目に焼き付けろ 〜半田山〜

早里 懐

第1話

「明日は山に登ればいいんじゃない?」

昨晩長男が私に対して投げ掛けた言葉だ。


私はその言葉に対して「ああ。そうか…」と返した。


一見するとなんの変哲もない親子の会話である。


しかし、この言葉のやり取りには裏があるのだ…。



明日は福島市に行く。

長男の練習試合の送迎だ。


息子の試合はいつもビデオカメラで撮影する。


私は明日に備えていつものようにビデオカメラを充電していた。



すると長男が「明日は山に登ればいいんじゃない?」と私に向かって言ったのだ。



突然だが、思春期の子供とはなんですか?と問い掛けられたら私は以下のように答えるだろう。


「いつもツンツンしている振りをして、親に対して感謝の言葉をあまり発しない。ただし、根は優しい子が多い。」


我が家の長男も例外ではない。

そんな長男が一見すると父親思いの言葉を発したのだ。


しかし、その心理を読み解くと、それは「試合を見ないで山に登ってろ」ということだ。


私は全てお見通しだ。


ストレートに言うと私が傷つくとでも思ったのか、息子は変化球を投げてきたのだ。


よって、私はあまり詮索せずに「ああ。そうか…」と返したのだ。


私は息子の言葉を真に受けた振りをして山登りの準備をしていた。


すると割り込みを得意とする妻が割って入ってきた。


妻は事情を察したようだが、私に対してこう言った。


「折角だから試合を見てくればいいのに。山登りと息子の試合どっちが大事なの?部活もあと数ヶ月で終わりなんだから目に焼き付けてきたら」と、妻は珍しく正論を私にぶつけてきのだ。


ちなみに、妻の口から正論が発せられたのは約3ヶ月前の「冬は寒いね」以来だ。



それを聞いた私はハッとした。


なぜ山登りの準備などしているのだ。


確かに長男の部活動は残り数ヶ月だ。


山登りなんてしている場合では無いのだ。


長男になんと言われようとも試合をこの目に焼き付けておくべきだ。


私は妻のド正論が胸に突き刺さったまま床に着いた。



〜翌日〜



今日は試合会場近くの半田山に登ることにした。


長男を試合会場に降ろしたのちに、半田山自然公園を目指した。


…。


…。


そう。

結局は山に登るのだ。


昨晩、妻と息子の板挟みにあった私は熟考の結果閃いたのだ。


山に登って景色を目に焼き付けて。


その後にこっそり息子の試合ものぞいて目に焼き付けてしまおうと。


フフッ。我ながら贅沢の極みだ。



私は半田山自然公園の駐車場に車を停めた。

数十台は停められる広い駐車場だ。


お馴染みの熊出没注意の看板を横目に熊鈴をかき鳴らして進む。


しばらくは眺望が無い樹林帯の九十九折りをひたすら登る。


しばらくすると尾根に出る。

ここからは残雪があるがつぼ足で十分だ。


消えゆく残雪を見ると冬山の終わりの儚さを感じる。

しかし、その一方で本格的な登山シーズンに向かっていることを実感する。


尾根まで出れば、頂上まではあっという間だ。


半田山の頂上で少しばかり景色を眺め、下山を開始した。


下山開始後直ぐに、半田沼のビュースポットが現れた。


どうやらここから見る半田沼がハートに見えるようだ。

ちょっといびつなハートだが…。


それにしても見下ろす景色が全方位霞んでいる。

外気温が暖かい証拠だ。

もう春だ。



下山はあっという間だった。


綺麗に整備されたキャンプ場やエメラルドグリーンに輝く半田沼を横目に駐車場まで戻ってきた。


半田山は所々きつい登りはあるが、急登とまではいかないためとても登りやすい。


道中も10人程度のハイカーとすれ違った。


里山の雰囲気だが、とても人気のある山なのだろう。



登った後は恒例のカロリー補充だ。


今日は牛丼だ。

紅生姜をたっぷりとのせてしまおう。


山登りの後の高カロリー飯はやはり美味い。

高カロリー飯を罪悪感なく食べるために山登りをしていると言っても良いだろう。


その後は試合会場でこっそりと息子の試合を観戦した。


山での景色も息子の奮闘する姿も目にしっかりと焼き付けた。


大満足の1日だ。



帰り道に高速道路のサービスエリアで休憩した。


息子が買い物とトイレに行った。


私は少しばかりの休憩のため、運転席の椅子を倒して目を閉じた。


すると目に焼き付けた光景が徐々にぼんやりと現れ始めた。


頂上からの景色か?


いびつなハートの半田沼か?


消えゆく残雪の儚さか?


はたまた、険しい登り坂の光景か?


いやいや。やはり息子の奮闘する姿だろう。


…。


…。


全体的に茶色の景色が見えて来た。


険しい登り坂?

試合会場のコート?

どっちだ?


…。


…。


ん?中央付近が赤い。


登り坂もコートもこんな鮮やかな赤色はなかった…。


これはなんだ。


…。


…。



牛丼だ。

紅生姜をたっぷりとのせた牛丼が現れた。

しかも、大盛りだ。


いけない。

牛丼が目に焼き付いてしまっている。


私は無心で首を横に振った。


しかし、今、目の前に現れているのは某チェーン店の牛丼だ。

いつでもどこでも食えるあの牛丼だ。




ちなみに明日も練習試合の送迎をする。


明日は長男になんと言われようとも試合をこっそりではなくしっかりと観戦するつもりだ。


息子が試合で奮闘する姿を目に焼き付けるために。


それから、念のため昼食はあっさり目にしようと思う。

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