還る場所

バルバルさん

そこに還るのは……

気が付けば、砂浜に寝ころがっていた。


 何か、人生に意味が欲しかった。

 今日もそう思いながら、一人酒をしていた。

 自棄になっているのかもしれない。だが、毎日を浪費するように過ごしていると本当にそう思う。

 毎日、仕事をして、食事して、寝て、また仕事して。その繰り返し。

 そんな日々に意味が感じられない。もっと、何かあるはずだと考えてしまう。

 まるで、死なないために生きているみたいじゃないか。なんてさえ思う。

 ふと、昔親に言われた言葉を思い出しかけて、首を振って、コップに残った酒を飲み干す。

 その酒の入っていたコップを置き、ベッドに寝転がる。

 人生に意味が欲しかった。そう思いながら目を瞑る。

 そして、気が付けば砂浜にいた。


 ここはどこだろう。見た限り砂浜。目の前にはただただ広い海。だが、不思議と磯の香りはしない。

 空は快晴。どこまでも続く青空。そして砂浜と、申し訳程度の何かヤシっぽい木。

 酒と夢の見せる幻覚だろうか。だが、なんだろうか。この海に無性に入りたい欲求が湧いてくる。

 とりあえず、周囲を歩いてみよう。


 ここにいると時間の感覚がマヒしてくる感じがする。海沿いの砂浜を、何分歩いただろうか、それとも、何時間も歩いたのだろうか。

 海も砂浜も途切れない。どこまでも続く。

 あぁ、だが。歩くのも疲れた。

 そろそろ、海に入ろうかな。そう思っていると、他に人がいた。


 呆然と海を眺めている若い女性。その存在に、やっと人がいたと安堵する。

 とりあえず、声をかけてみよう。


「えっと、こんにちは」


 びくり。と女性は肩を震わせてこちらを見た。そして、おずおずと頭を下げる。

 だが、会話はする気はないのか、すぐに海へと顔を向けた。

 これでは、ここがどこだかわからない。何とか話をしようと思い、さらに言葉を続ける。


「あ、あの。ここがどこだか、分かりますか?」


 その言葉に彼女は、ゆるゆると首を横に振って。


「いいえ」


 と、一言だけ。その後は、気まずい無言の時間が続く。

 とりあえず、彼女がここについては何も知らない。というのはわかったが、会話が弾まないのはなんというか、居心地の悪さが勝つ。

 まあ、もう少し歩いてみようかな。なんて思って、彼女の後ろを通り過ぎようとすると。

 砂浜の向こうから、走る足音。


「あー! こんにちはです!」


 元気なその声は、幼い少女のものだ。やって来たのは、可愛らしい女の子であった。

 その子は、俺達の傍に駆け寄ると。


「えっと、私はマミって言います! よろしくね」


 その言葉に目を丸くする俺と女性。

 一瞬顔を見合わせ、女性はしゃがみ、マミと言った少女に目線を合わせる。


「こんにちは、元気でいい挨拶ね。私はユウカって言うの。こちらこそよろしくね」

「はい、ユウカおねえちゃん。えっと、お兄さんは?」

「あ、えっと、俺は。コウタ。コウタっていうんだ」

「コウタおにいちゃん! よろしくね」


元気で快活な子供に少々圧倒されつつも、挨拶は終えられた俺達。


「マミちゃんは、ここに来るまえ、どうしてたの?」

「お家で寝てました!」

「寝てた……」


 マミちゃんも、寝ていたらここに来たようだ。ユウカさんはどうだろうか?


「私も、寝てたらここに来たの。だから一緒ね」

「うん!」

「俺も寝てたらここに来た。ならここは夢……?」


 だが、夢にしては、不思議なリアリティというか、不気味な現実感のある浜辺だ。


「でも、ここは不思議なところです。全然お腹がへらないし、喉もかわきません」


 確かに、ここに来てからお腹は減らないし、喉も乾かない。確かに不思議だな。なんて思っていると。


「ここに来る前は、ずっとお腹が空いてたから、やっと気持ち悪くなくなりました」

「え?」


 そんなことを言い出すから、俺もユウカさんも再び目を丸くする。


「えっと、ご飯。食べてなかったの?」

「うん。ママ、パパが居なくなってから、ご飯、あんまりくれなくなって……」

「……そう」

「でも、いい子にしてたらご飯くれるんだよ? 最近は、私悪い子だから、ご飯くれないし、帰ってこないけど、でも私が悪い子だから……」


 その言葉に、俺は我慢できなくなった。


「違う」

「え?」

「君は悪い子なんかじゃない」


 俺は、ユウカさんの隣に、マミちゃんに目線を合わせるように座って。


「君は悪くない。悪い子なんかじゃないんだ」

「で、でも、ならなんで……」

「それは。君のお母さんが」

「コウタさん、それ以上は……」


 ユウカさんが止めるが、構うものかと口を開く。


「君のお母さんが、本当はいい子が苦手だからなんだ」

「いい子が、苦手?」

「そう。マミちゃんはいい子だから、お母さんは苦手に感じたんだ。だから、もっと悪い子になっていいんだよ」

「悪い子になる?」

「そう、我儘を言って、お母さんに迷惑かけて、一杯ワガママにするんだ。それが、子供の君の仕事なんだから」

「……よく、分かんないけど……私が悪い子だから、お母さんは殴ったんじゃないの?」

「違うよ、マミちゃんは悪くない」

「私が悪い子だから、独りぼっちにしたんじゃないの?」

「違う。マミちゃんは悪い子なんかじゃない」

「……うん、うん!」


 何度かマミちゃんは頷いて、砂浜を走り出した。なんとも元気な子だ。


「……驚きました」

「え?」

「貴方は、マミちゃんのお母さんを悪い奴って言うと思いました」

「……そりゃあ、マミちゃんのお母さんは、極悪人だよ。自分の娘に……」

「……そう、ですね」

「でも、それを伝えて、マミちゃんが傷つくのなら。マミちゃんは悪くないってことだけ知っていればいい。そう思ったんです」


 しばらく、マミちゃんの笑いながら走る音だけがする。やはり元気な子だ。


「……いいなぁ、マミちゃんのお母さん」

「……っえ?」


 いきなり何を言い出すのだろうか。


「私も、子供……欲しかったなぁ……っ。あの人との間に、子供っ……欲しかったなぁ……っ」

「ユウカさん」


 どうやら、ユウカさんにも事情はあるようだ、だが、聞けないだろう。泣く女性に、その意味をなんて。


「いらないなら、欲しいよ。マミちゃん。私の子に……」

「欲しい、かぁ……」


 その言葉、とても良い響きだ。


「なら、ユウカさん。絶対に、子供に「いらない」なんて言わないでくださいね」

「……どういうことですか?」

「……別に。ただ、一度でもいらないって言われたら……」


『アンタなんて、要らない子なのよ!』


「子供って、大人になっても残るくらい傷つくんですよ。マミちゃんには、これ以上、傷ついてほしくないから」

「……」


 本当にそうだ。子供は、要らないという言葉で……

 その言葉の刃で、簡単に死ぬのだ。


「あ、二人とも、見てください」


 ふと、走っていたマミちゃんが声を上げる。。


「どうしたの?」

「海の水が、足元まで来ました!」


 つめたーい。なんて笑っているマミちゃんに思わず頬がほころぶ。

 だが、確かに。波もない海の水が、足元まで来ている。


――――――そしてなぜだろうか。無性に、そのまま海の中へ入りたくなった。


 ふと、ユウカさんを見ると、どうやら俺と同じことを考えているようだ。


「二人とも、どうしたのですか? 二人も一緒に、海に入りましょう!」


 そう言って、マミちゃんは先に入って行った。


「……どうしましょうか」

「マミちゃんもああいってますし、どうせです、一緒に入りましょう」

「……はい」


 そして、俺達三人は、海の中に沈んでいった。


◇◇◇

 この日、三つの命が現世から最果てに還って行った。

 一人は、人生に意味を持てず、「いらない子」と言われ続けた青年がアルコール中毒で。

 一人は、幼い子供が育児放棄され部屋の中で。

 一人は、子供を成せず、成すことができなくなった女性が飛び降りて。


 そして三人の魂は、果ての海へと帰って行った。

 ここは最果ての海、人生の終果てに、母なる海へ還る場所。

 そしていつか、母の胎内へ帰る場所。


 三人の人生に意味はあったか?それは何とも申せませんが。

 海に還る時の三人は、笑顔であったとだけ、記しておきましょうか。


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