第5話 公爵家との別れ
ぐすんぐすんと啜り泣く声が響く。
「お、お嬢様がっ、この屋敷から出ていくなんて耐えられませんっ」
「私たちにお風呂という娯楽を教えてくれたのはお嬢様なのにっ」
「わた、わたしっ、王家に抗議に行ってきますっ」
「こらこら、やめなさい」
今日は私が公爵家を出て行く日である。王家との話し合いの末、慰謝料を頂戴することができた。そのお金で無事、風呂カフェを開業することは叶いそうである。
今は、公爵家を出て行こうとしている私を、馴染みの侍女達がお見送りをしてくれているところだ。
彼女たちは涙ながらに言葉を続ける。
「お嬢様が出て行かれるなんて、耐えられません! しかも、ユードレイス領に行くなんて、ここから遠いじゃないですか……」
「うーん。でも、そこで暮らすことが国王からの条件だったからねぇ」
そう。慰謝料について話し合った時に、国王から条件を2つ出されたのだ。
1つ目は、「絶対に国内から出ないこと」。
2つ目は、「ユードレイス領で暮らすこと」だった。
前者の意味は分かる。私が国外逃亡することで、私の力が他国に奪われないようにという魂胆からの発言だろう。
しかし、後者の意図するところは全く分からないのだ。
ユードレイス領は国の最北端に位置する。多くの魔物が生息しており、「極寒の地」と呼ばれる辺境のことである。
国の最果てである辺境に滞在させたら、私が国外逃亡しやすいとは考えなかったのだろうか……。
何か、他に王家側の思惑があるのだろうか……。
まあ、分からないことを考えても仕方がない。風呂カフェ開業の妨げになる条件だとは思わなかったから、受け入れたのだし。
「寒い土地にお嬢様が行かれるなんて〜〜っ」
「大丈夫よ! 寒さはお風呂の最高のスパイスだからね!」
「寒い日に急激に熱いお湯をかけると、危ないって、前にお嬢様が言ってたじゃないですか〜〜〜」
「……」
ヒートショックのことね。そこはもちろん注意するつもりだ。
私は空気を変えるように、パンパンと手を叩いた。
「とにかく、私は明るい気持ちでユードレイスへ行くのよ! それに、あなたたちだって私がいなくてもお風呂ライフは楽しめるわ」
「そういうことじゃないんですよ〜〜」
侍女たちは「こうなったら力ずくでユードレイス行きを止めてやる」と私ににじり寄る。やばい。目がマジだ。
彼女たちがいよいよ私に襲い掛かろうとした時、私の目の前に二つの影が立ち塞がった。
「あなたたち、リディア様が困っているからやめなさい」
「まーだ別れを惜しんでたんですか? もう出発する時間ですよ」
「リーナ、ルーク!」
目の前にいるのは、私の専属侍女のリーナと専属護衛騎士のルークだった。
2つ年上の彼らは、幼少期から私に仕えてくれており、今回のユードレイス行きについて来てくれる唯一の従者である。
ちなみに、美しい緋色の髪を持つ2人は、男女の双子でありながら容姿が瓜二つである。
「リーナとルークはいいわよね! お嬢様について行けるんですもの!」
侍女の1人が文句を言うと、リーナとルークは顔を見合わせて肩をすくめた。
「いやいや。これからもリディア様の“お風呂バカ”に付き合わなきゃいけない俺たちの気持ちにもなって下さいよー」
「私はユードレイスの雪
「はあ⁈ そんなに言うならついて来なくて結構よ!」
敬いの欠片もない言葉に、私は頬を膨らませる。そして、私は侍女たちを振り返った。
きっと2人の不敬すぎる言葉に怒ってくれるだろうと思ったんだけど……。
「まあ、お嬢様が“お風呂バカ”なのは否定できないですよね」
「二言目には必ずお風呂って言うところはどうかと思いますし……」
「婚約破棄された直後にも関わらず、嬉々としてお風呂に直行する姿を見た時は流石にドン引きしましたよねぇ」
「え、味方がいない……?」
あれ。おかしいな。この子達、私との別れを惜しんでた筈なのにな。
「もう、いいわよ。私は1人でも行くから」
「あーあ。拗ねちゃった。リーナのせいじゃん」
「ルークのせいでは?」
「2人のせいよ。責任擦りつけ合ってるんじゃないわよ、まったく」
私たちが騒いでいると、公爵邸の扉が開いた。
「お前たち、何を騒いでいるんだ」
「お父様」
公爵邸から出てきたのは、父だった。私を見送ってくれるつもりらしい。
父は呆れた目で私たちを見ている。当たり前だけど、彼は公爵家当主なので、この地に残る。父とは、しばらく会えなくなるのだ。
父は懐かしげに目を細めて、私を見つめた。
「リディアは、死んだ妻……お前の母によく似てる」
「そうですか?」
私の母は、私が生まれてすぐに亡くなってしまった。
だから、肖像画でしか彼女の姿を知らない。私の藍色の髪は母譲りだけど、タレ目で大人しそうな母の肖像画を見て、特別似ていると感じたことはなかった。
しかし、父は確信に満ちた表情で頷いた。
「ああ、本当に似ている。特に好きなことに向かって真っ直ぐなところがな」
「お母様は何が好きだったのですか?」
「……彼女は喫煙することが好きだった。毎日パイプでタバコ吸ってたし、彼女の情熱は王家御用達の銘柄を作ったくらいだった」
「そうだったんですね」
初めて聞く、意外な母の話に驚く。
「……というか、リディアは母方の家系の血を確実に引いてるんだよな。祖父は女体画コレクターで絵画に恋情を抱いていたし、叔父殿は賭け事が好きで常にイカサマの方法ばかり考えていた。それに……」
「お父様、そのラインナップに私が入るのすごく嫌なんですけど……」
その一員に可愛い娘を入れますか、普通⁈
というか、なんで公爵家の人間は、感動的な別れを告げることができないのわけ? そういう呪いにかけられてるの?
……まあ、私も突然婚約破棄されて、婚約者としっかりとした別れができていないので、呪い説はあるな。
そんなことを考えていると、父が控えめに手を広げてきた。
「リディア、最後に抱きしめてもいいか?」
父の言葉に目を見開く。
私たちに、今までそんな交流なんてなかった。父も公爵家当主として忙しかったし、私の方も王妃学とかお風呂研究で余裕のない日々を送っていたから。
「もちろんです。お父様」
私は微笑んで、父の胸の中に飛び込んだ。父は私の耳に囁く。
「私はリディアを応援してるし、いつまでもお前の味方だ。疲れたら遠慮なく帰ってきなさい」
「ありがとうございます。私もお父様のご健勝をお祈りしてます」
最後にお互いの背中をポンポンと叩いて離れた。
「それじゃあ、行ってきます!」
そう言って、リーナ・ルークと共に馬車に乗り込む。
馬車が走り出すと、窓の外の公爵邸がどんどん小さくなっていくのが見えた。遠くから「お嬢様〜! 行ってらっしゃい〜!」という声が聞こえてくる。
これから向かうは、極寒の地・ユードレイス。魔物たちが蔓延る、閉鎖的な土地だ。この場所を私に提示した国王の思惑は分からない。
けれど、新たな土地で精一杯頑張りたい。「風呂カフェ」を成功させたい。
そう、強く思うんだ。
私は決意を新たにして、慣れ親しんだ地に別れを告げた。
そのはずだったんだけど……。
ユードレイス領に辿り着いてから、私は現実の厳しさを知ることになる。
「お客さんが全然来ないなんて……!」
風呂カフェを開店してから10日。お店に訪れた客の数は0人。
意気込んで来たはいいものの……、いきなり前途多難なんですけど⁈
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