第33話 私と競輪㉝
なんと、高梨さんは、既に結婚しており、子供までいるのだと言うではありませんか!
衝撃の事実を知った私は、言葉を失い、しばらくの間、放心状態に陥りました。
確かに、年齢的にも、そういう相手がいても不思議ではありませんし、
そもそも、恋愛禁止などというルールもありませんので、
何ら問題はないはずなのですが、何故か、私の心中は穏やかではなかったのです。
それどころか、モヤモヤとした感情が湧き上がってくる始末で、
自分でもよく分からない感情に支配されていたのです。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか、話題は、旦那さんのことに移っていきました。
何でも、職場の同僚なんだそうで、年齢は30代前半とのこと。
写真を見せてもらうと、なかなかハンサムな男性で、優しそうな雰囲気を感じ取りました。
正直、羨ましいと思ってしまったことは否定できません。
それほどまでに、魅力的な相手だったのだと思います。
だけど、同時に、複雑な思いを抱く自分もいたのです。
どうして、こんな気持ちになるんだろう……。
考えれば考えるほど、分からなくなり、余計に混乱してしまうばかりでした。
とりあえず、その場は、適当に取り繕って、別れることになったのですが、
心の中にはまだ、スッキリしないものが残っていたことだけは確かでした。
それからというもの、私は、彼女のことが頭から離れなくなり、
仕事にも集中できない日々が続くようになりました。
このままではいけないと思い、思い切って、彼女に連絡を取ってみたところ、
意外にも、あっさりと承諾してくれ、会うことが決定したのです。
待ち合わせ場所に指定された喫茶店に入ると、既に、先に来ていた彼女と目が合い、
お互いに軽く会釈をして、向かい側の席に座りました。
久しぶりに会ったせいか、緊張している様子が伝わってきます。
かくいう私も同じ気持ちで、上手く言葉が出てきません。
しばらく沈黙が続いた後、意を決したように、彼女が口を開きました。
話の内容は、大体、予想していた通りのものでした。
最近、旦那さんとうまくいっておらず、喧嘩が増えているとのこと。
原因は、性格の不一致によるものらしいです。
最初は我慢していたけど、もう限界に達していて、
離婚を考え始めているのだと言います。
それを聞いた途端、胸の奥底から熱いものがこみ上げてきて、
思わず泣きそうになってしまいました。
何とか堪えたものの、表情に出てしまっていたのでしょう、
心配そうに見つめられ、心配そうな声で話しかけられました。
「大丈夫……?」
その言葉に、小さく頷き返すことしかできませんでした。
その後は、他愛もない会話をしながら、時間を過ごしていったのですが、
ふとした瞬間、視線が絡み合ってしまい、お互いに見つめ合う形になってしまいました。
気まずい空気が流れる中、先に口を開いたのは、私の方でした。
意を決して、自分の気持ちを伝えることにしたのです。
ドキドキしながらも、勇気を出して、自分の気持ちを伝えようとしたその時、
急に視界が真っ暗になり、何も見えなくなってしまいました。
何が起こったのか分からず、パニックになっているところに、聞き覚えのある声が響いてきたのです。
その声は、紛れもなく、高梨さんのものでした。
安堵感に包まれたと同時に、疑問が生じました。
何故、高梨さんがここにいるのでしょうか?
状況が飲み込めないまま、呆然としていると、今度は、耳元で囁くような声で、名前を呼ばれました。
驚いて振り返ると、そこには、先程まで一緒に居たはずの高梨さんが立っていました。
驚きのあまり、声が出せません。
そんな私を他所に、彼女は、ゆっくりと近づいて来て、そのまま抱きしめてきました。
咄嵯に身を引こうとするも、強く抱き締められているせいで、身動きが取れません。
諦めて大人しくしていると、今度は、首筋に唇を這わせ始めました。
ゾクッとする感覚に身悶えていると、今度は、耳元へ顔を寄せ、吐息を吹きかけられます。
それだけで、全身が粟立つような感覚に襲われ、力が抜けてしまいます。
もはや、抵抗する気力すら残っていません。
されるがままの状態が続いている内に、次第に思考能力が鈍ってきたのか、
何も考えられず、ボーっとするだけになってしまいました。
「ねぇ、あなた、聞いてる?」
ハッと我に帰ると、目の前には、怪訝そうな表情を浮かべた高梨さんの顔がありました。
どうやら、少しの間、意識を失ってしまっていたようです。
慌てて謝罪の言葉を口にすると、彼女は、優しく微笑んでくれました。
その表情を見た瞬間、ドキッとし、顔が熱くなるのを感じました。
それと同時に、心臓の音が高鳴り始めたことに気づき、ますます恥ずかしくなりました。
恥ずかしさを隠すかのように、視線を逸らすと、その先には、見慣れた天井がありました。
ここは、自分の部屋であることを理解するまでに、数秒かかりました。
どうやら、今までの出来事は全て、夢だったようだ。
「よかった……」
安堵の溜息を漏らしつつ、ベッドから起き上がると、カーテンを開け、朝日を浴びながら伸びをする。
今日も一日が始まると思うと、憂鬱になるけれど、頑張って乗り切ろうと思う。
朝食を済ませた後、身支度を整えてから、家を出る準備を始めた。
玄関を開けると、眩しい光が差し込んでくる。
空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。
絶好のサイクリング日和になりそうだと思いながら、ペダルを踏み出した。
目的地までは、約20kmの距離だが、そこまで遠くはない。
信号待ちの時間を除けば、あっという間に到着するだろう。
そんなことを考えながら、軽快に進んでいく。
途中、コンビニに立ち寄り、飲み物を買ったり、トイレに行ったりと、
ちょっとした休憩を挟みながらも、順調に進んでいった。
そうして、ようやく、目的地に到着した頃には、すっかり汗だくになっていた。
呼吸を整えるために、大きく深呼吸を繰り返す。
「ふぅ~、疲れたぁ~」
喉を通る冷たい空気が心地よい。
火照った身体を冷ましてくれるようだ。
一息ついたところで、辺りを見渡してみる。
周りには、たくさんの人が集まっていた。
みんな、真剣な眼差しで、競技の行方を見守っている。
中には、大声で声援を送る人もいるくらいだ。
その様子を見ていると、なんだか嬉しくなってくる。
自分が応援されているわけではないのだが、不思議と力が湧いてくる気がした。
しばらくすると、選手が姿を現した。
その中に、見覚えのある顔を見つけた。
間違いない、高梨さんだ。
彼女も、こちらに気づいたようで、手を振ってくれた。
それに応えるように、こちらも手を振り返す。
一瞬、目が合ったような気がしたが、すぐに逸らされてしまった。
気のせいだろうか……?
まぁ、いいか。それよりも、今は、レースに集中することにしよう。
これから行われるのは、3周の特別競走、ガールズケイリングランプリだ。
このレースを制した者が、優勝者となる。
果たして、誰が栄冠を手にするのか、今から楽しみだ。
最終周回に入った頃、ついに動きがあった。
トップ集団の中に、一際目立つ動きをする選手がいたのだ。
あれは、間違いなく、高梨さんだ。
他の選手を寄せ付けない圧倒的な走りを見せている。
その姿は、まるで、風のように軽やかで、美しかった。
その姿を見ているだけで、心が躍るようだった。
やっぱり、すごいなぁ……。
素直に尊敬できる人だ。
憧れずにはいられない存在だ。
だからこそ、勝ちたいという想いが強くなっていく。
気がつけば、夢中で応援していた。
最後は、接戦の末に、高梨さんが優勝した。
表彰台の上で、嬉しそうに微笑む姿が印象的だった。
おめでとう!! 心の中で、祝福の言葉を贈った。
こうして、初めての大会が終わった。
結果は、6位と振るわなかったものの、収穫はあったと思う。
次こそは、優勝できるように頑張ろうと思う。
帰り際、高梨さんに声をかけられた。
少し話があると言われ、人気のない場所へ移動する。
何だろうと思いつつ、ついていくと、突然、後ろから抱きしめられた。
突然のことで驚いたが、振り解こうとは思わなかった。
むしろ、心地良ささえ感じていたほどだ。
しばらく、無言のままだったが、やがて、静かに語り始めた。
その内容を聞き終えた瞬間、心臓が激しく脈打ち始めるのを感じた。
鼓動が激しくなるにつれて、体温も上昇していくのが分かるほどだった。
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