの第一王子。それだけじゃなく、国を滅ぼす元凶になってしまった。
(父上はこのことを知っているんだろうか……今度こそ、僕は見捨てられる……)
ベッドの暗闇の中で、ルネは声を押し殺して涙を流した。
そっと体を横むけると枕に顔を押し付ける。抑えきれない涙が、枕を濡らしてゆく。
(僕がいなければ……僕がいなければ、国は平和なままだった……僕は生まれなかった方が良かったんだ……)
ぎ、と床板の軋む音がして、ルネは息を呑んでじっとする。暗闇の中、足音はルネの部屋に近づいていた。
落ちる涙をそのままに、嗚咽を漏らさないように唇を引き結んでいると、部屋の前で警護の騎士が「導師様」と言う声が聞こえた。
(導師さま……どうして、こんな時間に……?)
みじろぎもせずにいるうちに、部屋のドアが控えめにノックされる。何も応えずにいれば、その音はしばらく続き、やがて止んだ。
「ルネ王子、すみません、入りますよ」
ジローの声が聞こえて、ドアが開く。
(どうして? どうして?)
ルネが混乱しているうちに、開いたドアからランタンの明かりが差し込まれた。
その眩しさに目をすがめているうちに、ジローは部屋の中に入ってきた。
「ルネ王子……精霊たちの様子がいつもと違って……何かあったのかと心配で……」
言い訳のように、ジローは早口で言った。
「な、何もな……」
泣き顔を隠さないと、と思いついた時にはもう遅かった。ジローと目が合って、ジローは痛ましそうな表情で、ルネを見ていた。
(あ、ああ……)
そしてルネは、昼間にジローが差し伸べた手を払ってしまったことを思い出した。
(導師さまだって、僕のことなんかもう見捨てるかもしれない……)
新しい世界に導いてくれたジロー。そのジローの手を、一時の感情で振り払ってしまった。
それは恐怖だった。たったひとり、自分が一番になれると認めてくれた人だったのに。自分に期待してくれた人だったのに。
(僕は自分でそれを手放してしまった……)
ルネは、暗闇の底に落ちてゆくような心地がした。
青ざめた顔で泣き腫らした目をしたルネに、ジローは近づいてきた。精霊の光が見えるのか、一度ルネの周囲を見回してから、またルネを見る。
「泣いて、いたんですね……すみません、俺のせいで」
ジローの言葉に、ルネは大きく首を振る。まなじりに溜まっていた涙が、真珠のように飛び散った。
「導師さまは悪くない。悪いのは僕なんだ。僕が……僕なんかが、生まれてこなければ良かったんだ」
「それは違う!」
ジローはランタンをサイドテーブルに置いて、ルネのベッドに腰をおろした。そして、ルネに顔を向ける。
「俺はルネ王子がいてくれて、嬉しいです」
「どうして……?」
青ざめた唇で、ルネは呟く。ジローはルネの顔を覗き込んで微笑んだ。
「俺は、アイドルが好きです。そしてルネ王子はアイドルです。俺の……アイドルを推したいという夢を叶えてくれる存在なんです」
「でも……それは……導師さまが僕をアイドルにしてくれたんだ。なんの価値もない僕に価値をくれたのは、導師さまだ」
「違います。その価値は、アイドルとしての素質は、ルネ王子が元々持っていたものです。俺はそれを見つけただけ。俺は、ルネ王子を見つけることができて、すごく嬉しかったんだ」
気づけば、ジローの頬にも涙が流れていた。
「導師さま……」
「ルネ王子がアイドルとして輝くたびに、俺は嬉しかった。俺はまた、アイドルを推せることが、本当に嬉しくて……それが、ルネ王子、あなたがいてくれて本当に良かったって……」
ジローの言葉はそこで途切れた。あとは、静かに泣く小さな嗚咽の音だけがしていた。
「導師さまは……僕に価値があるって言うの? 精霊の祝福が失くなった原因は僕なんでしょう? だったら僕がこの国を滅ぼしてるようなものじゃないか。それでも僕は生きていて良いの?」
ジローは泣きながらルネを見る。小さく鼻をすすりあげて、頷いた。涙を流しながら笑って、変な表情になっていたけれど、ルネはその笑顔から目がそらせなかった。
「当たり前です。あなたは世界を救うアイドルです」
「世界を……救う……僕が……?」
「そう。国を滅ぼすんじゃない、救うんです。あなたはアイドルだ。どうしようもなく魅力的で、精霊すら惹きつける、強力なアイドルなんだ。その魅力で世界すら救う。
だから、お願いです、アイドルを続けてください」
ルネは長いまつ毛を何度か瞬かせた。止まったと思った涙が、また溢れてきて仕方なかった。
「僕は……生きていて良い。この国を……救うアイドル……」
「はい。それこそトップアイドルです」
「……うん」
ルネは手を伸ばして、ジローの服にしがみついた。そして、声を漏らして泣いた。
「うん……ありがとう、導師さま。僕に生きる意味をくれて、僕に価値を教えてくれて、ありがとう」
「いえ、俺の方が……ルネ王子に、アイドルに、いつも希望をもらっているんです。だから、お礼を言うのは俺の方です」
「ううん、それでもありがとう。導師さま、僕、アイドル頑張るから。だから、ずっと見守っていてね」
「それはもちろん。一緒に頑張って、トップアイドルになりましょう」
ルネが泣くだけ泣いて落ち着くと、二人は顔を見合わせて笑い合った。
そして、ジローはランタンを持って部屋を出る。静かな夜らしく、静かに動く。
「導師さま、ありがとう。おやすみなさい」
「こちらこそ。また明日からよろしくお願いします」
ジローは微笑んで部屋を出た。
ルネは微笑んでジローを見送った。
ルネはもう泣かずに、眠りに落ちることができた。落ちてゆくような暗闇も、もう怖くはなかった。
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