第6話 ジンジャー風呂で心と体を温めよう!




 ユードレイス領に到着してから10日ほどが経過した。


「うわ、寒っ」

「流石、極寒の地ね。底冷えするわ」


 買い出しのためにルークと共に外へ出ると、あまりの寒さに思わず身を縮ませてしまった。


 ハアッと手に息を吐くと、白い息が出る。まだまだ雪の降る季節ではないが、今でもかなり本格的な寒さだ。


 私たちが外に出ると、ヒソヒソと囁き声が聞こえてきた。


「あの女、男爵令嬢をいじめて王子から婚約破棄されたんだって」

「うわ性格悪っ! なんでそんな女がこの土地に来たんだ?」

「婚約破棄されたことが原因で公爵家からも見放されて、ここに追放されたらしい」

「家族にまで愛想尽かされるとか、どれだけ性格悪いんだよ……」

「早くこの土地から出て行ってくれないかな」


 私はそれらの声を振り払うように、足早に歩き始めた。



 どうやら私はこの土地の人間から嫌われているらしい。私が外を出歩くといつも必ず悪口が耳に届くのだ。

 婚約破棄の噂がかなり脚色されて、ここまで伝わってしまっていることが原因みたいだった。


 そんな状況だから、私が経営する風呂カフェに来てくれる人なんておらず、今の所の来客数は0人である。


「リディア様、大丈夫ですか?」


 隣を歩いているルークが気遣わしげにこちらを見てくれる。


「気にしてないから。心配しないで大丈夫よ」

「しかし……」

「なぜなら私が気にしてるのは、常にお風呂のことだけ。今日はどんなアロマオイルを使おうかしらね〜」

「心配した俺がバカだった。相変わらずの風呂バカ強メンタル」

「ちょっとアンタまで悪口に参戦しないでよ」


 ついに住民だけじゃなくて、護衛騎士まで悪口を言い始めた。世も末だな。まあ、私がお風呂大好きすぎるのがいけないんだけど。


 まあ、住民から悪口を言われてるとはいえ、こんな感じで従者と軽口を叩けるくらいには割と元気である。



「ただいまー」


 無事に買い出しが終わり、風呂カフェ兼住宅に戻ってくる。暖炉が設置されているので、家の中は温かい。


 カフェスペースでは、リーナが掃除をしてくれていた。


「おかえりなさい。今日も変わらずでしたか?」

「変わらず悪口三昧よ。ルークにまで言われたわ」

「裏切り者ですね。ひどい男です」

「そうね〜。最低よね」

「ちょっとそこ、ヒソヒソするのやめてくれません?」


 ルークがげっそりした顔で訴える。


「まあ、悪口によって冷え切ってしまった私の心を溶かすのは」

「リディア様はいつも頭が沸いてるので、冷えきるも何もないのでは?」

「何よりもお風呂よね! 入ってくるわ!」


 ルークの言葉は無視して、私は今日買ったものを掴んでお風呂場へと向かった。どうせお客さんも来ないしね。


 私が経営を始めた「風呂カフェ・ほっと」。


 この店は明るくて優しい雰囲気をイメージしていて、壁紙は淡いオレンジ色を使用している。飲食スペースには、木のテーブルや椅子をいくつか置いておいて、お風呂に入った後にゆったりくつろげるようにしている。


 そして、風呂場には淡い色のタイルを用いて、落ち着きのある浴場になっている。


 ふふふ。全部、王家から奪い取った慰謝料によって作ったものよ。


「今日は何風呂にするんですか?」


 我が城であるお風呂にうっとりしてると、後ろからリーナが声をかけてきた。どうやら彼女もお風呂に入るつもりらしい。


「今日は特に冷えるからね。温まるように、ジンジャーお風呂にしようかなって思ってるの」

「ジンジャー? 生姜ですか?」

「そうよ」


 前世の日本では、江戸時代に、その時期にぴったりの効果があったり、その時期に栽培される季節の果物や植物を入れる“季節湯”が人気を博した。

 12月の柚子湯とか5月の菖蒲湯とかが有名だけど……。実は、生姜は前世における10月の季節湯で、秋から冬に移り変わる寒い時期にピッタリなのよね。


「今日は生姜を買ってきたから、それを使うわ。血行促進効果があるから温まるわよ〜」

「へぇ」


 さっそくスライスした生姜ををすりおろす。ガーゼに包んだすりおろし生姜を、何個かお風呂に投入。

 香りも楽しみたかったので、オレンジのアロマオイルを植物油で薄めて、入れすぎないように気をつけながらお風呂に数滴投入する。すると、柑橘系の華やかな香りがお風呂の中に漂った。


 私とリーナはすぐに服を脱いで体を洗って、お風呂に入った。


「はぁぁぁぁぁぁ、あったまるわね〜」

「そうですね。疲れが取れていきます」


 オレンジの香りを存分に感じながら、熱いお湯を肩にかける。寒さによる肩こりがほぐれていく。それに生姜効果によって、ぐんぐん体が温まっていくのを感じた。


「この広いお風呂を独占できるなんて、嬉しいです」


 ふいにリーナが呟いた。


「ああ、屋敷にいた時は、侍女たちみんなで入ってたんだっけ?」

「はい。あれも楽しかったですが、この優越感と背徳感はここでしか味わえないですから」

「まあ、店が繁盛すれば、こうしてゆっくり入ることもできなくなるんだけどね」

「なら、一生繁盛しなくていいですね」

「ちょっと、聞き捨てならないじゃない!……まあ、繁盛しなくても暮らしていけるくらいのお金はあるからねぇ」


 国からの慰謝料が莫大だったから、それだけでもしばらく暮らしていけるくらいの金額にはなった。


 しかも、それに加えて、父からの支援金をもらったのだ。何度も断ったのだけど、父は頑なで、最終的には「受け取ってくれ」と頭を下げられてしまった。そういった経緯があり、父からの支援金を受け取るに至ったのだ。


 というわけで、しばらくは生活に困りそうにない。けれど……


「でも、お父様には恩返ししたいし、お風呂の良さは広めたいから、繁盛したいわ」


 私がポツリと呟くと、リーナはクスッと笑った。


「そうですね。それじゃあ、一緒に頑張りましょう」

「ええ、そうね!」

「まずは悪評の誤解を解くところからですね」

「うっ、それが大変なのよね……」


 現状、店の周囲の住民たちは私のことを「悪女」としか認識してない。なんなら怪しい店を経営していると思って、近づこうとすらしないのだ。


「なんで、こんなに私の悪評が流れてるのかしらね」


 私の疑問に、リーナが少し考え込んでから口を開いた。


「……少しおかしいんですよね」

「何が?」

「ユードレイス領は王都から離れてますし、噂が広がるには早すぎます。それに、あまりにリディア様の印象が脚色されすぎているというか……」


 私たちの間に沈黙が流れる。

 彼女の言う通り、この地での私の嫌われ具合は少し異常だ。何か特別な理由があるのだろうか。


「まあ、考えても仕方ないわ。とりあえず店の宣伝を頑張る。それに尽きる」

「そうですね。頑張りましょう」


 とにかく頑張るしか道はない。なぜなら、風呂カフェ経営を頑張ろうと決めたのは、他でもない私なのだから。


 私は改めて気合いを入れ直した。

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