ハワイの香り
キスカ湾に係留されている少し変わった形の軽巡洋艦くらいの大きさの貨物船のような船の前にドナルドとオーティスが立っている。ドナルドが言う。
「真珠湾に帰れることになったのはいいけど、弾薬運搬船ってどうなのよ?」
オーティスがうなづく。
「ほんとだなぁ。だいじょぶかなぁ」
弾薬運搬船のタラップの上から、迎えの兵士が声をかける。
「ようこそ、いらっしゃい」
二人が重い足取りでタラップを上がっていき、オーティスが迎えの兵隊に声をかける。
「お手柔らかに頼むよ」
迎えの兵士が苦笑する。
「弾薬運搬船は不安ですか?」
オーティスがうなづく。
「うん。正直言うと」
迎えの兵士が気軽に言う。
「だいじょぶですよ。この船は脚が速いんです。それに、潜水艦がこの船を攻撃して、この船が爆発すると、その潜水艦まで巻き添えを食らうんです。だから、逃げていきます」
オーティスが真顔で言う。
「物騒な例えだなぁ」
3人で船内を歩いて、迎えの兵士が立ち止まってドアを開ける。
「こちらです」
ドナルドとオーティスが部屋をのぞき込むと、広い。この船の5倍も10倍も大きかった船艦ペンシルバニアの船室よりも広い。ドナルドが尋ねる。
「この部屋は何人で使うの?」
迎えの兵士が答える。
「2人です」
ドナルドとオーティス、黙って両手をあげて喜ぶ。迎えの兵士が微笑する。
「でも、この下には16インチの砲弾がたっくさんありますよ。気をつけてくださいね」
ドナルドとオーティス、両手をあげたまま固まる。迎えの兵士は、やっぱり微笑している。
「でも、温度を一定にして爆発を避けるためにエアコン完備なので、快適ですよ」
オーティスが尋ねる。
「どこ? どこ?」
迎えの兵士があちらの壁の下の方を指す。
「ほら、そこに吹き出し口が」
ドナルドが喜ぶ。
「あっ、ほんとだ」
ドナルドとオーティスが吹き出し口に寄っていって顔を近づける。ドナルドが感心する。
「スゴいなー、エアコン。大学の図書館で見て以来だー。エアコンを積んでる船なんてあるんだねー」
弾薬運搬船が大海原を軽快に走っている。ドナルドとオーティスが、甲板で海を眺めている。オーティスが海の向こうを指す。
「あぁ、見えてきた、見えてきた。あれ、ハワイだろ?」
ドナルドがうなづく。
「なんか、甘い香りが匂ってくるようだねー。アリューシャン列島は凍土しかなかったからなー」
オーティスが深くうなづく。
「大変だったなぁー」
真珠湾基地の一室で、ドナルドとオーティスが上司に報告している。上司が言う。
「よし。ご苦労。オーティス、報告が来てるぞ。お手柄だったそうじゃないか」
オーティスが照れ笑い。上司が続ける。
「きっと昇進とかあるぞ。ま、とりあえず、翻訳局はホノルルの方に移動したんだ。そこに向かって、指示を待ってくれ」
ホノルルの町中にある家具店。「一時休業」という看板がかかっている。その前に、海軍のジープが止まる。うしろに軍服姿のドナルドとオーティスが乗っている。オーティスが運転手の兵士に尋ねる。
「家具店じゃない。ここなの?」
運転手の兵士が答える。
「私にはわかりませんが、この地点を指示されました」
ドナルドとオーティスが降りながら言う。
「ありがとう」
「ありがとう」
海軍のジープが去って行く。ドナルドとオーティスはぼんやりと立って家具店の看板を見ている。オーティスが言う。
「ここなのかね?」
ドナルドが答える。
「うーん、ここなんだろうね」
少しの間二人がボンヤリ立っていると、中からドアを開けて軍服を着た年配の男が顔を出す。
「キミたち、軍服でナニしてんだ。さっさと中に入れ」
二人はビックリして中に入る。年配の男をドアを閉めながら言う。
「せっかくカムフラージュしてるのに」
オーティスが尋ねる。
「ここは海軍翻訳局?」
年配の男が、不機嫌そうに答える。
「いや、翻訳局だ」
オーティスが聞き返す。
「へ?」
年配の男が言う。
「海軍翻訳局じゃなく、米軍翻訳局だ。だから、陸軍の者もいるぞ」
ドナルドとオーティスが納得する。
「へー」
「へー」
年配の男が嘆く。
「まったく。海軍さんは真珠湾基地に日系人を入れたくないんだと。だからこんな面倒なことになってるんだよ」
夜になった。
リリィとドナルドとオーティスが一緒に住んでいるホノルルの一軒家に灯りがついている。
家の中では、3人掛けのソファーの真ん中にリリィ、右と左にドナルドとオーティスが座り、みんなウイスキーの入ったグラスを持っている。
ソファーの向かいには大きなレコードプレーヤーと大きなスピーカーが二つ。ベートーヴェンの5番が流れている。オーティスが言う。
「いいなぁ、音楽は」
ドナルドがうなづく。
「アッツ島はヒドいとこだったなぁ」
リリィが怒り出す。
「あんた達はいいわよ。戦場に出られて。あたしなんか、ずーっとホノルルなのよ」
オーティスが言う。
「ま、きっとおとーさんやおじーさんが手を回してるんだろ?」
ドナルドがうなづく。
「そりゃそうだ。可愛い可愛い娘や孫を戦地になんか送りたくないよー」
リリィがふくれる。
「それじゃー、海軍に入った意味ないじゃなーい」
オーティスが尋ねる。
「上には言ってみたの?」
リリィがふくれる。
「毎日言ってるわよ」
3人とも苦笑する。ドナルドが言う。
「でもさ、アッツとかキスカでは日本軍ヒドい状態だったよ。あれじゃ戦争にならないから、どんどん米軍が奪回するとこが増えるんじゃないかな?」
リリィが明るい顔になる。
「そう?」
ドナルドがうなづく。
「そしたら、日本語のできるボクらは引っ張りダコになるから、リリィもホノルルでのんびりしてるわけにはいかなくなるだろ?」
リリィ、うれしそう。
「そうかな。そうなるといいなー」
3人は、3人掛けのソファーにくっついて座りながら、ベートーベンの5番を聞いている。
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