第2話 第二王子ヴィンセント

「ここは……?」


 連れて来られたのは、落ち着きがあって高級そうな調度品や家具が置かれている部屋だ。


「お前の部屋だ」


 ……お前?


「さっきは聖女様とか言ってなかった? ああ、人がいない場では偉そうになるのが王子って立場の人よね」


 ムカついたので厭味ったらしく言ってみる。夢だしね。リアルすぎて突飛な行動はしにくいけれど。


「そうしてほしいならそうしますよ、聖女様。ただ……あなた様にはここに知り合いが一人もいない。楽に話せる相手がいた方がいいかと思いまして」


 厭味ったらしく慇懃無礼な話し方でニヤリと笑いながら見下される。新鮮……かも。好意は持たないけれど、そこまで悪い気分でもない。


 私は自分で言うのもなんだけれど、可愛い系の顔をしている。幼い時は危ないこともあった。おそらく連れ去り目的で車の座席の下にお金が落ちたから子供の細い手で拾ってほしいなど怪しい男にお願いされたり、習い事へ行く途中に見知らぬ男が後ろからつけてきたり。近所の母の知り合いが話しかけてくれて難を逃れた。

 

 ゴシックロリータの格好をして髪に紫のエクステをつけ、赤いルージュと黒いアイシャドウを塗ればほぼ話しかけられない。だから、中学生になってから学校以外のどこかへ外出する時はいつもそうしていた。稀に変な男に声をかけられても、目をカッと開けて電波な言動を繰り返せば引いてどこかへ消えていった。


 さっきの第一王子や王妃のような人も顔が綺麗だったし、この夢ではこれくらい普通なのかもしれない。


「別にどうでもいいわ」


 私の部屋だと言われたわけだし、ズカズカと中へ入る。


「やはり夢だと思われていますか。異世界から召喚された者は最初にそう感じてしまうようですね」


 何人もそんな人がいる設定なの?


「こちらへ」


 彼に促されて、そこにあったソファに座る。見た目通り座り心地がいい。


「夢ではないと証明するのに何日も使いたくはない。だから、今すぐ実感していただきましょう」


 そう言って彼が羽根ペンと一枚の白い用紙をローテーブルに置いて、真向かいに座った。


「召喚された時点で、あなたの記憶の中にある言語はこちらの言語へと変換されました。あなたの国には漢字というものがあったはずです。さすがに慣れ親しんだ自分の名前の漢字……夢であっても忘れるわけがないと思いませんか? 書いてみてください」


 か……んじ……。


 イメージは記憶している。空に浮かぶ月……建物としての城……それなのに……。


「――――っ」


 自分の名前として頭に浮かぶのは、少なくとも漢字ではなくそれはただのスペルで――。


「な……にこれ……。気持ち悪い……」

「セイカ・ツキシロ。あなたの名前の漢字、私は知っています。こう書くんですよ」


 何よ、それ……。どこの世界の象形文字よ……。


「頭の整理が必要でしょう。現状を受け入れる気になったら知らせてください。食事はここへ運ばせますよ。そこの紐を引っ張って鈴を鳴らしていただければメイドが来ます。使用人部屋に通じていますので、そちらでも鈴が鳴ります。他にご用があればお言いつけください。では、私は行きますね」


 頭が混乱している。確かに一人にはなりたい。


「ああ、言い忘れました。この世界に合わせてあなたの見た目は少し変わっています。この世界に生まれ落ちていたらこうなっただろうという姿に。……色だけですけどね。それでは」


 はぁ!?


 立ち去る彼を呆然とその場で立ちっぱなしで見送ると、部屋の中に鏡を探して鏡台の前で自分の姿を凝視する。


「うわ……」


 元々の髪型はサイドだけ少し長めのオカッパ頭だ。ロングだとウィッグがつけにくかったのもある。髪型自体は確かに変わらない……けれど……。


「紫……ね」


 瞳も髪も紫色だ。濃い紫……かなり毒々しい。


「これで聖女って……」


 ああ、だから引いていたのか。

 ……彼以外。


 漢字のこともそうだし、彼だけは色々と知っているのかもしれない。詳細は彼に聞けとかあの女も言ってたっけ。これが夢でないとしたら、かなり面倒くさそうね……。


 置きっぱなしのメモ用紙に、忘れそうなので聞いたばかりの彼の名前を走らせる。気になることも、いくつか。


 ヴィンセント・ロマニカ。

 愛称はヴィンス。

 婚約者。

 聖女と魔王の浄化。


「ふっ……笑っちゃうわ。何よ、それ」


 鼻で笑って、食事までひと眠りすることにした。どうしたってここを現実とは思えない。成長期のせいか、眠ろうと思えばいつでも寝れてしまう。


 ――起きても夢が覚めずにまだここにいたのなら、もう少し頭を整理しよう。


  ★☆★☆★


「まだここにいるし……」


 豪華なベッドの天蓋が目に映る。窓の外も部屋の中も暗い。今は夜のようだ。異常にお腹がすいている。……そういえば私がここに来た時は何時だったのだろう。あっちと同じかな。夜ではなかったことしか分からない。


「やっと起きたか……」


 私の独り言を聞いて、ソファからヴィンセントが立ち上がった……って……。


「なんであなたがいるのよ。女性が寝ている部屋に勝手に入っていいわけ、王子様って」

「ノックをしても返事がないとメイドから心配そうに言われましてね。様子を見ておくと言って入りました。そこにいただけですよ」


 寝入ってしまっていたらしい。

 

 部屋の灯りを指の動作一つで彼が灯す。魔王なんてものが存在する世界のようだし、魔法……かな。


「メイドを呼びます。食事を運んでもらいますね」


 どうしてこうなったかは意味が分からないし、まだ完全に信じる気にはなれないけれど……。


「話し方、丁寧じゃなくていいわよ」


 この世界について、きちんと聞いた方がよさそうだ。聖女なんて断りたい。失礼なことを言うためには相手にも失礼な話し方をしてもらわないと、やりにくい。

 こんな世界が実際にあるのだとしたら……おそらく人違いだ。世界を救う力なんて持ってはいないと早く証明しなくては。


 あっちも、戻りたいと思える場所ではなかったけれど――。


「それならよかった。まずは早くここに慣れてくれ、聖女」


 世界を救うなんてことを期待される場所にだって、いたくはない。


「聖女とは呼ばないで」

「では、セイカ嬢。食事でもしながら、楽に話せる程度には仲でも深めようか」

「……会ったばかりで気持ち悪いわ。どうしてあなたが婚約者なのよ。そもそも婚約した覚えがないのに婚約者なんておかしいでしょう」

「それも含めて説明する。ただ――、実際に結婚する必要はない」

「どういうこと」


 彼が仏頂面でこう言った。


「仮初めの婚約だ。魔王を浄化したら好きな男と結ばれたらいい」


 私が世界を救う聖女だと扱われる存在なのだとしたら――、どうして彼は私にずっとこんな顔を向けているのだろう。


 好意ではない……けれど、不機嫌そうな彼に少しだけ興味を持った。

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