夢綴り心中

小狸

第一段「誰何」

 己のことを成功者と思っている莫迦ばかは、時にうそぶく。

 

 「何者」かになれ、と。

 

 どこかに所属し、何かであれば、きっと自分は満たされるのだ、と。


 なかなかどうして、恵まれた者の考え方だと、僕などは思ってしまう。


 令和の今だ、道端で誰何すいかなどしようものなら、怪しい宗教勧誘かセールスだと思われてしまうだろう。


「何者」かになる必要は、果たしてあるのだろうか。


 そりゃ勿論もちろん、大人になれば、いずれは会社なり役所なりで勤務し、定期的に投票に行き、納税することになる。


 戸籍というものが、日本にはきちんとある。


 しかし自らを成功者と信じて疑わない者――彼らは、自分は何かを成し遂げ、それを賞賛されるに値する地位もしくは名声を手にした、幸せな者だ、と思っている。


 幸せ、という所が、特に重要だ。


 幸せとは、何だろう。


 現代の幸福観の是非についてを、ここで論うつもりは毛頭ない。


 ただ、「何者」かになることと、幸せになることは、合致しないと思うのだ。


 「何者」かになる、という意味をはき違えれば、幸せから一気に遠ざかることになる。


 例えば、分かりやすく言うのなら、犯罪者である。


 民法が改正され、十八歳以上は成年扱いとなったけれど(厳密に言うと十八、十九歳は特定少年という部類らしい)、まあ、二十歳を超えた者は基本的には実名で世間に名を連ねることになる。


 それだって「何者」かになった、ということに違いはあるまい。


 そうでなくとも、「何者」かになるということは、良い事ばかりではない。


 例えば、そう、世間で良い意味で名を広めたとする。

 

 ノーベル賞とか、そういうので良い。


 受賞者は、今度こそ間違いなく、「何者」かになることのできた者であろう。


 しかしどうだろう。


 今後あらゆる機関、研究において、その人の名前が先行して用いられることとなるということは、つまり責任が生じるということに他ならないのではないか。


 責任。


 まだ社会人になっていない、高校に行きながらバイトをしている僕ではあるが、その責任という言葉の重みは、未だ掴むことができていない。


 ただ――小さな失敗でそれより上の地位の者が罰されたり、社長が責任を取って辞職したりする現実を見ていると――僕が思っている以上に、その言葉は重いのではないかと思う。


 翻って、「何者」かになる、ということは。


 それに等しい、責任が伴うことに等しいのだ。


 僕はそう思う。


 そうなることによって、華々しい舞台に上がることができよう、世間からの脚光を一目に浴びることができよう――しかしその代わりに、今まで許されていた些細なこと、小さなことに、目を付けられるようになる。


 報道が狂ったように芸能人やスポーツ選手の人間関係をネットで記事にし、それに群がる有象無象を見ていると、僕はそう思ってしまうのだ。


 果たして「何者」かになるということは。


 幸せなのだろうか――と。


 そんなことを考えていると、僕はバイト先へと到着した。


 都心からやや離れた郊外にある病院である。


 その病院の、存在しない地下七階に、僕のバイト先がある。


 病気の妹のために始めたバイトである。


 それは、ある人物と、会話することである。


「あ。おかえり~。今日も陰鬱としていつも通りって感じだね~、かこい


「別に。色々考え事してたってだけですよ」


 僕は、一応敬語を遣う。

 

 その人物は、目の前の檻の中で、ヘラヘラと笑っていた。


 とは言い条、口元しか見えないのだけれど。


 機械式の座椅子に腰かけられ、口と鼻以外には大量の機械という機械が装着され、手足は拘束されている。


 一見するとそれが人間であるかどうかも定かではない。


 彼女の名前は、夢綴ゆめつづりみぎわという。


 日本の国家重要機密の一つである。


 親は幼い頃に彼女を手放しているため、コードネームと言った方が正しいだろう。


 精神感応力が人並み外れており、その力は、手や足などを使うことなく他者の思考の読取、洗脳、記憶消去まで完全にやってのける。彼女――というか日本はこの能力を取引して、某国との戦争を何度か未然に防いでいる。


 できること、やっていることは素晴らしいし、超能力者の研究、ひいては精神感応能力者の開発の可能性も秘めている超々級秘匿人物であはあるけれど、それと同時に、危険人物でもある。


 彼女がになれば、こんな世界、一発で滅びてしまうからである。


 僕のバイトというのは、そんな彼女が飽きないようにするための話し相手なのだ。


 勿論、世界が誇る技術群によって、彼女の能力は現状日本政府の制御下に置かれている状態ではある――ただ。


 僕より以前に、ここを担当した者は、25人いるらしく。


 その全員が、彼女との会話の最中に発狂し、精神を修復不可能なまでに破壊されている。


 いっそ死ねたら楽だというくらい、ばらばらに。


 その担当者の行方は、精神病棟の奥深くに入院中ということになっているらしいけれど。


 多分政府のことだ、秘密裡に処分したのだろう。


「僕はまだ何も言っていませんよ、夢綴さん」


「汀でいいよ~それで~囲は『何者』かになる、ということについて悩んでいるわけだね~ふむふむ」


 まるで当然のように、僕の思考を読んで来る。


 思考の読取、夢綴は、会話の最中、良くこれをする――これは、この距離の、幾重にも張り巡らされた障壁を当たり前に超えて来るという証左でもある。


 日本政府は。

 

 きっと、どこか安全圏で、僕や彼女の精神状態を調査しているのだろう。


 全く、余計なことすら考えられない。


「別に悩んでませんよ。ただ、『何者』かになれ、って言っている奴が、最近多くいるんですよ。やや辟易気味ではあったんですよね」


 僕が、『何者』か論争に対して妙に冷めている理由は、分かっていただけただろうか。


 『何者』にも代えられない、超能力を持って生まれてしまったが故に、幸せになることができないという極端な例を、僕は知ってしまっているから。


「例、ねえ~。まあ、幸せになることが、生きることの最終目標じゃないからね~」

 

 彼女は言う。


 直接脳内に語り掛けてくるように、響く。


 それもまた、夢綴の能力なのだろう、と考えておく。


「じゃあ、夢綴さんは、生きることの最終目標は、何だと思うんですか?」


「子孫を残すこと――って言うのは、まあ、生物学的な見地だとするよ。私は一応女だし、その気になれば子孫を作る、出産することはできると思うよ~、でも、精神感応能力者の遺伝的見地とか言われ出したら面倒だしさ? どっかの誰かの『産む機械』発言じゃないけれど、精神感応能力者を意図的に増やすために強制的に――とかは嫌だから、その辺りは。――で、ながーい前置きはさておくとして。生きることの最終目標って話なんだけど~、これは私限定かな」


 長い前置きで、ついつい頭がくらくらしてしまう所だった。


 僕は続けた。


「何ですか」



「…………」


 僕は、何も言えなかった。


 夢綴は、ぷかぷかとした口調で続けた。


「勿論、自由であることにも、責任は伴うよ~。それは知っている。何でも良いってことは、何かを自分で決めなければいけないってこと、受け身ではいられないってことだからね。でも、私の人生は、いつだって誰かの何かに左右されて来た。日本を助けた時も、両親を殺した時も、小学校の好きだった子を壊した時も、そうだった。だから、『何者』かになる前に、幸せになる前に、私は、自由でありたい、自由になりたい」


「…………」


 僕が何かを言おうとした手前、ブザーが鳴り、夢綴の檻に重厚の扉が閉まって、完全に僕と彼女を遮断した。


「お時間です」


 体感時間は永遠のように長かったけれど、実際の時間は五分ほどである。


 扉の奥から、スーツ姿の女性――政府関係者の一人が、そう言って僕に近付いた。


「体調、共にお変わりはないようで」


「ええ、大丈夫です。青木あおきさん」


 女性の名前は、青木という。


 初対面の時、名札にそう記載があったが、どうせ偽名だろう。


 いつもバイトの終了後、僕の健康確認をしに来る人である。


「約束のお金は、口座に振り込み済みです」


「ありがとうございます」


 これで、妹はしばらく、延命することができる。


 良かった、と素直に思った。


「あなたは、変わった人ですね」


 帰り際、青木さんは続けた。


「そうですか」


「いくら妹さんのためとはいえ、自分の精神と日常を犠牲にしてまで、釣り合っているとは、到底思えません」


 高額バイトの代償として、僕の生活は常に監視されている。


 また夢綴に関係することを他人に口外した場合、もしくはその素振りを見せた場合、問答無用で射殺されることになっている。


「そうかもしれませんね」


「なぜ、そこまでするんですか、あなたは」


 その質問は。

 

 面接時含め、今までも何度か、されたことがあった。


 僕はいつも、適当に答えることにしている。


「さあ。僕が、妹を助ける自分像に酔いたいから――とかで良いんじゃないですか」


「……そうですか」


 きっとその答えは。


 夢綴汀が知っている。


 月に一度のバイトを終え、僕は病院を後にした。




(「誰何」――御仕舞おしまい

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