第21話 ヴィンセントの過去1

「ねぇ、ヴィンセント様。私、また魔法が上達しましたの。屋敷内にあるプールの水を全部、空中に浮かべることができるようになったんですわ。同じ量の水も生み出せますわ」

「……そうか、すごいな」


 いつものようにクリスティーナ・オルザベル嬢が私に話しかける。部屋の隅で彼女の兄と立ち話をしている私の兄に聞こえるように……それもいつもと同じ。いつもと違うのは、彼女が普段以上に緊張していることだ。


 数ヶ月後に十歳検査が迫っている。それと似たことを、このあとに行うと知っているからだ。


 簡単な魔法の才能検査は一歳頃に所在確認ついでに行う。十歳になると魔道士ランクを決める十歳検査があり、十五歳と二十歳にも所在確認を兼ねて行う。ランクの高い者は、山火事などの有事の際に即対処するために呼ばれることもあり、そのための所在確認でもある。


「祝福の祈りも、屋敷内の皆に届くようになったんですわ。屋敷の外へは、皆がびっくりしちゃうからと止められているんです。試してみたいのに……」

「やめておけ。前回の聖女出現から約千年経っている。聖女だと勘違いされてしまうと面倒だ」

「それも分かっていますわ。でも、せっかく聖アリスちゃんの末裔なのに……」


 聖アリスちゃんとは、クリスマスの夜に子供たちにプレゼントを配るとされている架空の人物だ。

 クリスマス自体は聖女が最初に降り立った日という記念日として記録が残らないほどに昔からある。形が少し変わったのは七百年ほど前だ。異世界からの迷い子がこの世界に現れ、聖女と同様に魔法の才能があったらしい。ここでの生活の中で全世界へと祝福の光を届けられるようになり、クリスマスの夜には死ぬまでそれを行ったとか。その女性の名前はアリス・オルザベル。クリス嬢の先祖だ。


 彼女の存命中や没後にも絵本が出版された。その絵本はクリスマスになると必ず書店に並ぶ。絵柄を変えながら、これからもそうなるのだろう。聖アリスちゃんという赤い服を着た女の子がトナカイの角をつけた男の子と一緒に空をソリに乗って飛び回り、子供たちが寝静まったあとに光の祝福と一緒にプレゼントを配るという内容で、大人への協力も巻末で呼びかけている。もしかしたら異世界での習慣でそんなものがあり、広めたかったのかもしれない。生前は老いるまで、夫と共にソリに乗って空から祈りを捧げていたらしい。


「……見た目も似ていそうだしな」

「ええ。絵本の聖アリスちゃんの髪の色と似ているのは、私の自慢ですわ。ね、ヴィンセント様。私の祝福の祈り、受けていただけます?」

「……ああ、好きにしろ」


 少しだけ覚悟をする。


 彼女にも魔法の才能がある。異世界からの迷い子の血を継いでいることもあるだろうが……魔法は意志の力も大きい。兄と結婚したいという強い想いのせいもありそうだ。

 自力でこうしてやろうという思いが強すぎても上手く魔法は扱えず、感謝の気持ちや力を貸していただくという意識もまた必要で……心が清く安定しているのだろうなとも思う。


「ヴィンセント様に光の祝福を」


 まだ細い十歳に満たない彼女の体から眩い光が放たれ、私に吸い込まれる。


 祝福を受けた時の心地よさは一瞬だ。祈る者によって多少は受ける印象が違う。春の予感を思わせる感覚であったり、爽やかな飲み物を飲んだあとの清涼感であったり……クリス嬢の祈りからは高揚感や満足感を覚える。それは年々より強くなっていき――。


「どうですか?」

「ああ。既に誰の祈りよりも強いな」

「強いって……またヴィンセント様は。ふふっ」


 くすくすと幼い彼女が笑う。


 特別な兄に似合いの、特別な存在だ。……私とは違う。兄もクリス嬢も、側にいれば自分とは異種の人間だと感じる。


「悪いね、待たせたよ」


 簡単な情報交換が終わったのだろう。兄のアドルフと彼女の兄、ルーカスがこちらへ来た。


 まったく……同じ王立魔法学園に通っているのだから、そこで済ませてほしいものだな。とはいえ今は春休みだ。兄も寮から王宮へ戻っている。こちらに話が漏れてもいい程度の情報交換が必要だったのだろう。


「いえ。あの……もう行きますか?」

「そうだね、楽しみだよ。私は君をお嫁さんにしたいからな。頼むよ」

「は、はい!」

「ね、さっきの話聞こえていたよ。プールの水、そのまま元に戻したの?」

「え……えっと、空中で泳いでみたかったので……あ、ちゃんと水着は着ていましたわ!」

「ははっ、さすがクリスだ」


 話しながら、兄とクリス嬢が部屋を出て行く。十歳検査と同じような検査は毎年ここで行っている。今回の結果によって、彼女と兄の婚約はほぼ決定する。あとは、十歳検査の正式な結果を受けてすぐに婚約という運びになるだろう。


 兄はヤンチャ気味なクリス嬢と話をするのが好きで、彼女の才能を最大に引き出すためにああやって今まで声をかけてきた。魔法の才能検査によって彼女が婚約者となるよう根回しも行っていた。

 私たちの代に魔王が出現すると予告されたのは、彼女が四歳手前の時だ。光の障壁で小さく囲った空間で火と水を戦わせて激しく蒸発させるなんて遊びを彼女が披露していた時期……あの頃からクリス嬢の才能を両親に伝え、数年後には両親も彼女の遠方からの浄化を確認したり祈りを受けて検討を始めた。


 自分に自信がある奴は違うなと思う。どこの国の国王も第一王子も、都市を火に沈められるほどの魔法を扱える。定期的に魔女と会うことで神に守られている意識が生まれ、そうなると言われている。私は数回会ったことがあるだけだ。魔法も勉学も剣技も人付き合いも含めて全てにおいて、私は兄に劣っている。

 ……ピアノ以外は。


「これで、晴れて婚約ほぼ決定だな」


 ルーカスに話しかけられる。


「……そうだろうな」

「俺の可愛いクリスがアドルフのもんになっちまうのかー。癪だな」

「兄上と仲がいいくせに、嫌なのか」


 ふっと鼻で笑われる。

 彼女と同じ栗色の髪で赤い瞳のルーカスは、私たちといる時だけ俺と言う。学園でもそうらしい。私は次の春に入学だ。こいつと兄上とは二学年違うが……同じ場所に通うのは気が重い。魔法に重きをおかない聖学園もあるが……今は魔法学園を選ぶべきだろうからな。私も魔道士ランクは一番上ではあるが、兄との差は歴然だ。


「俺、クリスのおしめだって替えたことあるんだぜー? ま、あんまり記憶にはねーけどさ」


 ……七歳差だからな。


「それは兄上に言わない方がいいと思うが」

「言わねーよ。だからヴィンス相手に負け惜しみしてんだろ?」

「まったく……ルーカスがそんなだから、クリス嬢がああ育ったのもありそうだな」

「うるせーよ。だからアドルフが首ったけなんだろーが。幼女趣味かよ。あーあ、面白くねぇ。こっちだって今後大変になるのに……ぜってぇギリギリまで手放さねぇ。聖女召喚の時期が来るまでは、こっちにはやらねーよ」

「……まるで親だな」

「歳の離れた妹は可愛いんだよ。お前には分かんねぇだろーけどさ。あと三年も学園に通わなきゃならねーからな……俺だってほとんど会えねーんだよな、今は」


 ごちゃごちゃ話している間に、使用人がノックをして入ってくる。クリス嬢の模擬検査が終われば、ここでお茶会が始まる。その準備だ。

 ルーカスたちの両親は召喚で別の日に来る。ルーカスと辺境伯である親のどちらかは領地にいた方がいいということだろう。


 兄の婚約が決定すれば……次は私の話になるな。誰がいいかという話題が私の知らぬところで飛び交うことになるのだろう。 

 

「そういや、聖女は十五歳で召喚されるらしいぜ?」

「なんだそれは」

「俺んとこにある言い伝えみたいなもんかな。聖アリスちゃんからの予言らしくてさ。記録も古いし本当かよと思ってんだけど……ま、一応伝えておく」


 もうすぐ私も十五歳だ。

 この歳で……聖女か……。


 やけにルーカスのその言葉が頭に残った。



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