第9話 私と競輪⑨
これなら体力的にも余裕があるはず……と思っていたのだが、
やはりそう簡単にはいかないようだ。
序盤で少し出遅れてしまったこともあり、なかなか追いつけず苦戦を強いられることになってしまった。
結局最後まで追い抜くことができず、結果は5着だった。
ハァハァと息を切らせながら、係員に誘導されてピットに戻る途中、
悔しくて涙が出そうになったが、ぐっと堪えて平静を保ったまま戻った。
そうするとそこには美香さんが待っていてくれた。
彼女は心配そうに駆け寄ってきたかと思うと、ぎゅっと抱きしめてくれた。
その瞬間、安心感が込み上げてきて、思わず泣き出してしまった。
そんな私を慰めてくれるように、彼女は頭を撫でてくれた。
その手つきはとても優しくて心地よかったため、次第に落ち着きを取り戻すことができた。
そして落ち着いた頃合いを見計らって、美香さんは言った。
「お疲れ様でした」
その言葉を聞いた瞬間、抑えていた感情が溢れ出してしまったのか、涙が止まらなくなってしまった。
そんな私の背中を摩りながら、彼女はずっと側にいてくれた。
そうしてようやく泣き止んだ頃、美香さんは言った。
「次のレースも頑張ろうね!」
私は力強く頷き返した。
次こそは必ず勝つ!
その気持ちを胸に秘めながら、明日に備えようと心に決めたのである。
翌日以降も練習を続けていき、少しずつ自信をつけていった結果、遂に迎えたGI競走当日を迎えた。
控え室では他の選手達が集まっていて賑やかだったが、
そんな中でも美香さんの存在感は圧倒的で、皆の視線を集めているように思えた。
本人はそんなことなど全く気にしていない様子で、普段通り過ごしているように見える。
やっぱり凄いなぁと思いつつ、自分も負けてられないと思い直すと、より一層気合が入ったような気がした。
そしていよいよ出走の時を迎えることになるが、ここでもまたハプニングが起こったのだ。
なんとタイヤの状態が悪く、滑りやすい路面となってしまったのだ。
そのせいでバランスを崩してしまい、転倒してしまった私は派手に転んでしまった。
幸いにも大した怪我はなかったけれど、これでリズムを崩してしまうわけにはいかないので、
気持ちを切り替えようとした時だった。
突然美香さんが目の前に現れ、手を差し伸べてくれたのだ。
それを見て嬉しくなった私は迷わずその手を取り、立ち上がった後、改めてレースに集中することに決めたのだった。
その後もトラブルが続いたものの、なんとかゴールまで辿り着くことが出来た。
結果は6位という結果に終わったわけだが、GIレースでこれだけの成績を残せたのは大健闘と言っていいだろう。
むしろ上出来なくらいだと言えるかもしれない。
優勝は逃したものの、自分の中では納得できる内容だったので、満足していた。
とはいえ、まだまだこれからなので、気を引き締め直して臨まなければならないと思っているところだ。
それから数日後、私と美香さんは地元の競輪場に来ていた。
そこで行われるGI競走に出場するための下見に来たというわけだ。
会場に到着するなり、私達はコースを軽く走ってみた。
そうすると、予想以上に凸凹していて難しいことがわかった。
ただ、その中でも特に気になったのが下り坂である。
そこの部分だけ明らかに盛り上がっているというか、
凹凸が激しくなっているように見えたからだ。
これはもしかしたらチャンスかもしれないと思った私は、そのことを美香さんに伝えたところ、
彼女も同じ考えだったようだ。
そこで、この坂道を利用してタイムを短縮できないかという相談を持ちかけたところ、
快く引き受けてくれたので、早速練習を始めることにした。
そうして何度も走っているうちにコツを掴み始め、段々とスムーズに走れるようになっていった。
その甲斐あって、最終的には1秒以上縮めることに成功したのだ。
これならいけると確信したところでレースに臨むことになったのだが、
予想通りの展開になったことで、見事優勝を果たしたのだった。
表彰式が終わり、帰ろうとしていた時、急に後ろから声を掛けられたので振り返ると、
そこには見覚えのある顔があった。
それは先日一緒に走った女の子だった。
名前は確か……鈴木さんだったっけ?
私が思い出そうとしていると、向こうから話しかけてきた。
どうやら彼女もこのレースに出ていたようで、見事に優勝したそうだ。
しかも、私と同じ条件で優勝したのだから、驚きを禁じ得ないところだったが、
それ以上に嬉しかったことは言うまでもないだろう。
まさかこんなところで再会することになるとは思わなかったけど、
これも何かの縁だと思って仲良くすることにした。
それからというもの、私たちはよくつるむようになった。
といっても、お互いに別のチームに所属しているため、頻繁に会うことはできなかったが、
それでも暇を見つけては集まっておしゃべりしたり、
時には一緒にトレーニングをしたりして過ごしていた。
(そういえば最近あんまり美香さんと会ってないな……)
と思いながら廊下を歩いていると、前方に見慣れた後ろ姿を見つけたので声をかけようとしたが、
何やら様子がおかしいことに気が付いた。
彼女はしきりに辺りを見回したり、周囲を警戒している様子だったからだ。
気になった私は彼女に近付いていき、声を掛けた。
そうすると驚いた様子で振り返った彼女と目が合うと同時に、
その表情からは焦りの色が見て取れたことから何かあったのだと察しがついた。
心配になって何があったのか尋ねてみると、
案の定と言うかなんというか予想を上回るような出来事が起こっていたようだった。
彼女が言うには、ストーカー被害に遭っているというのだ。
それを聞いて真っ先に思ったのが彼女の美貌ならば
無理もないのかもしれないということだったが、
今はそんなことを考えている場合ではないと思い直し、彼女から詳しく話を聞くことにした。
そうすると、どうやらここ数日の間、誰かに付けられているような気がするのだということが分かったのである。
それを聞いた瞬間、私の頭の中に浮かんだ人物は一人しかいなかったけれど、
あえて口出しせずに黙っていることにした。
というのも下手に首を突っ込むと逆に迷惑になるかと思ったからである。
それにしても本当に厄介なことに巻き込まれてしまったものだと思ったが、
だからといって放っておくわけにもいかず、仕方なく手を貸すことにした。
とりあえず警察に通報することを勧めてみたのだけれど、あまり乗り気じゃないようで、
どうしたものかと頭を悩ませていると、不意に背後から声をかけられた。
驚いて振り向くとそこには見知った人物が立っていた。
その人物とは他でもない美香さんだったのだ。
彼女は笑顔を浮かべると、優しく頭を撫でてくれたあと、耳元で囁いた。
「どうしたの? 浮かない顔してるけど、大丈夫?」
その言葉にドキッとした私は慌てて取り繕うように言った。
そうすると、彼女は安心したように微笑んだ後でこう言ってくれたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなるのを感じた。
それと同時に涙が溢れそうになるが、なんとか堪えることができたようだ。
そんな私に微笑みかけながら、彼女は続けた。
「何かあったらいつでも言ってね」
その言葉を聞いただけで幸せな気分になれるのだから不思議だ。
そう思いながら頷くと、今度はこちらから話しかけることにした。
と言っても大したことは言えず、一言二言交わしただけだったけれど、
それだけで十分だった。
それだけで心が満たされていくような気がして、自然と笑みが溢れてくるのがわかった。
そうするとそれを見た美香さんも微笑んでくれたので、
なんだか照れ臭くなってしまった私は思わず顔を背けてしまった。
だけどすぐに思い直して向き直り、思い切って抱きついてみた。
一瞬驚いた様子だったものの、すぐに受け入れてくれたようで、
優しく抱きしめ返してくれた。
それが嬉しくてつい甘えてしまいたくなる衝動に駆られたが、
さすがにこれ以上迷惑をかけるわけにも行かないので、ぐっと堪えることにした。
そんな私の気持ちを察したのか、それ以上何も言ってくることはなかったからホッとした。
でも同時に寂しいという気持ちもあったんだ。
だってここ最近全然会えてなかったし、会話すらままならなかったから。
だからせめて今だけでもこうしていたいなって思っていたんだ。
でもいつまでもそうしているわけにもいかないよね? というわけで名残惜しいけど離れることにする。
そうすると、突然美香さんが私を引き寄せてキスをしてきたものだからびっくりした。
「んっ……」
という声が漏れ出ると共に、頭の中が真っ白になっていくような感覚に
襲われたところでようやく解放された私は、顔を真っ赤にして俯いてしまったけれど、
内心すごく嬉しかったことだけは間違いないと思う。
「えへへ〜」
そんな嬉しそうな声を漏らしながら、再び抱き着いてくる彼女を受け止めつつ、
私も同じように腕を回すと、そのまましばらく抱き合っていたのだった。
その後、落ち着いたところで解散することになったのだが、
帰り際にもう一度だけキスをしてから別れたのだった。
翌日になるとまた練習が始まったので、気持ちを切り替えようとしたものの、
どうしても昨日のことが頭から離れないせいで集中できなかった。
おかげで散々な結果に終わり、落ち込むことになるのだが、
そんな中で声をかけてきた人物がいた。
それは同じチームの子だった。
その子は私を励まそうとしてくれたのだろう、あれこれ話しかけてきてくれたものの、
正直それどころではなかったため、生返事を繰り返すばかりだったが、
それでもめげずに話しかけてくる様子を見ていると、次第に申し訳なく思えてきた。
なので意を決して謝ることにした。
そうすると向こうも謝罪の言葉を口にしてきたので、
これで一件落着かなと思っていたら、何故か手を握ってきた上に
顔を近づけてきたので何事かと思って身構えていると、耳元で囁かれたのだ。
「今日も練習頑張ろうね!」
と言われた途端、顔が真っ赤になっていくのが分かった。
(え!? ちょっと待ってよ! なんでいきなりそんなこと言うわけ?!)
と思ったものの、結局その日は一日中意識してしまってまともに
練習に集中することができなかったのであった。
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