この大学が好き!

ヤビと瓶

この大学が好き!

 私立コズミック大学――日本最高峰の教育機関の一つであり、私が現在、入学を志している勉強処べんきょうどころであります。構内の花々、大図書館、学長のリリック・アンダーソン総帥そうすい……入学促進を目的として催された、第二回オープンド・キャンパス杯では、恐れ多くもそうした各々方に出迎えていただきました。それを機に、猜疑心の強固な男であった私も、すっかりこの大学に心酔するようになったのです。そう、さながらそれは、いつだったか仲良し度微妙なクラスメイトが、保健室から帰ってきたすこぶる元気な私を意地でもおぶりたがっていた時のようで、どこまでも一途でございました。


 そして数日前、大事な命運のかかった全国模試の結果票にて「第一志望:E」の印刷を見た直後、ふと疑問に感じたのです。世の愚民どもは、果たして私のように真に純粋な心持ちでこの大学を愛し、評価しているのか、と。


 もう少し具体的な説明が必要ですね。どういうことかというと、私立コズミック大学ほどの超新星ともなれば、オーキャン杯やマスメディア、ひいては日常生活のあらゆる場面においてその名にお目にかかる機会も多いわけでありますが、そこで愚民どもが興味を注いでいるのは、どれも私立コズミック大学を構成するあくまで一要素に過ぎず、「私立コズミック大学そのもの」ではない、という嘆かわしい事実に気付いてしまったのでございます。

 実際、たとえば某有名国立大学・IBARAGIの学生となることで得られる地位・名誉には一定の魅力を感じるが、大学自体にはさほど関心がない、という者は多いでしょう。また、たとえば某有名国立大学・IBARAGIが掲げる理念や研究活動に惚れてそこを志望しているという、一見すると何も恥ずかしがるところのない、裏の顔を勘ぐられる余地など持ち合わせていなそうな者に関しても、実際は単に理念と研究活動を愛しているだけで、仮に全く同じ理念と研究活動を提示する別の大学があれば、そちらに流れてゆくことだって十分にあり得るでしょう。


 同じように、私立コズミック大学に関しても、きっと愚民どもは見かけの魅力に惹かれているだけで、「私立コズミック大学」と真に呼称されるべきところの、すなわち「私立コズミック大学そのもの」を愛しているのは世界でこの私だけではないかと、現状にひどく寂しさを覚えると同時に、世の中に溢れる「好き」という感情の純粋性を、どうにも疑わざるを得なくなってしまったわけであります。


 そうなっては、もう受験勉強などしている場合ではありません。ちょうど今朝、自室にあった教科書や過去問の類いをすべて家庭用焼却炉に投げ捨て、燃え盛る炎へと敬礼を捧げたところでございます。

 そして現在、私は人類が静まり返る深夜帯を狙い、鬱蒼たる髭もそのままに、自宅から数キロほど離れた私立コズミック大学の正門へと足を運びました。構内に入りたかったのですが、守衛所に男がいたので、授業中に脳内でMCバトルのシミュレーションをすることの気持ちよさについて男と語り合い、その間さりげなく中への侵入を図りました。そして見事、学生証やその他の身分証を提示することなく、敷地内へ侵入することに成功したのです。


「よおし」


 腕をぶんぶん回し、張り切って声を上げ、私がこれから行うは一種の証明であります。愚民どもとは格の違う「好き」の姿を、世界に見せつけてやるのです。


 まず、私はその場で腹這いに寝転がり、ほふく前進を始めました。私立コズミック大学の地面の感触を下腹部で噛みしめながら、右膝、左膝と交互に突き出し、果敢に進んでゆきます。


「ふっ、ふっ、ふっ」


 息を整えつつ、一歩、また一歩。この私の姿を見ていただきたいのです! 私立コズミック大学への愛に溢れているでしょう!


「ああ、すきぃ、この大学すきぃ……」


 歩みを進めながら、私は快感のあまり思わずそんなことをつぶやきました。きっと今頃、私こそが本物であるということを、この世界もひしひしと感じているはず。


 しかし、ほふく前進とは意外に疲れるもので――少し休憩しようと立ち上がり、そばに見えた事務局らしき建物を背に胡坐をかいた途端、私の中に強い疑念が生じました。

 ほふく前進をすることで、もちろん私は私立コズミック大学へ至上の愛を注いでいたわけでありますが、結局これは、前述した「私立コズミック大学そのもの」に対する愛情ではなく、単に私立コズミック大学の地面への愛情に過ぎなかったのではないか、と考えたのです。実際、私立コズミック大学そのものを愛すほどの巨大なラブ・パワーがあれば、疲労がなんだ、そんなの我が愛情の前ではちりに等しいわい、とか何とか言って、今でもなお元気にほふく前進を続けているに違いないのです。


「そんな、そんなはずは! 私は確かに私立コズミック大学を愛してやまないはずなのに、どうして!」


 慌てて立ち上がり、混乱のままに右往左往していると、視界にふと微かな銀色が映りました。見ると、色を放っていたのはレバーハンドル錠のドアノブで、闇夜に身を潜めるように、それは事務局の入り口にひっそりとついていました。


 その時です――私のもとに、ひとつの天啓が降りてきたのです。


「な、なんだって……」


 その声は幻想か、はたまた阿鼻地獄という名の学校やら家族関係やらのように、一聴では信じがたい現実か。思わず狼狽ろうばいの浮かぶ粗暴さ、しかしそれでいて、目から鱗――否、もはや全身から鱗が落ちるかも分からないその導きに、十数秒ほど、私は瞬きすらも忘れて呆然としていました。


 けれども……ええ、分かっていますとも。ここまで来た今、もはや恐れなどありません。


 ――ズボッ。


 次の瞬間、私は天啓に従い、ドアノブの先端へと自身の左耳を超速で突っ込み、抜き差し抜き差し、耳から真っ赤な血を噴出させました。


 すると、何ということでしょう! 聴こえる……聴こえてきたのです、私立コズミック大学の声が! あなたこそが本学の真の理解者だと、まるで恋のように私を一心に認めてくれているのです!


「イチバンダヨ。アナタ、イチバンダヨ」


 聴こえてきた声を、私の口からも反復して、現実に刻み込んでみせます。ああ耳がくそ痛い! これぞすべてが報われた瞬間だ――。


「すきぃ、この大学すきぃ……」


 ドアノブへ耳をぐりぐりしながら、快感のあまり私はそんなことをつぶやきました。今度こそ、私こそが本物であるということを、この世界も理解できたはず。


 しかし、途中で何とはなしに耳を離し、血塗られたドアノブを目にすると、再び私の中に強い疑念が生じました。結局のところ、今も「私立コズミック大学そのもの」への愛は全くもって見えておらず、では代わりに何が見えているかというと、それは私の持つ震撼ものの愚かさなのではないか、と考えたのです。

 天啓に従った結果、もし私のあらゆる部分を私立コズミック大学が忌み嫌い、罵っていたならどうでしょう。それでも私は、私立コズミック大学への愛のもと、己の信念を見失わずにいられたでしょうか。それが出来ないとすれば、ここまでの一連の流れは単なる自己満足――すなわち、私が最初から自身にとって都合の良い情報ばかりに耳を傾けていたことの裏付けになるのではありませんか。ばかものの私は、どこまでも予定調和の満足感に浸っていただけだったのではありませんか。


「そ、そんな! もしやまことの私は、私立コズミック大学を愛してなどいないのでしょうか!」


 後悔、動転、無我夢中……すいきん、自我、ぼく御終おしまいばい! この私が私立コズミック大学を愛していないという、にわかには信じがたい、けれども確かな説得力をもった仮説を前に、私の頭はとうとう限界を迎え、混乱の際涯へと追い込まれてしまいました。


 しかし、なりません――こんなこと、断じて認めてはなりません!


 足掻いて、そして描き、敢行しなければ。正論気取りのこの世界が、嫉妬と自己嫌悪のあまり思わず自死でも選んでしまうほどの、愛の証明法を――。


「はうっ」


 そうして、私は一つの「光」を得ました。どんな複雑なことも、曖昧なことも、その「光」の前ではみな色づいてゆきました。ああ、最初からこれでよかったのだ……そんな安堵が、私の心臓を丸く包みました。


「ああああああああああああ」


 次の瞬間、私は血を吐くように叫びながら、着用していたチノパンと猿股をびりびり破り捨て、そしてゆっくりと、おしっこをしました。


 この行為のなんと爽快なこと! 今まで煩わしかったことの全部が、ふぁさあ、と吹き飛んでゆくかと思えば、私立コズミック大学への深愛の情が、胸底から溢れて止まらないのです!


「はああんっ、すきぃ、この大学すきぃ……!」


 熱のこもった声を上げ、快感の渦に身を任せながら、私は青春のように走り出しました。正門の向かいに植えられた花々や、その奥にそびえ立つ大図書館の周辺を、ぐるぐるー、ぐるぐるー。私の人生もぐーるぐる!

 ぐるぐるー。ぐるぐるー。

 ぐるぐ。

 あはっ、楽しー!

 ぐるぐるぐるっぐる、ぐるぐるぐるっぐる、

 ぐるぐるまぁま、


「て、あら?」


 ふと確かな違和感に襲われ、足を止めました。


 頭を下げてみると、そこには驚愕の真実が――。私の私、おしっこしてるかと思いきや、私がおしっこ出している錯覚に陥っていただけで、全然、おしっこしていないではありませんか!


「はあ? なんでだよ、出ろ出ろ出ろ出ろ出ろでろでろ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ」


 一心不乱に訴えますが、届きそうにありません。どういうわけか私の私は、内なる闘志をこれっぽっちも見せず、こちらには興味などないという風に、沈黙を固持しているのです。


 そして、普段の私が控えめな性格であり、口数も少ないからでしょうか――言葉の放出を続けるうちに、これぞ驚天動地といったような、ここまでの私からは到底考えられない不思議な気持ちが、次第に呼び起こされてゆきました。それは一見すると、私立コズミック大学へ謀反を起こすも同然の心持ちでございました。それでも私は、今更ながら自らの行動を省みては、真新しい迷いを抱かずにはいられませんでした。


 つまり、どういうことかというと、ぼくは本当に、こんなことがしたかったんだっけ?


 もっと素直に、ただ好きだった時があったはずなの。本物とか、純粋かどうかとか、愛の証明とか、何も知らないで。いや、もはやそれらを「知らない」とすら感じず、ただ無邪気にこの大学を愛し続けていた日々が、ぼくにもあったはずなの――。


 ああ、この湿っぽい感じ、嫌い!

 ハングリーばんきー、チョングリーもんきー、ミッドナイトさん、べんべん便べん


 ……悪いのは世界? それとも、ぼく?


 もっとお勉強してよポン。あと、みんなから好かれる努力だって、本当にもう、さぼらんでよポン。

 リリック・アンダーソン総帥も私をみています。今その名を出しても、顔は思い出せませんし、実際の学長は別の名前であった気もしますが……。


 何はともあれ、明日は取り急ぎ、教科書の落札と過去問の購入をがんばります。みなさん応援していてください!


「おい、お前、何をやっている」


 突然、後ろから声がしたので、振り返ると、例の守衛所の男が真剣な表情でこちらを見つめていました。雄叫びをあげたり、私の私に話しかけたりしたことが成果に現れたのでしょう、しもの私も、こうして興味をもたれてしまったようでした。


「ぼく、この大学が好き!」

「ダメだ、頭のおかしなことを言ってやがる。とりあえず警察に通報、きみ滅亡、果てにダストシュート」


 そうして淡々と、ピコ、ピコ、ピコ、一一〇番の入力音が鳴りひびく――。


 その後、程なくしてパトカーが到着し、私は現行犯逮捕されました。取り調べは大変なものでしたが、私立コズミック大学のことを思い出せば大丈夫でした。

 そしてこの時、私は取調官の叱咤を受けながら、釈放された暁には劇的なおしっこリベンジ(今度こそ絶対してやるぞ、おしっこ!)を果たすのだと、少年漫画の主人公のようにアツく決意を燃やすのでした。

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