31話:もう温泉を諦めるのですか?
コユキに「女心」を説かれた昼食を終えて。
下山の為に来た道を戻りつつ、俺は「そう言えば」と蘇って来た話を語る。
「先の話を聞いて思い出したのだが、以前“マニ”にも似たようなことで怒られたことがあってな」
「マニさん、ですか?」
情報屋:マニ。
一時期だが旅を共にしていた少女で、先日『国境の町:ラクヴィル』で久方ぶりに再会したのは記憶に新しい。
「彼女と旅をするようになって3ケ月後くらいの事だったか。マニが髪型を変えたことに1週間気付かなくてな、後日ネチネチと愚痴を言われ続けた」
「そ、それはまた大変でしたね……。しかしキリサメ様、女性が髪型を変えたら触れてあげないと駄目ですよ。髪飾りよりも大きな変更なのですから」
「いやしかし、そうは言ってもだな、髪の結び目を数センチ下げただけの話だぞ? それで気付けと言う方が無理がある」
「それでもマニさんは気づいて欲しかったんですよ。それが女心というモノです」
「ふむ……やはり女心は難しいな」
理解出来たつもりになっても駄目だとコユキは言っていたが、恐らく理解出来たつもりになる日は一生来ないだろう。
そもそも他人の心を完全に理解することなど不可能で、他人の心を完全に理解するというのは、自分の心を完全に理解されるも同義。
もしそんな世の中があれば、そこは地獄と言っても過言ではない――かもしれないという与太話はさて置き。
考えながらも、ふと思った疑問を問う。
「かく言うコユキも、髪型が変わったら指摘して欲しいのか?」
「勿論です。髪型と言わず、普段と違ったところがあったら指摘して欲しいですね。ちょっとした変化に気付いて下さると言うことは、それだけキリサメ様が
「そうか。それなら今後は善処しよう」
彼女がそこまで言うのであれば、こちらとしても期待に応えねばなるまい。
そこですぐさま脚を止め、顔を近づけてコユキを見つめる。
「えっ、な、何ですか?」
「いや、普段と違うところを指摘する為にも、普段の姿を焼き付けておかねばと思ってな。しばし観察させてくれ」
「は、恥ずかしいのであまり見ないで下さい……ッ」
「だが、目に焼き付けておかないことには普段との違いがわからないではないか。ほら、顔を上げて」
「そ、そういうのは何となく気付いてくれればいいんですよッ。特別意識しなくても、自然と気付けるようになって下さればいいのですッ」
グイっと、下を向いたコユキに無理やり押し返された。
彼女の期待に応えようとした結果なのだが、コレはコレで望まぬ方法らしい。
(う~む、目に焼き付けろと言う割にあまり見るなと言ったり……随分と難易度が高い。やはり、俺に女心を理解するのは不可能なようだ)
心の中で溜息を吐きつつ、実際には「やれやれ」と首を振って。
だけど、それでも、先ほど一瞬だけ見ることが出来た、寒さで紅潮したコユキの顔を忘れない為にも。
下山の道中、すぐ後ろにいる彼女の姿を、前を向きつつ何度も何度も頭の中に思い浮かべた。
■
~ 翌々日 ~
昨日の“休憩日”を挟んで、本日もコユキと共に雪山の「冒険」へと出掛けることにした。
本当は昨日も出掛けるつもりだったが、天候が荒れてしまったのと、流石に連日の雪山登山はコユキの負担も大きいだろうと休息に当てた次第となる。
俺一人であれば吹雪の中でも無茶が出来るが、無理にでも付いてこようとする彼女が居る場合は致し方ない。
まぁお陰で久しぶりに丸一日ゆっくり出来たし、誰に急かされる訳でもないので別に構わないだろう。
「キリサメ様、今日は温泉が見つかるといいですね!!」
「そうだな。まぁ情報が少な過ぎるから期待過ぎるのも良くはないが……」
雪山を歩き出して間もなく。
後ろを付いて来るコユキから明るく力強い声が届くも、こちら的には力強い答えを返せないのが悲しいところか。
「確か先日のお話では、“魔王城より高所にある”ということでしたよね。キリサメ様は何方からこの情報を得たのですか?」
「以前、酒場で出逢った登山家に聞いたのだ。なんでも山頂を目指して登っている時、吹雪に見舞われて遭難したらしくてな。一向に天気が回復せず、半ば強行的に下山を試みる最中、足を滑らせて転がり落ちた先で偶然見つけた、との話しだった」
「はぁ~、それはまた災難でしたね。遭難の最中の出来事となれば、記録に残すのも難しかしそうです」
「そういうことだ。実際、その登山家は記録を残そうと試みたが、温泉を出て間もなく雪山狼に遭遇して、記録云々どころではなかったと言っていた」
「あぁ~、それは致し方ないですね。無事に下山で来ただけでも御の字です」
遭難、もしくは雪山狼に襲われて命を落としていても何ら不思議ではなかった。
登山家の無事に安堵の息を漏らすコユキだが、しかしその表情は少し怪訝。
「何か腑に落ちないか?」
「いえ、腑に落ちないと言う程ではないのですが、どうして登山家さんは山に登るのでしょう? 危険を冒してまで山を登って、何か良いことでもあるのでしょうか?」
「ふむ……良いことかどうか俺にはわからないが、この雪山に関して言えば『名誉』の為に挑んでいるらしい」
「名誉、ですか?」
「あぁ。魔王城があるこの雪山は未だ登頂者がいないんだ。だから登山家の中では、誰が最初にこの
「はぁ、男心ですか。今の
「安心しろ。俺もいまいち理解していないからな」というのは半分嘘。
“人類未踏の地”というだけで少しばかり心躍るモノがあるのは確かだが、しかしその為に命を賭けられるかと言えば「否」。
魔王討伐の旅は「地球に帰る為」という目的があったから頑張れたが、名誉だけの為に命を張れるほど「冒険」に心酔していない。
そもそもの話をすれば、防寒着や登山装備にも限界があるこの文明レベルでは、雪山攻略は難易度が高過ぎる。
雪山の正確な高さすらわかっていないが、晴れた時に見える景色は富士山以上の高さがあるし、4000メートル、もしくは5000メートルを超える可能性もあるだろう。
地球で一番標高が高いエベレストの山頂は、今でこそ何百人もの人間がツアーで毎年登頂しているが、時代的に見ればそれは極々近年の話だ。
比較的安全なルートが構築されたから出来る話で、それも絶対に安全という訳ではないし、難しいルートの山は、未だにほとんどの人間を寄せ付けない厳しさ・怖さを孕んでいる。
(正直な話、今の文明レベルでこの雪山を攻略するのは実質不可能に近いだろう)
それでも、今こうやって雪山を冒険しているのは、湯船に浸かりたいという己の欲を満たす為。
「――さて、少しばかり話が逸れたな。今日は一昨日と違うルートを登ってみて、目視出来る範囲に温泉があるか探してみよう。それで駄目なら、次回の冒険はしばらく未定だ」
「あれ、もう温泉を諦めるのですか?」
「諦める訳ではないが、ルートを外れるとなれば益々足場が悪くなる。“その藁靴”ではいよいよ限界だろう」
俺が落とした視線の先。
雪に埋もれる己の藁靴を見て、コユキが口を真一文字に結ぶ。
「すみません。
「別に謝ることではない。こんな雪山に足を踏み込もうという方がどうかしているのだからな。まぁ別に、俺一人で出掛けてもいいのだが――」
チラリ。
藁靴から視線を上に上げると、少し寂し気な、同時に少し不機嫌なコユキの顔が映った。
途中まで出していた言葉の方針転換は必須か。
「――やはり、俺一人で出掛けるのは辞めておく。先日頼んだコユキの防寒靴が出来たら、改めて温泉探しの冒険に出かけよう」
「はい、是非
「そうだな。城に一人置いて行って、後から拗ねられても困るしな」
「えぇ、それはもう拗ねますよ。今後キリサメ様にお出しするお料理が、全部しょっぱくなっても知りませんからね」
「それは……本当に困るな。肝に銘じておこう」
―――――――――
*あとがき
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