大人の島

一日一作@ととり

大人の島

 これは室町という時代から戦国という時代に移り変わろうという頃の話だ。本州と四国の間にある瀬戸内海という海には大小様々な島があって、ところによっては島々が連なり、複雑な海流と豊かな魚介類と類まれな景色をもたらしている。島々には古くから人々が住み着き、村を作り、生活してきた。生活の基盤は漁業。わずかな土地では農耕も行われている。そんな瀬戸内の島々の中のある島に俺は生まれた。俺は親から雷平太(らいへいた)という名をつけてもらった。

 

 その日は、七月の嫌に晴れたとても暑い日だった。ここ数日というもの、雲ひとつない晴天が続き、そろそろ皆が飲み水の心配をする頃だった。俺は十三歳で、皆の心配などどこ吹く風、毎日のように悪ガキ仲間と遊びまわっていた。その頃、よく遊んでいたのがヒノエという男で、こいつも俺と同い年の十三歳だった。俺に輪をかけて悪ガキのヒノエは頭の回転が早く、大人たちが眉をひそめるようなことを思いついては、俺たちを巻き込んで悪戯三昧。いつも気の向くままに遊んでいた。ヒノエが思いついたロクでもない遊びの数々をいちいちここには記さないが、その日、彼が思いついたことは、いつもの遊びよりもずいぶんマシで、珍しくなかなか良い提案だと思われた。それは、“大人の島”に行こうというものだった。

 

 俺の住んでいる島と、その隣の島の間には小島が一つある。一見、泳いで行けそうな距離にある小島だが、早い潮流のせいで、子どものうちはその島まで渡りきることができない。俺の島では子どもがその島へ自力で泳いで渡ることができれば、一人前の大人として認められた。だから、この島を俺たちは“大人の島”と呼んでいた。

 その日、「大人の島に、泳いで行ってみよう」とヒノエは俺に提案した。「ふうん」と俺は返した。だが、内心でなかなか面白い提案だと思っていた。その時、俺たちは十三歳。大人の島に渡れる年齢は、おおむね十五になる頃と考えられていた。だけど、海に囲まれた島に生まれ育った俺たちにとって、泳ぎは日常茶飯事。歩いたり走ったりするのとさほど変わらない。俺もヒノエも泳ぎは得意中の得意だ。もしかしたら、今の俺たちでも大人の島に渡れるかも知れない。もし渡り切れたら、俺たちは大人として扱われる。それは、考えただけでとてもワクワクする、面白い思いつきだった。

 

 二つ返事で、俺はヒノエと大人の島に向かうことにした。

 大人の島へ行くことは、大人にはもちろん秘密だし、他の子どもにも伏せた。こっそり行って驚かせてやるのだ。だって、同じ世代の子どもの中で誰よりも早く大人の島に辿り着けたら、それはとても誇らしい気持ちに違いないから。

 大人の島には小さな祠が一つあって、そこにある小さな石に神様の名前が彫ってある。その小石を持ち帰ると、大人の島へ行った証となり、大人として認めてもらえるのだ。

 俺とヒノエは、早速、大人の島が見える海岸に来た。ヒノエはいった。「俺とお前とどっちが早く大人の島に辿り着けるか勝負しようぜ」と。俺はそのガキくさい提案に、待ってましたとばかりに乗った。ヒノエは負けん気が強く、俺に対してなんでも勝負を挑んでくる。俺とヒノエは同い年だし、背格好も似ていたから、なんでも比較しやすかったのだろう。ヒノエは俺に対していつでも優位に立っていないと気が済まないようだった。

 俺も、ヒノエに勝ちを譲る気なんてサラサラなかった。俺はヒノエみたいに要領はよくないが、やる気と自信は人一倍ある。なんでもぶつかってみて、失敗すればそれはそれで良かったと思うし、もちろん一番になるための努力は惜しまない。俺のことを猪武者だとヒノエは笑うが、別に悪いことでもダメなことでもないと思う。

 俺とヒノエは、一着をかけて大人の島への遊泳をはじめた。着ていた着物は畳んで頭の上で落ちないように帯で縛り、褌一丁の姿になった。潮の流れを計算して島の真正面ではなく、ずっと上手の方から泳ぎ始めた。海の水は生ぬるい。泳ぎ始めるとだんだん波が高くなるのがわかった。まっすぐ大人の島に向かわず泳いで流れに乗りながらだんだん島に近づいた。だが一度泳ぎ出してみると思った以上に流されていく。まずいなと思いながら俺は泳いだ。ヒノエの姿は波に隠れて見えない。やつは無事に泳いでいるのだろうか。確認している余裕はない。自分だけでも島に辿り着かないと。俺は潮に流されながら必死で泳いだ。海の水はいつの間にかびっくりするほど冷たくなっている。手足が冷え、痛みだし、疲れがひどくなり、もう無理じゃないかと思った頃、やっと、俺は大人の島に流れ着いた。

 ゼエゼエと息をしながら、俺はヒノエの姿を探した。しばらくして、ヒノエが大人の島の海岸線にたどり着いたのが見えた。俺は息を整え悠々とヒノエの所まで歩いて行った。「俺の勝ちだな」そういってニヤリと笑い、手を差し出すために。

 ヒノエは悔しそうな顔をして目を逸らした。「ここに無事辿り着いたことに意味があるんだ」ヒノエは差し出した俺の手を払いのけると「探検しようぜ!」といって、手頃な棒を探して振り回しながら、歩き始めた。「おい待てよ」俺は慌てて後を追う。手近なところにある流木から程よい長さの握りやすい棒を探し出し、それ右手に持ってヒノエの後を追った。

 島には小さな祠があると聞いていた。着いたらすぐにわかると思っていたが、少し歩くと砂浜はすぐ岩の連なりになり、たちまち崖登りになって、俺たちは四苦八苦しながら祠を探すことになった。頑張ってありそうなところを探しても、そこらじゅう藪だらけでろくに進めない。棒で払いながら藪漕ぎをするがだんだんそれも飽きてきた。藪を漕ぎ、岩を登り、下り、うろうろと当てもなく島をさまよって俺たちはクタクタに疲れてしまった。道を下りながら、どうしようか相談していると、ふいに視界が開けた。目の前にひときわ大きな木がある。青々とした松の木だ。その足元に、よく見ないとわからないが祠らしき物があった。

 俺たちは祠に駆け寄った。ここには、この祠の神様の名前が彫ってある石があり、それを自分の島に持ち帰れば大人として認められるのだ。しかし、いくら探してもそれらしい石はない。俺はガッカリしてヒノエに「帰ろう」と声をかけた。ヒノエは大小さまざまな石をひっくり返して探している。そして急に祠に手を突っ込んだ。祠の中にはたしかに小さな石が入っている。でもそれは御神体ではないのか。

「何をしているんだ!」俺はヒノエを止めた。「それは御神体だ!触るな!」俺はヒノエ握りしめた小さな石を奪い取ろうとした。「うるさい!」ヒノエは俺を突き飛ばした。「俺には大人の島に来た証が必要なんだ」「さっさと大人になって、家を出るんだ!」ヒノエは持っていた手拭いに御神体を包むと腰紐に結びつけた。「バチが当たっても知らねえぞ!」俺はヒノエの背中に向かって叫んだ。


 俺たちは帰り道を急いだ。だけど、島はどこも似た景色で鬱蒼と木が茂り、背の高い草が視界を遮っている。なんとか見晴らしのいいところに登って、周りを見渡すと、どうやら島の反対側に出たようだった。


 眼下には初めてみる海だ。自分達の故郷の島ではない大きな隣の島がすぐそばに見える。すぐ近くにはささやかな砂浜と、牡蠣や鮑がどっさり隠れてそうな岩場と、穏やかな波が見えている。ちょっと海辺に降りて、貝でも探してオヤツに食べながら帰り道を急ごう。そう考えていると、ふいにヒノエが岩陰に隠れた。「どうした?」俺が問いかけるのを制して、ヒノエは「人がいる」と短くいった。俺もヒノエの後ろに隠れ、そっと覗き見た。

 

 最初に見えたのは古ぼけた小さな船だった。岩陰に目立たないように浮かんでいる。船の紐はそばの岩にしっかりと結びつけていて、流されないようになっていた。そして、その船の奥には小さな砂浜が見えていて、そこでは女の子が火を起こしていた。「火なんか炊いたら目立つのに」ヒノエはそういいながらも女の子の後ろ姿を凝視している。俺たちは少し離れたところの岩陰からのぞいていて、女の子は気づきそうにない。この大人の島は俺たちの島と隣の島の境にあり、二つの島の協定で禁猟区になっていると聞いた。ちょっと牡蠣をせしめるくらいならまだしも本格的な漁はできないはずなのに、この子はどうして…。などと考えていたら、「お!」とヒノエが声を殺して、でも嬉しそうに小さく叫んだ。ふとみると、女の子がゆっくりと着物を脱ぎ始めている。「あ」俺も思わず声が出た。女の子の肌は白く、髪は黒くて長く艶やかで、身体の柔らかな曲線が眩しいくらい綺麗だった。


「見ちゃダメだ」俺はヒノエを制した。ヒノエは俺の腕を払って「邪魔すんなよ」といいながら食い入るように女の子を見ている。「やめろ!」俺は自分でもびっくりするくらい大きな声を出した。女の子に聞こえればいいと思いながら、大声で何度も「やめろ!やめろ!」と叫んだ。「うるさい!黙れ!」ヒノエはイラつきながら俺を叩いた「クッソ、気付かれた」その声で俺が女の子をみると、女の子も俺たちを見つけた。

 目が、あったと思う。女の子のすんだ瞳が丸くなって俺たちの方を見つめていた。見たことがないくらい綺麗な女の子だった。俺はその瞳に吸い込まれるんじゃないかと思いながら、彼女から目を離せないでいた。女の子はふいに目を伏せて、くるりと俺たちに背中を見せると、着物を簡単に着付けて走り出した。俺たちのいる場所のちょうど反対側に向かって、船を置いて走っていってしまった。

 

「あーあ」ヒノエはつまらなさそうに言う「お前なんで声出すんだよ。ばか」俺はヒノエにいった「お前こそ、女の子の裸をこっそりのぞくなんて失礼だろ」ヒノエは不満そうだ「あーあ。いい子ぶりやがって。ばーか、ばーか」そりゃ俺だって一人だったら女の子の着替えをじっくり見ていたかもしれない。だから口ではヒノエを非難していたものの、心のうちでは残念な思いがあった。でも、それ以上に、あの女の子の裸を他の男に見せたくないと思った。だから、ヒノエの邪魔をした。そのことに後悔は全くない。

 

「ここを降りて下で待ってたら、あの女、戻ってくるんじゃねえか?」ヒノエは女の子が置いていった小舟を指差していう。「どっちみち、あの船が無ければあの女は家に帰られないんだろう?」ヒノエは嫌な笑みを浮かべた。あの子を俺のいる島で見た記憶はない。あんなに可愛い顔の子なら、見たら一発で覚えると思うから。今いる場所を考えても、近いのは隣の島だ。彼女は間違いなく隣の島から来た子だ。隣の島に帰るなら小舟は必須だろう。女の子ならなおさらだ。


 「ばかなことを言うな。俺たちもさっさと帰らないと」俺はヒノエの腕を引っ張った。「俺は待つぜ」「どうせ帰っても、飲んだくれの父ちゃんに殴られるだけだしな」ヒノエは岩の隙間を探って降りれそうなところを探している。「やめろよ、帰ろうぜ」俺は何度もいった。だが、ヒノエは俺の言葉に聞く耳を持たない。仕方なくヒノエの後についていった、いざという時にこいつを止められるのは俺しかいない。

 

「へえ…」ヒノエは波間に浮かぶ女の子の船によって、ぺちぺちと船を叩いた。「けっこうしっかりした船じゃん」「小さいけど手頃だな」ヒノエは船が気に入ったようで、足をかけて乗り込もうとした。「あの子の物だろう?勝手なことをするな」俺はヒノエを止めようとしたが無駄だった。ヒノエは船に乗り込んですっかり上機嫌である。「ふふふ。お前も乗るか?雷平太」俺は嫌な気分になって「乗らない」と断った。ヒノエは櫂を持って船を漕ぎ始めた。「これなら島一周もできそうだ」嬉しそうに船を操る。楽しそうなヒノエを見て、俺はだんだん腹が立って「いい加減にしろよ!」と怒鳴った。そして、ヒノエに背を向けて浜辺に戻った。

 

 俺は船で遊ぶヒノエを見張りながら砂浜に腰を下ろした。もう、日が傾きはじめた頃だ。ふと、人の気配を感じて振り返ると、岩陰から女の子がこっちを見ていた。俺は慌てて立ち上がった。「君の船はちゃんと返すから!」そういうことをいおうとしたら舌がもつれた。盗られた船を見て女の子は、俺の近くまで駆け寄ってきた。さっき遠目で見た時から可愛いと思っていたが、間近で見るとその子の可愛らしさが更に際立った。俺は弁解の言葉を探すのを忘れてぼんやりとその子の顔を見つめた。夕日に照らされた顔は、影が女の子の綺麗な輪郭を際立たせている。その目は真っ直ぐ俺の横を通って、後ろのヒノエとヒノエが乗る小船を見ていた。

 

「すぐ、返させるから」俺はやっとそれだけ口にして、ヒノエに向き直った。「ヒノエ!帰ってこい!船を返せ!」俺が怒鳴るとヒノエはしぶしぶという感じでこちらに船の舳先を向けて漕ぎ始めた。「ごめんね」俺はそういって女の子を振り返った。女の子は悲しそうな目で俺たちを見ている。こんな時なのに、憂い帯びたその顔がすごく綺麗だと思った。やがて近づいてきたヒノエは小船をを返すそぶりを見せながら、女の子にいった「お姉さん、一緒に遊ばない?」


 女の子がたじろぐのがわかった。ヒノエは船を降りて女の子に近づく。女の子は恐怖のためか声も出さず身動きもしない。俺もヒノエを止めなきゃと頭ばかりが焦って、身体が動かない。ヒノエは女の子に手を伸ばした。女の子の白い、柔らかそうな綺麗な腕にヒノエの手が触れた。

 

 怒髪天をつくというのはこういう事なのかもしれない。俺はとたんに全身の毛が逆立つような思いで、強い怒りを感じた。「ヒノエ、この子に、手を出すな!」俺は目の前が真っ赤になるかのような感覚を持ちながら、一言一言、言葉を吐いた。言葉に温度があれば、その俺の言葉は溶岩のように熱かったに違いない。その熱は大地を溶かして深い地の底まで真っ黒な煙をあげて沈んだに違いない。ヒノエは涼しい顔で俺に近づいていった。「どうして?俺たちはもう」「大人だろ」

 

 俺はヒノエに掴み掛かった。もう、こいつは殴りつけないと絶対わからない。そう思うが否や、俺は握り拳をヒノエの顔面に叩き込んだ。俺の拳はヒノエの頬をかすめた。ヒノエは俺に殴りかかる。俺はその拳を避けつつ、足場の悪い波打ち際を避けて、砂浜まで後退した。日はどんどん暮れていく。ヒノエと俺は取っ組み合いの喧嘩をした。どちらも、相手を降参させることができないまま時間が過ぎていく。「もう、いい、止めよう」そう俺が言いかけたとき、ヒノエの強烈な拳が俺のみぞおちに当たった。やばい。そう思ったが目の前が今度は光を失っていく。薄れていく意識の中で、女の子が上手く逃げていて欲しいと思った。ヒノエは子どものくせに平気で悪魔じみたことをするから…。

 

 目が覚めたとき、空は真っ赤で、星がいくつか瞬いていた。俺は少しずつ体を起こした。拳を叩き込まれた腹が痛む。俺は身体のあちこちに痛みを感じながらゆっくり周りを確認した。ヒノエの姿はない、さっきより時間が経っているようで、空はまだ明るいものの、もうすぐ闇が覆うだろう。俺は海を見て誰もいないことに気づき、大人の島の陸地側に首を回した。


 ヒノエは、女の子はどうしたんだろう。そして、島の陸側の岩陰にひらひらと布がなびいてるのを見つけた。俺はすっと血の気が引くのを感じた。起き上がって、立ち上がって、布の方へ歩いて行こうとした。そして、見た。女の子が倒れている。

 

 俺は転びながら駆け寄った。「大丈夫か!」俺の声が俺の耳の中でこだまする。「大丈夫か?しっかりしろ!」俺は女の子に駆け寄って抱き起こそうとした。そして、彼女の首から血が流れ出ているのを見たのだ。俺は彼女を抱き抱えようとした。血を見て、その量を見て、分かった。もう助からないと。首のすぐそばには貝を採る時に使うのだろう、尖った鉄の小刀が転がっていた。俺は誰に言うともなく呟いた「自分で…刺したのか…?」女の子がうなづいた気がした。ヒノエから逃げきれなかった女の子は、ヒノエに乱暴されて、悲観してしまったのか。でも、彼女の着衣はそれほど乱れていないから、自分の純潔を守るために自ら死を選んだのか。

 

 俺は呆然としてその場にへたりこんだ。「(どうしたらいい…?)」日はとうに暮れて空には気味が悪いほどの星が瞬いている。俺は、俺は、俺は、この子を置いて、まだ生きている、この子を置いて、帰れない。いや、もう、今からでは、どうやっても帰れない。暗い海を泳ぐわけにはいかない。この子と二人で夜を越すのだ。

 しばらくして月が登ってきた。月明かりが明るく俺は少しホッとした。ふと、女の子を見た女の子の周りでゴソゴソと蠢く小さな影が何十とある。俺はその影を追い払った。死んだ魚の死骸を食べるフナムシとかそんな連中が女の子の体にたかっている。そんなこと許さない、認めない。俺の、大事な、女の子はまだ死んでいない。死んでいない。何度追い払っても虫どもは何度も寄ってきた。俺は一晩中、足を踏み鳴らし、虫を追い払い続けた。


 夜がこんなに長くて寒くて苦しいとは知らなかった。朝日が差した時、俺はクタクタに疲れて、身体中痛くて、死にそうだった。女の子は冷たく、硬くなっていて、たくさんの虫がたかっていた。俺は、できるだけ寝心地の良さそうなところを探して女の子の遺体を寝かせると、自分の島の方へ歩き出した。

 日が高くなって、自分の島が見える浜辺に着いた時、俺はこのままここで死んでしまいたかった。どうにも悲しくて仕方がなかった。その時どうしてそんな気持ちになったのかよくわからなかったが、今ならわかる。あの女の子への俺の感情は間違いなく好意だった。あの子は俺が初めて好きになった女の子だった。一目惚れというやつだ。だけど、その女の子は俺が好きになった直後に死んでしまった。


 

 俺は、一応、泳ぐ準備として着物を脱いだ。それをのろのろ畳んで、頭に乗せて、帯で縛りつけた。そうして、自分の島に向かって海を渡ろうと、波間に入って行った。

 昨晩、ろくに眠れていない。寝転んでも岩だらけで身体中が痛い。そんな身でとうてい無事に帰られるとは思っていなかった。その時、俺はとてもヤケクソな気持ちになっていた。


 俺は波をかき分け、海を進んだ。やはり流れが早い。俺の住んでる村に一番近い砂浜がどんどん遠ざかる。俺の子ども時代を過ごした村。懐かしい友だち、怒ってばかりの母親と、酒が大好きな父親。くだらねえことばかり教える兄貴どもと、泣き喚いて鬱陶しい弟ども。「(懐かしいな…)」それでも、なんだか無性に愛しい。頑張って、戻らなきゃ。俺が動かなくなって来た足に力を入れた瞬間、足がつった。

「(マズイ!)」俺は強烈につった足を抱えて、慌てた。海のど真ん中で足がつくわけもない。俺はなんとか足を直そうと足指を掴んで膝に向けて引っ張った。踵が伸びてくれれば引き攣りが治るかも知れない。だが無情にも身体はどんどん沈んでいった。あわててはいけないと思いながらも、心臓は飛び出るんじゃないかと思うくらい、激しく鼓動した。

 

 ゆっくりと遠ざかる水面が見え、呼吸を止めているのが、苦しい。耐えられなくなって、水中で息を吐き吸い込んだ。ごぼごぼと海水が肺に入ってくる。頭が割れそうで、痛くて苦しい。心は死にたくないと叫び、全身を使ってもがいた。死にたくない!死にたくない!死にたくない!やがて意識が遠のいて、俺は最後にうっすらと目を開けて海を見た。澄んだ海中は、青い光に溢れて美しい。その時、遠くから、何かが俺に近づいて来たのがわかった。


 長い黒髪、白い肌の、美しい生き物。消えゆく意識の中で俺は、あの女の子を思った。


 どうして、この砂浜にたどり着いたのかわからない。俺は自分の故郷の島の、村からはだいぶ離れた砂浜に流されて着いた。肺に海水が入って、しばらくむせ続けて苦しかった以外、何も問題はない。どうして息を吹きかえせたのか、俺には本当のことが何もわからないが、でもきっと、あの女の子が助けてくれたに違いないのだ。


 村に帰ると、ヒノエの姿がなかった。何日してもヒノエは帰って来なかった。死体が上がらなかったので、死んだかどうかもわからない。ヒノエは女の子の小舟を奪って、どこか遠くに行ってしまったのか。あいつ、あいつだけが”大人”になって、この島を出て行ったのかも知れない。

 俺はいつ大人になるのだろう。いつか大人になってヒノエに出会ったら、力一杯、ぶん殴りたい。大人の島”に連れて行って、女の子の死骸があった場所で、謝らせたい。そう思いながら俺は“大人の島”を見た。夜が迫り、闇に閉ざされようとしている“大人の島”は、何も語らず、そこにあった。


 終 2024/03/04

 


 


 

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