ケーリ所長
数日後。強い日差しのあたるイコロアポイント収容所。
広場に日よけのテントが張ってあり、中に簡易机が置いてある。6人の捕虜が回りに座っていて、ドナルドも座っている。オオムラがコップを持って何かを飲む。困ったような顔で飲み終わる。
「ニガーイ」
みな笑う。ドナルドも笑う。
「あれ? 東京外国語学校ではコーヒー飲まなかったの?」
オオムラが苦そうに笑う。
「以前は飲んだみたいだけど、我々の頃はなかったんですよ。「敵国飲料」とか言われて」
ドナルドが尋ねる。
「苦いけど、美味しくない?」
オオムラが苦々しげに答える。
「おいしいかなー? これ、ほんとに本に書いてあったコーヒーってもの? ドナルドさん、ボクらをダマしてるんじゃないの?」
ドナルドが大きく笑う。
「ダマしてないよー。ホントだよー。ロサンゼルス行ったって、ニューヨーク行ったって、コーヒー頼んだらこれが出てくるよ」
他の捕虜が言う。
「どれどれ、オレにも飲ませてくれ」
ドナルドが制す。
「待って、待って。みんなの分はちゃんと用意してあります。いま持ってくるから、オオムラさん、手伝って」
ドナルドとオオムラがテントを出て兵舎に入り、それぞれ3つづつお盆にコーヒーを載せて出てくる。テントの方に歩き出すと、すぐ左の方に敵意を持った顔で睨んでいる捕虜が5人座っていることに気づく。ドナルドが英語でオオムラに話しかける。
「オオムラさん、なんか、あの人たち睨んでるね」
オオムラが睨んでいる捕虜たちを一瞥して英語で答える。
「気になさらないで、気になさらないで、いまだに日本軍の勝利を信じてるおめでたい方々もいらっしゃるなり」
ドナルドがビックリする。
「へー。そんなんいるの? 極限状態でちょっとおかしくなっちゃったのかな?」
オオムラが言う。
「おかしいと言えばおかしいのですが、病気とかではなくて、考え方がおかしくて候。合理的な思考ができず候」
ドナルドが感嘆する。
「へぇー。オオムラさんたちも色々大変でしょ?」
オオムラが言う。
「えぇ、まぁ。どこでもあーゆー皆さんがいらっしゃるので、困り申し候。ケーリ所長も大変でしょう」
ドナルドが止まる。
「えっ! オーティスは所長なの?」
ホノルルの繁華街。夜になってにぎわっている。賑わいの一角に中華料理の店がある。中ではドナルドとオーティスと数人が円卓を囲んでいる。ドナルドが笑いながら言う。
「一緒の家に住んでんのに、何で言わないんだよ」
オーティスが笑う。
「ゴメン、ゴメン、何だか照れくさくてさ」
円卓を囲んでいるリリィも笑う。
「なーに言ってんの。ヘンな人」
円卓を囲んでいるジョージおじちゃまも笑う。
「でもさ、いいことじゃないか。捕虜収容所も所長の方針によって色々変わってくるらしいから、日本生まれのオーティスくんがやってくれれば、捕虜にとってもいいことだろ」
円卓を囲んでいるマリーおばちゃまがうなづく。
「ほんとそうね。おめでたいわ。がんばってね」
オーティスが居住まいを正す。
「ボクにとっては懐かしい故郷の人たちだから、戦争が終わったあとの新しい日本に役立つ人がたくさん出るよう、がんばりたいと思います」
リリィとドナルドがはやしたてる。
「よー!」
「所長ー!」
ジョージおじちゃまがしみじみと言う。
「でもさ、大変だろー。頭の固いのがいて」
オーティスがにこやかに答える。
「いますねー。「いまに神風が吹く」なーんて言ってるがいますよ。それが日本のアイビーリーグ出た学徒兵ですからね。頭はいいんだろうに、何でそーゆー結論に至るんですかね?」
ドナルドが同意する。
「困ったもんだよねー。教育の成果なんだろうな。教育って恐ろしいよ」
オーティスが言う。
「そいえば、明日からガダルカナルの人たちが到着するらしいよ」
リリィが言う。
「ガダルカナルって、食べ物がなくて大変だったらしいね。飢える島「飢島」って呼ばれてたんでしょ?」
オーティスが憤る。
「補給のこと考えないで、兵隊をみんな飢え死にさせるなんて、日本軍の上の方が何考えてんのかね? 計算ができないのかね?」
ジョージおじちゃまが言う。
「ここだけの話なんだけどな、数ヶ月前に日本軍の暗号は全部解読されたんだよ」
リリィもドナルドもオーティスも思いっきりビックリして声を失う。ジョージおじちゃまが続ける。
「ここだけの話だぞ。アーリントンにな、軍の仕事をする女性達が何万人も集まった施設があってな、そこで何千人も暗号解読に従事して、ついに日本軍の暗号を解読したらしい」
リリィが喜色を浮かべる。
「女性がそんな活躍を!」
ジョージおじちゃまが笑顔でうなづく。
「日本軍の補給船の位置も丸わかりらしい」
ドナルドもオーティスも思いっきりビックリして声を失なったまま。ジョージおじちゃまが続ける。
「だから、日本軍の補給船は8割方沈められてるんだ。日本軍の名誉のために言うとさ、太平洋の島々に日本軍は補給しないんじゃないんだ。補給できないんだよ」
ドナルドがビックリしながら、声をふりしぼる。
「日本とアメリカじゃ国力に10倍以上差があるのに、暗号まで解読されてるんじゃぁ、勝負になりませんね」
ジョージおじちゃまがうなづく。
「まったくその通り。日本は、なんでこんな戦争をやってるのか、なんで暗号を解読されたことさえわからないのか、、、」
リリィが尋ねる。
「所長、教えてよ。日本軍て何であんなにヘンなの?」
オーティスが困る。
「うーん、、、ボクの知ってる日本人はまともな人ばっかりだったけどなー。なんであんなヘンなことになってるのか、、、ドナルド、ガダルカナルから捕虜が来たら聞いてみてくれよ」
ドナルドがうなづく。リリィが口をとがらせる。
「ちょっとー、あたぃにもやらせてよー。所長になったんだから、楽勝でしょー」
オーティスが困る。
「いや、あのね、所長になってからも上にあげてみたんだけど、やっぱりダメなんだよ」
リリィが口をとがらせたまま。
「おじちゃまー、何とかしてよー」
ジョージおじちゃまも困る。
「うーん、ま、海軍も陸軍も女性の扱いに慣れてないからなー。それに、、、」
ジョージおじちゃまが言い淀んでいる。リリィがせかす。
「なに?」
ジョージおじちゃまが困ったようにリリィを見る。
「うーん、ま、よっぽど強力なストップがどっかからかかってんだろーなー」
メリーおばちゃまが言う。
「あなたがストップを外してあげればいいじゃない」
ジョージおじちゃま、一層困る。
「うーん、でもさー、女性士官て今までいなかったしさー、ロイもうるさいしさー」
リリィが首を振りながら鋭く言う。
「おじちゃま! しっ!」
ジョージおじちゃまと、口に手を当てる。メリーおばちゃまが笑いながら言う。
「ダメよ。あなた。ヒミツなんだからー」
オーティスが笑う。
「そーですか。そーですか。少将のような海軍の高官が何人かでストップかけてるんですか」
オーティス、リリィを見る。
「リリィ、これは難題だぞ。ボクみたいな下っ端が、何百回希望出しても通らないぞ」
リリィが膨れる。そんなリリィを見て、みんな笑う。
数日後。
イコロアポイント収容所にあたたかな陽光が降り注いでいる。
陽光は、取調室の中にも降り注いでいる。取調室には、ドナルドと日本人捕虜が向かい合って座っている。ドナルドは書類を閉じながら言う。
「はい。尋問は終わりです。ちょっと雑談しましょう」
捕虜は生気無くドナルドを見ている。ドナルドが尋ねる。
「えーと、オクダさん、マーシャル諸島のどこで戦ったの?」
オクダが無表情に答える。
「マロエラップ」
ドナルドが驚く。
「あぁ、なんかひどかったらしいね。どうだった?」
オクダが急に嫌悪むきだしの表情になる。
「どーもこーもないんでね。食い物がなくなって、みんな死んだ戦友の肉食ったんですよ」
ドナルドが驚愕する。
「えー! ヒドいねー」
オクダが吐き捨てるように言う。
「ほんとだよ。バカバカしい」
小さな窓から暖かな光が机の上を照らしている。ドナルドは驚愕のあまり少し黙り込む。
「それで、えーとー」
ドナルドは書類に目を落とす。
「あぁ、逃げてきたの? へー。日本軍の人には珍しいね」
オクダは自虐したような笑みをうかべる。
「友だちの肉を食って島で生き残るより、米軍に投降した方がいいと思ったまでです」
ドナルドが同情する。
「ほんとだよねー」
オクダは微笑して下を向く。少し間があって、下を向いたまま話出す。
「偉い奴らは下っ端を犠牲にして生きてる。下っ端は仲間の肉を狙ってる。戦うためじゃない。ただ生きたいという餓鬼道です。友だちの肉を食わないだけでも、捕虜の方がマシです。今はもう、スガスガしいような、解放されたような気分です」
ドナルドが言う。
「へー。わたし、ここで捕虜と何十人と話しましたけど、あなたのような人は初めてです。あなたは正しいです。その通りです」
オクダは顔をあげて笑う。
「よせやい。敵軍にほめられるとは思わなかったぜ」
ドナルドも笑う。
「ここの収容所の所長はボクの友だちなんだけど、よく言ってるよ。「捕虜になったら人間に戻るんだ。もう敵じゃないんだ」って。しかし、ソロモン諸島のガダルカナルとかマーシャル諸島は相当ひどかったんだねー」
オクダが苦笑する。
「ひどいなんてもんじゃないなー。はじめは椰子の実食べて、魚とって、草食べて、でも全然食い物が足りなくて、腹が減って腹が減ってしょーがなくなるとさ、人間でも食いたくなるんだよ」
ドナルドがビックリする。それを見てオクダが笑う。
「巡察に来た太った将校見て、「うまそうだな」って言ったヤツがあるんだけど、ほんとだよ。その通りだった。うまそうだった」
ドナルドが恐怖の表情で尋ねる。
「食べたんですか?」
オクダがシンミリした顔で答える。
「うん、、、防空壕の中でさ、いい匂いがするんだよ。「いい匂いだな。なんの匂いだろ?」と思ったら、ほら、犬もネズミも魚も食べ尽くしたあとだったから、そしたら「食え」って渡されて、とっても美味かったんだ」
ドナルドが食い入るように話を聞いている。オクダが続ける。
「「これ何だ?」って尋ねると、「本物だ」って言うんだ。「本物ってなんだ?」って尋ねるんだけど、なかなか言わないんだ。結局、死んだ戦友の肉だったんだ」
小さな窓から、ハワイの陽光が机の上にあたっている。ドナルドは驚愕の表情で固まっている。オクダは、照れたような笑みを浮かべている。
「そいつらさ、「オレが死んだら、オレの肉をお前が食え。お前が死んだらお前の肉をオレが食う」って話し合ってたんだって。それで相手が死んだから食ったんだって」
ドナルドは驚愕の表情で黙っている。オクダは、やはり照れたような笑みを浮かべている。
「俺たちは、そんなことまでして戦争しなきゃいけないのかね? 戦ってる兵隊に食い物も送れない軍隊なんて、愚かにもほどがあるだろ?」
ドナルドが深くうなづく。
「その通りです」
オクダがふと笑って外を見る。
「だから、もうバカバカしくなって、米軍に投降したんだ」
窓から、椰子の木がそよいでいるのが見える。
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