第20話 私と競輪⑳
それは、彼女が思い悩んでいるきっかけとなったのは、
相手選手である小岩井さんのことだったというのだ。
そんな話を聞かされた私は動揺を隠し切れませんでしたが、
それでも話の続きを聞くべきだと考えたため先を促すように相槌を打ち続けました。
そうすると彼女は堰を切ったように話し始めたのです。
それは小岩井さんとの思い出話でした。
自転車で追いかけっこをしたり、ブランコに乗ったり、砂場で遊んだり、
他にも色々なことをして遊んでいたのだと言います。
そして、ある日を境にぱったりと姿を見せなくなったことで心配になり探していたところ、
たまたま見かけたのだとか……。
「あの後、どうしたのか気になって仕方がなかったんです……」
そう言いながら俯く彼女の目には涙が滲んでいました。
そんな彼女に対して私は優しく語りかけることしか出来ませんでしたが、
それでも気持ちは伝わったようでした。
それから暫くの間沈黙が続きましたが、やがて顔を上げた彼女の表情は
どこかスッキリしているように見えましたので安心したのですが、
それと同時に寂しさも感じてしまいました。
だって、それが本来の小岩井さんの姿なのでしょうから。
そんな彼女を見て、私は思うのです。
小岩井さんはとても強い人なのだと。
だからこそ、自分の弱さを見せようとしないし、他人にもそれを求めないのでしょう。
そんな彼女の支えになりたいと思う反面、それがとても難しいことのように思えて仕方ありませんでした。
それでも、諦めたくはないという気持ちがあるのも事実です。
ならば、私に出来ることは何でしょうか?
考えてみても答えは見つかりませんでしたが、
それでも何もしないよりはマシだと思い行動を起こすことにしました。
まずは情報収集から始めることにしましょう。
そのためにはどうしたらいいのかと考え込んでいるうちに
一つのアイデアが浮かび上がりましたので早速実行に移してみることにしました。
その結果として得られたものは予想以上に大きなものだったのです。
それは小岩井さんの過去についてでした。
彼女の生い立ちや家族構成などを知ることが出来たのは大きな収穫だったと思いますし、
何より嬉しかったことは彼女が私のことを信頼してくれているということでしたから、
それだけでも十分すぎるほどの価値があったと言えるでしょう。
しかし、それだけではまだ不十分だと思いましたので、
他にも何か手がかりになるようなものがないか探してみることにしました。
その結果、小岩井さん本人から聞いた話と、
彼女を知る人々からの話を総合した結果、幾つかの情報を入手することに成功したのですが、
そのどれもが信憑性の低いものばかりでした。
というのも、どれもこれも信憑性に欠けるものばかりだったからです。
ですから、これらの情報を鵜呑みにするのは危険であると判断し、慎重に判断する必要があります。
それにしても何故彼女はここまで頑なに自分のことを語ろうとしないのでしょうか……?
何か理由でもあるのでしょうか?
それとも単に恥ずかしいだけなのか?
どちらにしても彼女のことを知るためにはもっと深く掘り下げてみなければならないでしょうし、
そのためにはもう少し情報を集める必要があるかもしれません。
でもその前にまずは小岩井さんとの信頼関係を築くことが先決です。
そのためには彼女のことをよく知らなければならないですし、
同時に私自身のことも知ってもらわなければなりません。
だから、まずはお互いを知ることから始めてみましょう。
そして、その上で改めて彼女との関係を考えてみた結果、
やっぱり私と小岩井さんとの関係は友達ということになるでしょう。
でも、それだけでは物足りなくて、もう少し踏み込んだ関係になりたいと思ったりもしたりもするわけで……。
ああでもないこうでもないと考えを巡らせていたのですが、
結局結論が出ないまま時間だけが過ぎていきました。
そんなある日のことでした。いつものように配達へ向かう途中で
不意に呼び止められて振り返るとそこには小岩井さんがいたのです。
彼女は微笑みを浮かべながらこちらに近づいてくると、
そのまま私の手を取って歩き始めましたので慌ててついて行くことにしました。
一体何処へ行くつもりなのだろうと不思議に思っているうちに辿り着いた場所は人気のない路地裏でした。
そこで立ち止まった彼女は私の方に向き直ると真剣な眼差しを
向けてきましたので思わず息を呑んでしまいましたが、次の瞬間発せられた言葉に耳を疑いました。
それはつまりこういうことです、
「私と付き合ってください」
と言われた時には驚きすぎて言葉を失ってしまいましたし
頭の中が真っ白になってしまいましたけど、私はこう言いました。
「私と競輪して勝てたらいいですよ」
それを聞いた瞬間、彼女は少し驚いたような顔をしましたがすぐに笑顔になりました。
そうして、その日以来私と彼女との不思議な関係が始まりました。
と言っても特別なことをしていたわけではありません、
ただ単に一緒に競輪場へ通ったりする程度のことしかしていないんですけどね、
それでも私にとってはとても楽しい時間を過ごすことができていたので
満足しておりましたのですけれどある日のこと、いつものように競輪場へ行く途中で
彼女を見つけた私は声をかけようとしたのですが、途中で思いとどまり隠れて様子を窺うことにしました。
何故そんなことをしたのか自分でもよく分かりませんでしたが、
きっと何か理由があるはずなので考えてみることにします。
まず最初に思い浮かんだのは彼女が誰かと待ち合わせをしている可能性です。
もしそうだとしたら邪魔をしてしまうことになるかもしれないので声をかけるべきか迷いましたが、
どうしても気になったので思い切って声をかけてみることにしました。
そうすると彼女は驚いた様子で振り返りながら私の顔を見ていましたが、
やがて笑顔を浮かべるとこちらに向かって歩いてきましたのでホッと胸を
撫で下ろしつつ彼女と一緒に競輪場へと向かうことになったのです。
そして、到着するなり早速レース観戦を始めたのですが、
彼女は真剣な眼差しでレースを観ている姿が印象的で、
その姿を見ていると私も自然と熱が入ってしまい応援にも力が入ってしまいました。
「ねぇ、私が競輪選手って言うのも分かるよね、次の大会で勝負して、
勝ったら、私とお付き合いしてくれるかな」
そう、私は、彼女と競輪のレースを一緒に見ながら、
次の大会で勝負して勝ったら付き合って欲しい、と言ったのです。
そうすると、彼女は少し驚いた様子を見せた後、こう答えました。
「いいよ」
と一言だけ言ってから再び視線を戻してしまったのですけれど、
その表情はどこか嬉しそうでしたし、口元も緩んでいるように見えましたので、
きっと喜んでくれているんだと思いました。
そう確信した私は、 彼女と別れて次の大会へ向けて練習するのです。
そうして、迎えた本番当日、レース会場には大勢の観客が詰め寄せており、熱気に包まれていました。
そんな中、遂にスタートの時が訪れ、一斉に飛び出していく選手たちの姿を固唾を飲んで見守ります。
その中で一際目を引く存在がありました。
それが小岩井さんでした。
彼女もこのレースを最も得意としていて、多くのファンを抱えている選手の一人です。
そんな彼女からマークされては厳しい戦いになることは必至でしょうけど、
それでも諦める訳にはいきませんから全力を尽くすしかないのです。
そうして始まったレースですが、序盤から激しい攻防が繰り広げられておりましたので、目が離せない展開となっていました。
そんな中で私がマークしたのは、小岩井さんでしたが、その差はかなり開いていて追いつくのは
困難だと判断せざるを得ない状況でした。
しかしそれでも諦めずに必死に追い続けました結果、少しずつではありますが差を縮めることに成功したのです。
このままいけばもしかしたら勝てるかも!?
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