第5話 空前の灯火
無能の烙印は恐ろしい物だとシードルは思っている。
日々将来への不安に苛まれ、行動が億劫になる。
だがたまに自分はまだなのだと勘違いしてしまう。
まだ努力していないだけ。
まだその時ではない。
まだ才能が開花していないだけ。
まだ終わってはいない。
1日が過ぎたが烙印は消えない。周りが押し続ける、自分でも押す。
そんな症状を持つ者はいつも命が懸った時に思い出したかの様に動き出す。
林檎の吸血鬼、シードルに絶望という名の壁が迫ってきた。
人には大抵義務がある勤労、納税、怠れば後が苦しくなる。ならば人生の義務とは何かそれは過程である。
過程を積むことを怠った、シードルは一気にその過程を積むことになったのだ。
吸血鬼は強さ社会だ、皆が強さに拘る。弱きは蔑まれ肩身が狭い思いをする。
面倒だとやってられるかとシードルは思った。
別にシードルは魔術を持っていない訳では無い。だが問題はその魔術の内容が林檎だという所だ。
林檎という甘い果実でいかに殺しが出来るかなど想像が出来なかった。
いつからかシードルは隠居じみた生活をするようになった。
だがずっと心臓を掴まれるような気持ちの日々はアルレッキーノの来訪によって終わりを迎えた。
今ここで戦果を挙げなければ自分の命が終わってしまう。
もう既に一人は殺したのだ。
幸先は良かったはずなのに。
「何故……ファイラーム卿がいるぅぅ!?」
チャカ・ファイラームは一夜にして国を焦土に変えまた一夜にして姿を消した伝説の吸血鬼なのだ。しかも恐ろしいのはその焦土からは国があった形跡が無く、燃えた事しか分からない程だった。文字通り灰も残さなかったのだ。
それが今すぐ近くにいる。何故だか本来吸血鬼が来れない日本に。
取り敢えず人間を一人殺したのなら自分がアルレッキーノによって始末される事はないだろう。だが今この窮地を脱しなければ明日はない。
逃げるか? それは無理だ今は日が登っている。森の外には出られない。それにファイラーム卿は吸血鬼狩りと共に自分を探している様だった。ずっと逃げることは不可能。
頭に浮かぶ字はお終い。何の為に有ったのかかも分からない、滑稽三文小説のような人生が幕を引こうとしている。
「は?」
次は理不尽という3文字がマグマのように溢れ尽くす。
身体は熱くなる。いや冷たい冷た過ぎて熱く感じる。
今はただ生きる。そうだ吸血鬼は長生な存在生きる資格が有るのだとシードルは思い至る。
「殺す、アルレッキーノもチャカ・ファイラームも……」
身体の変化を感じる。魔術に優れた形態、異形になったのだろう。どれほど醜悪な姿かは分からないが今はそれで良い。
「」
***
「ヤバいな」
明らかに林檎の数が増えている。一つ一つが鉛のように重たい。それに加えて厄介なのは幾ら弾いても何度も林檎が襲いかかってきてキリが無いことだ。はたき落とした林檎がまた迫ってくるのだ。
逆に安心できるのは反応できることだ。なにも重いだけで速くはない。吸血鬼化によってリュウの動体視力は上がっているので処理は間に合う。
一方チャカは迫ってくる林檎を弾きながらも砕いているので林檎の数を減らしてくれている。
相手の位置は分かっているので後は相手を倒すだけだ。森に隠れて遠距離攻撃を仕掛けてくる所をみるに接近してしまえばコチラの勝利であろう。
だが問題は相手に近づくことだ。これが一番難しい。明石がやったように相手から近づいてもらうのは不可能。そうする理由が相手にないからだ。
この状況での勝ち筋、相手の魔力が尽きるのを待つ。だがその間に林檎の数は増えていく。チャカが間引くのにも限度があるだろう。
自分も魔術を使うまでだが、リュウの力は火炎の血痕。ここは森、火災が起きたら状況が悪くなるだろう。林檎を焼き尽くす程度の炎を出せば良いのだが。
リュウは衛助の元に行って以来、魔術の指導は受けていなかった。この事と明石が言っていた事を合わせるに、衛助はリュウを辞めさせたいのだろう、何故だがは解らなかったが。
今リュウは自身の力を上手く扱えない。ライター程の火か巨大な炎かの両極端しか出せない。チャカに火を渡す隙もない。
「」
「チッ」
いよいよ物量に耐え切れず林檎が当たり身体に入り込んでしまった。
「ッ……」
心臓が何か訴えかけようと扉を叩くようにドクドク鳴り出した。水中にいるかのように息が苦しい。
毒だ。毒林檎だ。
吸血鬼には再生能力がある以上致命傷を負わせるのは困難。だが毒ならば身体の機能に働きかけ吸血鬼にダメージを与えられる。
胸を両手で押さえつけ少しでも苦しみから逃れないかと藻掻く。
「ちょっと大丈夫?!」
もゆるが心配する声が聞こえる。その瞬間リュウの中で感情が決壊した。
ーー調子こいてた。チャカがいるから大丈夫って。死ぬことは無いって……取り敢えずコイツらは助かるようにしなくちゃ……
チャカに火を渡す。チャカなら自在に操ってもゆるを助けてくれるかもしれないからだ。
「これで何をしろって……?」
リュウがチャカに渡した火はリュウの命の終わりを告げるかのように消えてしまった。
術者が死ねばその結果が無くなるのも当然の事なのだ。
***
もゆるの目の前でまた一人死んだ。それが二次隊長の死を想起させた。
もう死なせる事はない。何故なら実はもゆるが死者蘇生を為せるからだ。
では何故二次隊長は死んだのか。それはもゆる自身の魔術に対するコンプレックスとあの時は魔術が発動できなかったのが理由だ。
死者蘇生それは大半の者が渇望するだろう。それが周りに知られ自分が蘇生しなければその死はもゆるの責任になってしまう。
それをもゆるは経験済みである。蘇生出来ない理由を話しても其れ等は納得しない事もである。
それに蘇生出来る条件がもゆるにもあまり分かっていない。だが今回は蘇生が可能であった。今ならリュウを助けられる。
もゆるの血痕は自我の血痕。それが死者蘇生を可能にするに至った経緯は。生者はいずれ死ぬそれはこの世界の隅々にまで適応されているルールである。もゆるのどこかで死に対して不服があったのだ。
様々なカードゲーム又はボードゲームで勝つ為に負けぬ為にローカルルールという名のエゴを押し付けるかの様にもゆるはこの世界に死者蘇生のマイルールを押し付けたのだ。
死して数秒以内なら死因を無かった状態にして蘇生が出来る。
ーー出来るならやれじゃないのよ。助かるのは私が望んだ人でもう良いの。
『3秒ルール』
***
「!」
眠っていた様な感じがした、まるで飛び起きたかの様にリュウは息を吹き返したのだった。
だが前方に林檎が見える。正直まだ怖いのだ。深穴の時よりもしっかり死を感じその一線を超えたのだから。自分に死を与えうるそれがトラウマになった。
今のリュウだったらあの時の少女を救うような判断は出来ないだろう。
でも今はこの場を切り抜けるのだ、そうすればもゆるも救える。
「守ってくれるなら大丈夫死なせない、死戦をくぐる必要は無いの」
どうやら生き返ったのは吸血鬼の力ではなくもゆるのおかげのようだ。死なないのならば何も恐れる必要は無くなった。
「あ"」
また毒林檎がリュウの身体を穿つ。息は苦しくなり、心臓もまた破裂しそうだ。
『3秒ルール』
生き返る。
「あ"ぁ"」
死ぬ。
『3秒ルール』
「はたからみてたら面白いことをしているな」
そんな事を言うチャカの声が聞こえてくるが無視する。
生き返る。これを数回繰り返して分かった事が3つあった。
何故だか相手は機械のようにリュウを優先的に攻撃していること。
やはり生き返るとはいえ死ぬのは怖かったこと。逃げることは出来ず、この場を切り抜けるなければ平穏には戻れないことは絶望としてリュウの頭を塗りつぶした。頭を抱えて目を背けたいがそれをしたら死ぬ。
そしてこの場を切り抜ける切り札が完成した事だ。
「やれるな? 童」
「……」
「生者は共通して死から逃れようとする、だが吸血鬼は死の寸前で返り咲きその強靭さが増す、だがお前は真の死を数回迎えた」
チャカの言う通りリュウは何度も死ぬ中で死を回避する方法を意図的かつ無意識に模索していた。
気が付けばそれは考えるまでも無くリュウの頭にはイメージがあり、それは死の淵に置いてあった。
燃えぬよう手首サポーターを外す。
火力は高いままでも丁度良い大きさに抑える。手のひらを広げるのではなく、自分の物にする様に掴む。
それは簡素なグーパン。炎の拳。
『壊炎』
飛来して迫る林檎をその技は砕き、燃やし尽くす。林檎を砕き損ねてもその林檎が再びこちらに迫る前に灰燼となった。ついでに身体能力と動体視力も上がっているようだった。
敵が林檎を増やすスピードを凌駕し追いついた。
今ならチャカにもゆるを任せても大丈夫だと判断しリュウは敵の下へと走り出す。小枝や葉が当たってチクチク痛いが構わず進む。
追撃が来たがもう当たりはしない、効率的に破壊して焼き尽くす。
二、三分走って少し拓けている場所に、林檎の吸血鬼はいた。古く禍々しい樹が天を仰ぐようなポーズでいた。チャカが前に言っていた異形という奴だろう。
「いた! 『壊炎』」
林檎の吸血鬼は抵抗らしい抵抗を見せずにリュウの拳に壊され燃やされた。
「はぁ」
リュウはその場にバタンと横たわった。
ーー終わった、怖かった。
リュウの脚は震えてる。その理由は沢山の死から解放される為に走ったことだ。
「言葉を忘れた異形が……」
「嘘!? 倒しちゃったんだ」
もゆるとチャカが来ているようだった。チャカもここまで走ってきたのだと思うとなんだか可笑しくってリュウは少し安心した。
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