第3話 仮初めの婚約

「仮初めの婚約……意味が分からないわね」


 食事が運ばれてくるらしいしと、これまた高級そうなハイタイプのテーブルの前の椅子に座る。真向かいに彼も座った。


「他の者の前では、私は生涯お前に尽くすように振る舞おう。ただ……魔王を倒した際に命を落としたことにするのは容易い。戻ってから引き続き聖女扱いされるのも、面倒だろう? 民衆には消息不明としておけば、勝手に死んだと思ってくれるさ。魔王を浄化する力を身につけ役目を終えたら、別人として生きればいい。ここの者たちにも、そう話を通してやる」


 なるほど、消息不明ね。完全に仮ってこと。


「そもそも婚約した覚えもないのに婚約者扱いする世界なわけ、ここは」

「いいや、普通は違う。理由はあるがまだ言うつもりはない。お前が嫌だと言えばすぐに取り消せる程度のものだ。だが、ここに来たばかりのお前には力のある盾があった方がいい。面倒なことを頼まれそうになっても私の許可が必要だと全てかわせ。しばらく私を利用しろ。浄化を終えたら別人として生きられるようにしてやる。今だけのことだ」


 そんな簡単に魔王なんてものを浄化できるわけ? 勝手に先のことまで決められるのも気分が悪い。それに――。

 

「……で、あなたも別の女性と結ばれるということね。もう想い人がいるわけ?」

「いいや。世間的には想い人を失ったことを引きずり、独り身で過ごすことにする。私は人と関わるのは好きではない。だが、この立場だと結婚から逃れられない。お前を利用させてもらう。ここの者たちも、無理矢理お前を婚約者にして振られた馬鹿な男だと揶揄するだけだ。さっきも言ったが浄化を終えたら好きにしろ」


 どうして婚約をしてもいないのに、この人を振った女にさせられなきゃいけないのよ。

 

「聖女とお近づきになりたい男も出てくるだろうし、お前も私を利用して変な男は跳ね除けろ。好きな男ができたら相談もしろ。まともな男かどうか調べさせてもらう。そのあと、私との関係が仮初めだと話して仲を深めればいいし、二人で会えるように手配もしてやる」


 うん……?

 何よそれ、途中から違和感がものすごくあったわ。好きな男ができたら相手を調査……?


「私の保護者になるってこと?」


 男手一つで娘を育てる人みたいなことを言ってるわよね。


「そんな認識でも構わない」

「……好きな男が私にできなかったら? 浄化を終えたら他人として私を放り出すわけ?」

「お前の好きにしろ。私と共に身元を隠して静かに王都とは別の場所で暮らしてもいい。聖女の希望となれば通るだろう。屋敷くらい簡単に用意できる。好きな男ができたらそいつと一緒になればいい。……別に聖女として生きたければ、それでもいいがな」


 訳が分からないわ。私に好きな男ができるまで保護者としてずっと側にいるってこと? それに……。

 

「聖女扱いはごめんよ。それなら、もしあなたを好きになったら……?」

「ならない」

「……分からないじゃない」


 王子なのに、自分に自信がないタイプに見えるわ。それとも言わないだけで、やっぱり想い人がいるの?

 

「言っただろう。私は人と関わるのが好きではない。お前に優しくは接しないし、お前に嫌われることもし続ける」

「なによ、それ……」


 ノックの音が響いた。


「聖女として人前に出てもおかしくはないよう、魔法とは別に王家の者としてのマナーも叩き込ませてもらう」


 そう言って、彼が「入れ」と促すとメイドさんの格好をした人が食事のワゴンを持って入ってきた。


 美味しそう……だけれど、お皿がたくさんあるし、薄々分かってはいたけど明らかに日本食ではない。


「では、食事のマナーから始めようか」


 魔法について聞きたいものの、もう夜……私が聖女なんて人違いだと証明する時間はなさそうだ。お腹もすいている。


 ……大人しくマナー講習を受けようか……。


 諦めの境地で顔を上げると彼が不機嫌そうに「悪いとは思っている」なんて呟くから、ガラにもなく少しは頑張って覚えようかなんて思ってしまった。


 人と関わるのが苦手なのに、私にマナー講習まで自ら行うというのはなぜなのだろう。


 ――その違和感の謎が判明するのは、まだ先のことだ。


 ★☆★☆★


 そうして、スパルタな食事マナー講習を終え(これから連日あるらしい。他にも賛美歌を歌う機会があるかもしれないから声楽であったり、聖女なのに文字が汚いのはよくないと綺麗な文字の書き方練習など色々とあるようだ)、寝支度をシェリーとチェリーという名前の二人の若い女性に整えてもらった。オレンジ色の髪をした双子だ。


 入浴の手伝いもあると食事中に言われ拒否したけれど、メイドの仕事を奪うなと、体はタオルで隠してもいいから洗髪くらいはやらせてやれと言われて仕方がないので従った。美容院のシャンプー台のようなものが広い浴室にあったので……実は少し快適ではあった。


 恥ずかしいけど。


「まだ一人ではここにも出ない方がいい」


 彼と共に、私室のバルコニーから庭園を眺める。ここは二階だけれど高さがある。食事中に、今日のうちに聞きたいことがあるのなら部屋に来るがと言われてお願いをした。


 ……私に変な気を起こしそうではないしね。


「危ないの?」

「そうだな。今は外気にさらされている場所で、小さな毛虫のような魔物が通常より湧きやすい。それだけなら側にある植物の成長を疎外する程度だが、放っておくと人を襲う魔獣に今はなりやすくてな。そんな負の怨念の固まりが魔王と思っていい。言葉も通じないらしい。小さな魔物を騎士が巡回して浄化しているが……見逃して魔獣になってしまったそれが襲ってきた時に、今のお前では太刀打ちできない。眠っている間も、この部屋の窓と扉を確認できる位置に見張りがつく」


 ああ……だから庭園で動いている人がいるのか……。今小さく光ったのは、浄化?

 

「私、聖女ではないと思うんだけど。人違いよ。早く証明させてくれる?」

「残念だが、それはない。魔女が選んだ以上、絶対だ」

「魔女……信用できそうになかったけど」

「神の使いだ。アレだけが魔法陣もなく消えたり現れたりできる。未来はあえて見ないらしいが、未来の人間の寿命だけは把握している。可能性世界の人間の寿命も見ようとすれば見えるようだ。憶測でしかないが、お前が聖女としてここで生きる場合に、この世界に住む人間の寿命が最も延びるのだろう」

「寿命……」


 私によって人の寿命が左右される……?


「そんな責任、負いたくないわ」


 誰かの邪魔にならない世界を望んだけれど、人の命だって背負いたくはない。


「だろうな。だが……人々は聖女を待ちわびている。まだ魔王の影響は強くない。生まれたばかりなのだろう。だいたい、千年おきで現れるらしい。魔物が増え始め、兆候は誰しも感じとっている。まだお前はなんの魔法も使えないからこそ、人々に知らせるのは先になるのだろうが……王宮内の者たちも誰もがお前の存在にすがっている。悪いが、私以外の前で泣き言は控えてくれ」

「ふざけた世界ね……赤の他人に頼るしかないなんて」

「そうだ、ふざけているんだ」


 彼が、真っ直ぐにこちらを見る。


 瞳の色は深い藍色だ。深い青緑の髪と藍色のその瞳は、夜空に溶け込んでしまいそう。


「異世界から召喚されたというだけで、勝手に才能がつくんだ。使えるようにさえなればこの世界の住人とは桁違いの魔法が扱える。神による同情と評した者もいる。違う世界に連れて来られて可哀想だから才能を与えるんだとな」

「同情……」


 神がいるというのなら、そんな世界をつくらないでよ……。


「魔法も全て借り物だ。神や精霊の力を貸してもらって扱う。世界が危なくなれば異世界の人間に任せるだけだ」

「……嫌そうな言い回しね」

「ああ。もうお前は元の世界に戻れない。そのうえ、何もしないだけで世界は滅ぶ」

「……悪夢ね」


 それに、戻れないのか……。


「世界の命運をお前のような子供に頼む。ふざけているだろう。滅ぼしたければ滅ぼせばいいさ」

「え……」

「王宮にいる間は取り繕ってほしいが……無理だと思えば言え。共に逃げて、滅んでいく世界を眺めながら魔獣にでも殺されよう。魔王に殺されに行ってもいいし、世界を焼き尽くしたくなったらそうすればいい。お前ならそれができるようになる。気が向いたら救えばいいし、気が向かなければ滅ぼしてしまえ」


 ……こんなに胸が高鳴るのは初めてかもしれない……。


「す……好きでもない女と逃げて共に死ぬって? 聖女だから?」

「この世界、存続させることに意味があると思うか? どちらでもいいんだ、私は。こんな小さな娘に救ってもらわなければならない世界、消えたっていいだろう。全ては――」


 破滅願望。

 前の世界でそれは、痛々しい電波発言にすぎなかった。


「お前しだいだ」


 彼の前でなら言っても許されるかもしれない。そんな安心感に包まれて、私は……。


「だったら、私に早くこの世界について教えてよ。そして――、」


 この顔を、初めて利用する。

 上目遣いで誘惑するように彼へ近づき、そっと彼の腕へ自分の腕を添える。


「この世界を滅ぼしたいと私が望んだ時には、隣にいてちょうだい」


 顔色も変えずに目を細めて静かに微笑み「いいだろう」と応える彼が、私の次の依存先になってしまうことを……はっきりと自覚した。

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