第21話 柚子湯の効能と2人の話
用意が終わって、すぐに私たちはそれぞれ男湯と女湯に入った。
体を洗って、お湯に浸かる。今日のお風呂は……柚子風呂である。
最近、この世界にも柚子が存在していることを知った。今日は、柚子風呂に入るために、わざわざ特産地から取り寄せしたのだ。
お風呂には、いくつもの大きな柚子がぷかぷかと浮いている。柚子を輪切りにして入れてもよかったんだけど、今回はインパクト重視で、そのまま柚子をお風呂に投入している。
ちなみに、男湯も柚子風呂にしておいた。
ふふ。今頃、ユーリさんは驚いているだろうなぁ。
お風呂に浸かると、柚子の爽やかな香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
フレッシュな柑橘系の香りを胸いっぱいに吸い込み、「はぁ〜〜」と息を吐く。
浴槽のへりの上に腕を組んで、顎を乗せて、目を瞑る。
柚子の香りに包まれて脱力する、幸福感よ……。
⭐︎⭐︎⭐︎
お風呂から上がると、既にユーリさんがテーブルでくつろいでいた。
ユーリさんの前に私が座ると、彼はすぐに口を開いた。
「今日の風呂、すごくよかったな。最初は見た目に驚いたが……いつもの風呂より、体が温まる感じがしたな」
「そうでしょう? 血行促進効果があるから、冷え性に効くし、風邪予防にもなるのよ。あと、魔物と戦ったから、邪を払うための願掛けね」
「邪を払う?」
前世の世界では古来、強い香りは邪気を払うって考えられていたらしい。
本当は柚子湯が、風邪を払い、一年の息災を願う願掛けの季節湯として扱われていたってことは、前世の温泉巡りツアーの時にバスガイドさんに教えてもらったことだ。
今日は魔物と戦ったから、ちょうどいいかなと思ったのだ。
前世云々は言えないので、「強い香りには、邪を払うっていう迷信があるのよ〜」とぼかした説明をすると、ユーリさんは感心したように頷いた。
「なるほど。面白いな」
「でしょう? お風呂って結構面白いのよ」
「リディア嬢は、本当に風呂が好きなんだな。好きになったキッカケはあるのか?」
「え?」
「というか、そもそも何で風呂という存在を作ろうと思ったんだ?」
「……」
何気ない質問に、少しだけ言葉が詰まってしまった。
お風呂が好きになったきっかけ、ね。
それは、前世まで遡ることになるし、すぐにうまく説明する自信がないのよね……。
「……とりあえず、何か温かい飲み物飲まない?」
「? ああ」
私はすぐにキッチンに引っ込んで、柚子湯には使っていない柚子と蜂蜜を入れたホットドリンクを作った。
完成したドリンクをカップに注いで、ユーリさんに渡した。
「はい。よかったら、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
さっぱりした柚子と甘い蜂蜜のホットドリンク。ほのかな甘い蜂蜜の香りが心地よくて、一口飲めば、既に温まっていた体が更にポカポカするのを感じた。
ほっと一息を吐いて、前世のことをどう話そうかと思案する。
しばらくしてから、私は静かに口を開いた。
「ずっと
……前世の「私」の話だ。
私は、幼い頃に両親を亡くして、親戚に引き取られて、育てられた。新しい家族にいじめられて惨めに暮らす……なんて展開はなかった。
新しい家族は普通に優しくて、穏やかに暮らすことが出来たから、今でも感謝している。
それでも、もちろん両親がいないことに悲しくなる時もあって。けれど、その悲しみを新しい家族の前で出すのは、何となく気が引けていた。
そんな中で、お風呂に入れば、無条件に一人になれるから、取り繕わない自分でいられた。ぼんやりとお湯に浸かっていれば、嫌なことを考えずに済んだ。
お風呂は、悲しみを抱えた私にとっての唯一無二の安全地帯だったのだ。
多分、それが理由で、お風呂が好きになったのだと思う。
転生してからも、お風呂が癒しの存在になっていたのは確かだ。あの王子の婚約者としての業務に疲れたら、すぐにお風呂に直行した。お風呂に入れば、嫌なことを忘れられるし、王妃業の疲れも取れるからね。
「お風呂に入っていれば、一人でいても許されるし、何も考えなくていいし、癒されるから、私は好きになったのよね」
「……」
「毎日必死に生きてると逃げたくなる瞬間はあるし、その時に癒される場所が欲しいじゃない? だから、私の提供するお風呂が、誰かの癒しで、逃げ場になればいいなって思って、るの……」
段々恥ずかしくなってきて、変な汗かいてしまった。ちょっと語りすぎちゃったかもしれない……。
しかし、私の焦りとは裏腹に、ユーリさんは再び感心したように頷いた。
「リディア嬢は、自分の意思を持って、誰かのためになる風呂カフェを経営しているんだな。答えにくいことを教えてくれて、ありがとう」
「いいえ、とんでもない」
そこでユーリさんは自嘲するように、眉を寄せた。
「リディア嬢は、明確な志があって、本当にすごいな」
「そう?」
「俺なんて親の言いなりになって、騎士団に入っただけだから……」
「そうなの?」
私が聞き返すと、彼は目を伏せつつ頷いた。
「君みたいに特別な志があって、始めたことじゃないんだ。俺は親に歯向かえないし、命令に背くことが出来ないから、騎士団長になっただけで……」
「……」
「だから、自分の意思で突き進む君を尊敬する」
ユーリさんはそれ以上語るつもりはないらしく、口を閉ざしてしまった。どうやら、彼には深い訳がありそうだ。
きっと、ユーリさんは真面目だから、理由もなく騎士団にいることに後ろめたさを感じてるんだろうな。
「特別な理由なんて無くてもいいじゃない。だって、事実として、ユーリさんに助けられている人は沢山いるんだから」
「……そうだといいのだが」
「実際そうなのよ。さっきも、私を魔物から守ってくれたじゃない? 私、あんな風に助けられたのは初めてなの。だから嬉しかったわ」
前世の境遇もあるし、今世でも公爵令嬢として当主である父に甘えたことはなかったから、誰かに助けてもらったことがあんまりないのよね。
だから、婚約破棄された時も「誰かに助けを求める」っていう考えより先に、「よっしゃ、さっさとお風呂に入りたいし、このまま罪認めちゃおう!」みたいな思考になったのよね。
今まで誰かに助けられたことなんてなかったから、ドラゴンから守るために、私の手を引いて助けてくれたことが結構嬉しかったのだ。
「ユーリさんに救われてる人は沢山いるんだから、自信持った方がいいわ」
「……そんな風に考えたことなかったが、リディア嬢の言う通りだな。ありがとう」
「いいえ〜。ふふ。こんなに語っちゃったの、初めてだわ」
柚子湯には、話を促進させる効果でもあるのかしら。それか、ユーリさんは真摯に話を聞いてくれる安心感効果かしらね〜。
「俺もつい話しすぎてしまった。変な話をしてすまない」
「変な話とは思わなかったけど……。じゃあ、今日話したことは私たちだけの秘密ってことでいいかしら?」
「もちろん、そうしてくれると助かる」
「じゃあ、指切りげんまんしましょう?」
「ゆ、ゆびきり?」
「こうするのよ」
私は小指を差し出して、ユーリさんの小指に絡めた。
「ゆびきりげんまん……」
不思議ね。
さっきまでユーリさんと手を繋ぐ機会なんて沢山あったのに、今、触れてる指先が熱く感じるなんて。
……急激にお風呂の効能が効き始めたのかしら。そんな効能があったのかしらね。
「……ゆびきった」
そう言って、指を離した。
少しの間が空いた後、ユーリさんが神妙な面持ちで口を開いた。
「思ったのだが……、針千本は現実的に難しいのではないだろうか?」
真面目すぎる言葉に、私は思わず吹き出してしまった。
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