第10話 星屑のロンド

 そうやって魔法の練習さえせずに(光魔法は使ったけれど)だらだらしてから夕食を食べ、寝支度を整えてもう一度彼の部屋に来た。もちろんお迎えに来た彼と一緒にだ。


 私のバングルで自分の部屋も彼の部屋の鍵も開閉できることは確認した。それ以外は無理らしい。


 あらためて彼の部屋を見回すと絵画も多い。作曲もするらしいし、芸術肌なのかもしれない。夜の海の絵が……多い。ソファも深い紺色で落ち着いている。テーブルランプだけが灯されて、雰囲気がある。


 暗い部屋の中で、彼がグランドピアノの前に座った。


「どんな曲がいい?」

「もちろん、あなたがつくった曲よ。そして……あなたしか知らない曲。あなたと私しか知らない曲になるのがいいわ。即興で適当に弾いてくれてもいいわよ」


 できるのか分からないけど。

 

「ふっ、幼いくせに口説き文句が上手い女だ。いいだろう」


 彼がピアノに向き合う。


「……曲名はあるの?」


 空気が変わった。

 背筋が伸び、体全体から演奏者としてのオーラを感じた。

 

「星屑のロンド」


 呟くようにそう言って息を吸い込み、彼の手から流れるような旋律が奏でられる。リズミカルに両手が跳ねて、本当に十本の指しか動いていないのかと不思議になる。


 星の瞬きのようね……。


 曲名につられて、そうイメージしてしまう。闇夜を彩る満天の星空――。


 曲調が変わり、しっとりと静かに少しだけ切ないような響きが部屋を満たす。


 好きな男性が私のためだけに曲を弾いてくれる……特別感があって、くすぐったいような嬉しさも感じるけれど、自分が子供なんだということを思い知らされる。


 ――私には何もない。


 外で通用する知識も技能も何もない。魔法の才能だけはあるらしいけれど、自動でついただけで今の私ではまともに使えない。ここまで弾けるようになるには相当な努力もあったはずで……私はこれまで何も積み上げてこなかった。


 鍵盤の上で舞う彼の両手を守ることができたら、私の存在に意味があると思えるのかな……。


 もう一度、たくさんの音が雨のように降ってくる。流れ星が一斉に滝のように落ちてくるようだ。身体の隅々にまで響き渡る。


 曲が終わったあとも、その余韻でなかなか言葉を発せない。この薄暗い空間が、どこからも隔絶された特別な場所のように感じる。


「どうだ?」


 彼が静かに尋ねる。

 

「素敵ね。もう一度……お願いできる? 同じ曲がいいわ」

「何度でも」


 彼の手から紡ぎ出されるその音を聴きながら目をつむる。


 私も何かを生み出せたら……。


 そんなことを思いながら、胸の中を星空で満たした。


 ★☆★☆★


「どうしたら、とっとと魔王とやらを浄化する魔法を身につけられるの?」


 翌日になり、宙に浮く練習のためにまた私たちは庭園にいる。


「焦るな。どうしていきなり、そんなにやる気を出しているんだ」

「なんとなくよ。どうしたらいいの」

「心の底から、この世界を愛することができれば浄化できるんじゃないか?」

「抽象的すぎるわね……」

「残念ながら聖女が選ばれたということは、世界は必ず救われるのだろう。心配するな。適当に過ごしていても、きっといつかそんな日が来る」


 全ては必然って?


「やる気が失せるわね……」

「だろう? 神に反逆したければしてもいい」

「やる気が出ないからって?」

「ああ、そうだ。つまらないから滅ぼしたでもいいんじゃないか?」

「……そう思っているのに魔法を教えてくれるのね」

「私はお前のこの先を見たいよ。できるだけ長くな。だが、肩肘は張らなくていい」


 世界を滅ぼす提案には、私への気遣いが含まれているのか……。 


「……光魔法の練習だけでいいんじゃないの?」

「浮くこともできなければ危なすぎる。まずは風魔法で浮けるようになるところからだ。他の魔法の習得も必要だ。水に閉じ込められたらどうする。空気を持ってくることはできない。そうなる前に光魔法で障壁をつくっても、水流をコントロールできなければ動けないだろう。全てを光に沈められるほどの力があれば別だが……魔法の基礎を身に着けながらの方がいい。そもそも魔法は意思の力も大きいしな。適当に過ごして適当にこの世界に愛着が湧くのを待て」


 適当すぎるわ……。彼とだけ一緒にいて愛着が湧くのかどうかも疑問だし、やっぱり学園の見学くらいはたまにお願いしようかしらね。


「昨日は魔法を使用することだけが目標だったからな。細かい調節を今日から覚えるためにも魔女を呼ぶか。魔女、杖を」

「また雑な呼び方ねぇ……ヴィンセントちゃん」


 いきなりまた、黒い魔女が現れた。

 私に断りくらい入れてよ……驚くじゃない。


「こいつに杖をくれ」

「んふふ、セイカちゃん。また今日も会えたわねぇ。楽しんでるぅ?」

「全然」


 反射的にそう言ってしまったものの、仏頂面のヴィンスを見て訂正する。


「ヴィンスといる時だけは別。くれるものがあるのなら早くちょうだい」

「あら……ふふ。懐かしいわねぇ。ええ、どうぞぉ」


 何が懐かしいのかしら……。


 象牙のように白い杖が突然魔女の手の中に現れて、手渡された。透明の珠も埋め込まれていて、ヴィンスの杖によく似ている。上から魔女が手を重ねて何かを呟くと、静かに珠が発光してすぐに消えた。


「今のは何?」

「セイカちゃんの杖って認識させたのよぉ。念じれば小さくなるわぁ。では、またねぇ〜」


 あっという間に消失した。


「……あの魔女、いつも見張っているわけ?」

「神の使いだ。全てを把握している。……心までは読まないようだが、ある程度感じ取れてはしまうようだ」


 ……人の形をとらないでほしいわね。気持ち悪いわ。


「さて、始めようか」


 学園の見学をさせてもらうのなら、それまでにもう少し魔法を扱えるようになっておきたい。


「ええ。遠慮はしないで」


 才能があると知らされているのは恵まれているとも思う。それを知りたい人はきっとたくさんいる。


 ――無駄な努力をしないで済むのだから。


 結果が出ると分かっているなら、多少は頑張ろうかとも思える。そうでなければ無理だったかもしれない。出口がないかもしれない道を進めるほど……強くはないから。

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