第10話 私と競輪⑩

そんなことがあった後も変わらず接してくれるチームメイト達の優しさに感謝しつつ、

これからも頑張っていこうと思ったのだった。

それから数日が経過したある日のこと、いつものように練習をしていたところ、

ふと違和感を覚えたので振り返ってみると、そこには見知らぬ女性の姿があった。

彼女は私の方をじっと見つめており、目が合った瞬間に微笑まれたような気がしたので、

少しドキッとしたのだが、すぐに我に帰ると目を逸らし、練習に戻ったのだった。

ところがその後もずっと視線を感じ続けていたので、気になって仕方がなかったのだが、

気にしないようにしてやり過ごしていた。

そしてその日の練習が終わったあと、着替えを済ませてから帰ろうとしたその時、

突然声をかけられたのだ。

驚いて振り返るとそこにはあの女性が立っていて、こう言ってきたのだった。

「貴女って、競輪選手でしょ?」

それを聞いた瞬間、背筋が凍ったような気がしたけれど、平静を装って答えた。

そうすると彼女は笑顔を浮かべたまま続けた。

「いきなりで悪いのだけれど、この後お時間あるかしら?」

そんな問いかけに対し、私は困惑することしかできなかったのだが、

そんな彼女の様子を察してか、再び問いかけてきたので仕方なく答えることにした。

だがその時、背後から呼び止められたような気がして振り返ると、

そこにいたのはチームメイトの鈴木さんだった。

「こんばんは! 何やってるの? もう練習終わったよね?」

そう言って近付いてくる彼女に、何故か逃げたくなる衝動に

駆られた私は無意識のうちに走り出していたようだ。

そしてそのまま振り返ることなく走り続けた結果、気付けば駅まで辿り着いていたのだった。

一体なぜ走ってしまったのか自分でも理解していないまま改札口を通り、

ホームに出るとちょうど電車が来たところだったため急いで乗り込んだのだが、

そこで一息つく間もなく後ろから声をかけられた。

振り返るとそこにいたのはあの女性が立っていた。

その姿を見た途端、思わず後退りしてしまったものの、

すぐに壁際まで追い詰められてしまったため逃げ場を失ってしまったようで、

絶体絶命の状況に陥っていた。

そうすると女性は私の顔に手を当て、顎をクイッと持ち上げたかと思うと、

今度は自分の唇を近づけてきてキスしようとしてきた。

それに対して咄嵯に顔を逸らしたため未遂に終わったものの、

かなり危険な状態に追い詰められていたことに変わりはないため、

内心かなり焦っていたし、心臓の鼓動もバクバクと激しいものだったが、

そんな中でも頭は冷静だったようで、相手の様子を観察するくらいの余裕はあったようだ。

そこで改めて相手の姿を確認すると、彼女は20代後半くらいの女性で、

身長は170センチくらいだろうか。髪は肩にかかる程度のショートヘアで、

服装は少し派手目な印象を受けるものの、全体的に見ると美人と言って差し支えない容姿をしていた。

そんなことを考えているうちに再びキスをされそうになったので、

私は慌てて顔を背けたが、今度は首筋を舐められてしまったので

ゾクッとした感覚が身体中を駆け巡ったことで思わず声が出てしまった。

その反応を見た彼女は嬉しそうな表情を浮かべながら更に強く吸い付いてきたため痛みが走ったが、

同時に不思議な高揚感も感じてしまったことで、抵抗する気力を失ってしまった私は、

大人しく身を委ねることにしたのだった。

その後、彼女は満足したのかゆっくりと離れていった後、

満面の笑みで話しかけてきたが、それに対して私はただ呆然とすることしかできなかった。

それからしばらくして我に返った私が慌ててその場を後にしたのだが、

しばらく歩いたところでふと振り返るとそこにはもう彼女の姿はなかった。

(ふぅ……助かったみたい……)

ほっと胸をなで下ろした私は、改めて自分の置かれている状況を認識することになったのだが、

それでも不思議と恐怖心は感じなかった。

むしろどこか心地良いとさえ感じていたくらいである。

(どうしてだろう?  あの人とは初対面なのに……)

そんな疑問を抱きつつ家路についた私だったが、この日を境に彼女との関係が

少しずつ変わっていくことになるとは、この時の私には知る由もなかったのだった。

翌日、いつものように練習に励んでいると、不意に声をかけられたので振り返ると、

そこにいたのはあの女性だった。

彼女は笑顔を浮かべたまま近付いてきたかと思うと

突然キスしてきたため驚いて固まってしまったのだが、そこへさらに追い打ちを

かけるように舌を絡ませてきたせいで思考力を奪われ、されるがままになっていた。

その後、満足したのかようやく離れていったものの、彼女はじっとこちらを

見つめたまま動こうとしない様子なので、私は慌ててその場を立ち去ったのだった。

翌日以降も彼女と顔を合わせる度にキスされるという日々が続く中で、

次第に彼女のことを意識するようになっていくのだが、それが恋愛感情なのかどうかはわからないままだった。

そんなある日、練習中に転倒してしまい足を捻挫してしまった私は、しばらく休養することに決まったため、

暇を持て余していた。

そこでふと思い立った私は、以前から興味があった女子競輪の大会に行ってみることにしたのである。

会場に到着するなり早速受付を済ませると、更衣室でユニフォームに着替えたあと、

いよいよレースに臨むことになったのだが、緊張のせいか思うように体が動かなかったこともあり結果は散々なものだった。

しかしそんな中でも特に目立っていた選手がいた。

それが久瑠宮茜という女性だった。

彼女は圧倒的な速さで他の選手たちを次々と追い抜きながらゴールまで突き進み、そのまま優勝してしまったのだ。

その姿を見た私は、自分にもあの強さがあれば勝てるかもしれないと思って、

ますます練習に励むようになっていった。

そんなある日、久々に練習場を訪れると、偶然にも彼女とばったり出会ってしまったので

声をかけることにしたのだが、彼女はなぜか少し元気のない様子だったため心配になりつつも話を訊いてみたところ、

彼女の口から意外な言葉が飛び出してきたのであった。

(久瑠宮さん、調子悪いのかな?)

そんなことを考えながら彼女が普段使っているベンチまで案内された私は、

そこでしばらく話し込むことになったのだが、その間ずっと彼女の様子が気になっていた。

というのも、どこか思い詰めたような表情をしていたからだ。

そこで思い切って何があったのか尋ねてみたのだが、返ってきた答えは意外なものだった。

実は最近スランプに陥っているらしく、なかなか成績が上がらないことに悩んでいたのだという。

それを聞いて驚きを隠せなかった私だったが、同時に親近感を覚えたことで彼女に対して共感を抱いたのだった。

それからというもの、私と久瑠宮さんは頻繁に連絡を取り合うようになり、

一緒にトレーニングをしたり食事に行ったりする仲になったのである。

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