第3話 父の激昂と慈愛




「あら、分かりませんよ。やっていたかもしれません」

「真面目に答えろ」


 コロコロと笑いながら答えるが、父は険しい表情だ。とはいえ、私だって公爵家のことを考えていないわけではない。私は真剣に話し始めた。


「公爵家に迷惑をかけるつもりはありません。セドリック様が言っていた“私の罪”に関しては、どれも犯罪にはあたりませんし、認めたところで投獄なんてされません。公爵家の汚点になることはないかと思います」


 身分が下の者を不当に虐げたとして「私」のイメージは下がるだろうけど、被害はそれだけだ。

 そもそも嫌がらせが人前で婚約破棄してもいい正当な理由にならないのだから。


 しかし、それでも父は納得していないようだった。


「そういうことを言ってるんじゃない」

「社交界での公爵家の体裁のことでしょうか? それなら、公爵家として、罪を認めた私を追放という形を取るのはどうでしょうか? 悪女に罰を与えたとして、公爵家に賞賛と同情が集まるかと」


 ペラペラと自然に言葉が出てくる。


 婚約破棄を受け入れる上で、公爵家への被害を考えなかったわけではない。


 婚約破棄を受け入れたことで、社交界における公爵家の評価が下がってしまう可能性は考えられることだった。

 それを回避するために公爵家がまず取るべき行動は、「悪女の追放」だ。そうすることで、私と公爵家は無関係を主張できるから。


 それに、追放先で「やろう」と決めていることもあって……。


「我が家には優秀なお兄様がいますし、国に多大な貢献をしてきた公爵家を途絶えさせるほど、王家もバカではないでしょう。お父様が気にするほどではないかと」

「そういうことじゃない」

「婚約による王家との繋がりのことでしょうか? 王家との繋がりが途絶えてしまったのは、私の不徳の致すところです。けれど、出会った時からセドリック様の寵愛を得ることは出来ていなかったので、どちらにしろ時間の問題だったかと」

「そういうことじゃない! 私は、娘を守ることすらさせてもらえないのかと言ってるんだ!」


 父は声を荒らげた。


「……え?」


 突然の激昂に驚いていると、彼は頭を抱えて悲痛そうな声を出した。


「あんな罪状、少し考えれば誰だって嘘だと分かる。それをリディアがすぐに認めてしまえば、一気に庇うことが難しくなる」

「……」

「罪を否定した上で、あのバカ王子と婚約破棄をする方法だってあったはずだ。あったはずなのに……」


 てっきり叱られると思っていた私は、父の言葉に唖然とする。

 父がそんなことを考えていたなんて知らなかった。


「……お父様は、婚約破棄を受け入れたことを怒っているのではないのですか?」

「怒るわけがない。怒るとしたら、あのバカ王子とそれを野放しにしたバカ王家どもだ」

「ふ、不敬ですよ?」

「そもそも8年前だって、この婚約を進めたくなかったんだ」

「そうなのですか?」

「当たり前だろう。リディアがあんな侮辱を受けているのに、あの婚約を喜ぶ親がいるか。……だが、王家との縁談を無理に断れば、他の良縁を潰される可能性があったんだ」

「……」


 もしかしたら、父は王家から脅されていたのかもしれない。それを黙っていたのは、私が不安に感じないようにするためなのかもしれない。何となく、そう思った。


「それに、王家との縁談は条件だけを見れば、リディアの婚約相手としてこれ以上ない相手だった。あの時のセドリック様はまだ若かったし、いくらでも変わる機会はあるだろうと思ったのだが……。私の見通しが甘かったこと、本当に申し訳なかった」

「お父様が謝ることではないですよ」

「いいや。私の責任だ」


 父がそんなことを考えていたなんて、本当に知らなかった。昔から忙しくて厳格な人だったから、ほとんど話したことなんてなかったし、あえて話そうともしてこなかった。

 それこそ、まともに話したのなんて、お風呂についてプレゼンした時くらいだ。


 だから、父の本音を知ることなんてなかったのだ。



 

 父はまだ頭を下げたままだ。


 公爵家にも事情があると考えていたから、この婚約に関して父には怒ってはいない。けれど、ここで謝罪を否定し続けるのも違うだろう。


「分かりました。謝罪を受け入れます」

「謝罪を受け入れてくれたこと、感謝する。リディア」

「でも悪いことばかりじゃなかったんですよ? 王妃学なんて王子の婚約者にでもならなければ、なかなか学べないことでしたし」

「リディア……」

「あと男の理想値が下がったので、結婚しやすくなりましたね」

「リ、リディア……」


 私はクスクスと笑う。さっきまでの緊張感はすっかりなくなり、私たちの間に気安い空気が流れた。


「それにしても、セドリック様は見事にブレなかったですねぇ」


 彼は最初の顔合わせで宣言した通り、金髪碧眼美少女をゲットしたのだ。

 ある意味、初志貫徹。そういうところは見習おう。そんなことを考えていたら、父がすかさず言った。


「何を言ってる。リディアだってブレないだろう」

「え?」

「お前、婚約破棄の時は風呂のことばかり考えてただろう。屋敷に帰ったらさっさと風呂に入るしな」

「……あ、あはは」

「まあ、それはともかく。今回の件については、王家に正式な抗議をしようと考えている。後のことは私に任せて、リディアはしばらく屋敷で休養していなさい」


 父はそう言って話を締めようとした。しかし、私は慌てて首を振った。


「いえ、待ってください。私は、私を追放して頂きたいんです」

「はあ? 何を言ってるんだ?」

「王家と真正面から戦うのはお父様だって大変ですよね? それなら、罪を認めた私を追放した方が丸く収まります」

「しかし……」

「それに、私は公爵家を出て、やりたいことがあるんです」

「やりたいこと?」


 メリットとデメリットを考えた上で婚約破棄を受け入れたように、「追放」のことだって、何も考えずに提案したわけではない。


「私、風呂カフェというものをやりたいんです」

「ふ、ふろかふぇ?」


 そう。私が考えていたのは、追放先で「風呂カフェ」を開くということだった。入浴する場所と軽食を提供するカフェである。


 なぜ「風呂屋」ではなく、「風呂カフェ」かと言うと、カフェならば初見さんが入りやすいだろうと考えたからだ。


「私は、お風呂という文化をもっと広めたいんです。もっと色んな人に知ってもらいたいんです。そのために、公爵家を出てお店を開きたいんです」


 この世界に入浴という文化はない。だから、入浴に伴うグッズがまったく開発されない。すべて自作で賄ってきたのだ。

 でも自作するには限界があるし、新しい発見がない。それに、他の人の作った入浴剤とかバスボムとかも欲しい。



 なら、私が「お風呂」という文化を広めて、他の人も作るように促すしかないよね?


「お父様は、親不孝者の娘を許して下さいますか?」

「……お前は、本当にブレないな」


 父は少しだけ笑って、頷いた。


「分かった。これまで公爵家の娘として無理をさせてきたんだ。これからはやりたいことをやりなさい」

「ありがとうございます」

「店を始めるに当たって、私から個人的に支援もさせてもらう」


 父はそう言うが、私は首を振った。


「その申し出は大変ありがたいのですが、恐らく必要ないかと思います」

「どういうことだ?」

「そろそろ来るはずですから」


 その時、執務室の扉がノックされた。入ってきた侍女は手紙を差し出してきた。


「国王陛下からの手紙が届いております」

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