4話:気が変わった、やはり朝食を頂こうか

 真面目な話、異世界での“トイレ事情”は中々に辛いものがある。

 綺麗な話ではないので詳細は省くが、東京での清潔な水洗トイレに慣れていた身からすると、初めてトイレに入った時にガッカリした思い出は今でも記憶に新しい。

 まぁ異世界に来て2年が経つので、今更文句を言うつもりも無いが……ともあれ。


 この魔王の城において、トイレは1階と2階の「2か所」に設置されている。

 寝起きでもよおしていた俺は、いつも通り2階のトイレで用を済ませ、それから螺旋階段でロビーに降りようとして――そこで、普段とは違う「異変」に気付く。


(ん? 暖炉に火が……あぁ、そう言えば“監視役の娘”が来たのだったな)


 確か、名を「コユキ」と名乗っていたか。

 国王の手先と考えれば追い返したいところだったが、それも可哀想だったので城に入れたのだ。


 昨夜、俺が寝る前は椅子の上で身体を温めていた筈だが、今現在は暖炉の前に娘の姿が無く、丁寧に折り畳まれた毛布が椅子の上に乗っているだけ。

 かと言って全く気配が無い訳ではなく、アーチ壁を挟んだ隣のキッチンから「ふんふん♪」とご機嫌な鼻歌が届く。


「あっ、勇者様。おはようございます」


 螺旋階段の軋む音で気づいたのだろう。

 娘がこちらを振り向き、これまた年季の入ったエプロン姿で、何故かにこやかな笑みを向けて来た。


「……こんな朝から何をしている?」


「勿論、朝食の準備です」


「……だろうな」


 ダイニングテーブルには皿とパンが置いてあり、彼女が立つ竈の上には白い湯気を上げる鍋がある。

 無駄な質問をしてしまったと反省する間に、娘がダイニングテーブルの椅子を「よいしょッ」と引く。


「すぐに出来ますので、勇者様はこちらにお座り下さい。あ、パンの焼き加減は如何しましょう?」


「いや、悪いが俺は基本的に朝食を取らない。山羊のミルクを温めて飲むだけで十分だ。朝はキミ一人で食べてくれ」


「あ……そう、でしたか……」


 しゅんと落ち込んだ娘の顔。

 昨夜に続き、再び不必要な罪悪感を俺に植え付けようとするが、そんなモノに心を動かされるほど柔な心臓はしていない。


 何せ俺は勇者だ。

 国王に踊らされていただけの偽りの勇者かも知れないが、それでも『魔王』と『七匹の怪物』を倒したのは事実。


 娘の落ち込んだ顔如きに心を動かされるほど、柔な心臓はしていない。

 柔な心臓はしていない、が――


「ごめんなさい。出過ぎた真似をしてしまいました。すぐに片付けますので、勇者様はわたくしに構わずおくつろぎ下さい」


「………………(何だ“コレ”は?)」


 心に重しを載せられた気分だ。

 俺は普段通りの生活を送っているだけで、何も悪い事などしている筈が無いというのに――それなのに、しゅんと落ち込んだ娘の顔を見ると、何だかこっちが悪い事をしてしまった気分になってしまう。


(これだから人間関係は面倒なのだ……。誰かに構って嫌な思いをするくらいなら、一人の方がよっぽど気楽に暮らせるというのに)


 今からでも娘を追い出すか?

 いや、流石にそれは大人げないだろう。

 条件付きとはいえ、一度受け入れた以上は追い出す訳にもいくまい。


 俺は「はぁ~」と溜息を吐き、食器を片そうとする娘の腕を掴む。


「――気が変わった、やはり朝食を頂こうか」



 ■



 ~ 本日の朝食 ~


・小麦が香ばしいトースト

・焼き立てのベーコンエッグ

・野菜たっぷりのオニオンスープ

 以上。


 久しぶりのまともな食事は、俺一人ならあり得ない豪勢な内容となった。

 上記3品が二人分並んだだけでダイニングテーブルは手狭となり、スープの鍋は竈に残したまま娘と二人で食卓を挟む。


「勇者様、バターとジャム(ベリー)はどちらになさいますか?」


「そうだな。バター……いや、やはりジャムだ」


「両方塗りましょうか?」


「……いいだろう」


 俺が許可すると、向かいに座る娘が何故か「ふふっ」と笑い、目の前の皿から焼き立てのトーストを手に取る。

 まずはバターを塗り、その上からジャムを塗り、俺の方をチラリと見てから、追加でスプーン一杯分のジャムを更に厚塗り。


「どうぞお召し上がり下さい」


 俺の皿にトーストを戻し、娘は自分のトーストにもバターとジャムを塗った。


「キミも両方塗るのか」


「あ、ごめんなさい。欲張り過ぎてしまいました」


「いや、別に構わないが……食べるか」


「はい」


 娘が頷いたのを見て。

 両手を合わせ、食材に感謝。


「頂きます」


 目を閉じて一礼。

 そしてスープに手を伸ばしたところで、正面でポカンとする娘の視線に気付く。


「どうした?」


「いえ、その……今の儀式は?」


「ん? あぁ、食材に感謝を表したのだ」


 “頂きます”。

 日本では疑問に思うことも無かったが、世界が変われば話は別。

 食事の前にそんなことをする人間は見たことが無いので、この異世界には「頂きます」の文化が無いのだろう。


 俺の話を聞き、娘は「はぁ~」と感心した表情を見せる。


「とても素敵な儀式ですね。わたくしも真似してみていいですか?」


「好きにしろ」


「では、わたくしも――頂きます」


 両手を合わせ、目を閉じて一礼。

 その後、瞼を開けた娘が俺を見て、何故か再び「ふふっ」と笑った。


(全く、何が面白いのか……理解出来ん娘だ)


 別に理解したくもないので、娘を無視してまずはスープを一口。

 途端、舌の上に玉ねぎと他野菜の甘味が広がり、その甘味を助長する塩味が、俺の寝起きの頭を優しく揺り起こした。

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