実力行使 (大学二年生男子 @一人暮らしの部屋)
「何でそういうことするの?」
ラグに正座し小さなテーブルの上に手を置いて詩穂が怒っている。
部屋に来た時から、何か機嫌が悪いなと思ったのだが、徐々に声の響きが強くなり、表情にもこわばりが見えだして、いよいよそれが取り繕えないところまで来てしまったようだ。
「何でって……」
詩穂の厳しい視線に左斜めから晒されて俺は言葉に迷った。
どう言えば詩穂は怒りを治めてくれるのだろう。
事実は事実として今さら覆せないものがあるが、説明の仕方によって詩穂の受け入れやすさは違ってくるだろう。
しかし、嘘をついてそれがバレたら、今以上に怒るだろうから、多少の修飾の範囲で一番上手な説明をしなくてはいけない。
が、何を言っても怒られるのは変わらないような気もする。「まいったな」
「何でまいるのよ。私は理由を訊いてるだけなの。何でそうしたか正直に言ってくれたら、それでいいの」
詩穂の怒りはまた少し膨れ上がった。
まいったな、が不用意な一言だったようだ。
俺はため息をつきたくなったが、懸命に我慢した。
さっき無意識にため息を漏らしたら、それはそれで叱られた。
黙っていると黙っているで「何とか言え」と怒られるし、もう、どうしたら良いか分からない。
「さっきも言ったけど、理由なんてないんだよ。バイトの帰り道に萌音ちゃんが買い物に付き合ってほしいって誘って来て、時間があったから付き合っただけで、俺にとってはそれ以上でもそれ以下でもないわけで」
俺は一昨日の経緯をありのままに言った。
萌音は俺が働いているカフェのバイト仲間だ。
彼女が父親に誕生日プレゼントを買うのを一緒に選んでほしいとバイト終わりに誘ってきたから付き合ってあげたのだが、それが詩穂には気に入らなかったようだ。
「それはさっき聞きました。それで私が電話をしても気付かなかったってことなんでしょ。私が訊いてるのは、時間があったからって遊びに行ったのは何でってこと。そんなのデートじゃん」
「デートって……」
そんなつもりはなかった。
バイト終わりにちょっと買い物に付き合うことが「遊び」だという認識もない。「それを言ったら、女の子と二人で歩いていたら何でもかんでもデートになっちゃうよ」
反論を試みた。
デートだと認めてしまったら、それはそれで詩穂の怒りがさらにヒートアップする気がした。
ただ、萌音と二人でデパートの紳士服売り場のあたりをあーでもないこーでもないと言い合いながら歩いたり、買い物終わりにファミレスでご飯を食べたりしている時に、これはデートかもしれないと思ったのも事実だ。
そして、その時間が楽しくなかったわけでもなく……。
「じゃあ、デートかどうかは置いといて、時間があったら萌音の言うことをほいほい聞いちゃうの?私という彼女がいるのに」
「ほいほいって……」
俺が何も考えていないような言い方は心外だ。
あの時のことを振り返ると、萌音がバイトが終わった後に何か用事はあるかと訊いてきたから、特に予定はない、と答えた。
父親の誕生日プレゼントを買いに行きたいんだけど、男物の選び方が分からないから一緒に行ってアドバイスしてほしい、と言われ、先に「予定はない」と答えてしまっている以上断る理由が見つけられなかった。
詩穂もだが、萌音も同じバイト先で働く仲間で、頼みごとを理由もなく断ったら、せっかくの良好な職場の人間関係にヒビが入りかねない。「萌音ちゃんが俺と詩穂が付き合ってることを知ってたら、気軽に誘ってはこなかったと思うけど」
恋人関係にある男女は同じシフトにしないというのがバイト先の店長の方針だ。
こういう状況になると、それは適切な職場運営だと思った。
俺と詩穂がこんなトゲトゲした雰囲気で仕事をしていたら、周囲も気を遣って職場全体の空気が悪くなる。
「公表するってこと?」
詩穂と付き合い始めるときに、バイト先に伝えるかどうか話し合った。
結論としては、公表することで同じシフトに入ることができなくなり、すれ違いが増えるのは避けたいと詩穂が言って、俺もそれに従った。
大学の授業やサークルの兼ね合いで互いにバイトは週に三日。
そのうち二日は同じシフトに入っていてバイト終わりにそのまま二人で行動できる。
時間を無駄にせず一緒にいられるそのメリットは大きい。
「俺はそれでも良いかなって」
詩穂は思案顔で黙り込んだ。
「もう、バイト終わりに会えなくなるんだよ?」
それでも良いの?と詩穂の目が言っている。
大学は別、サークルも別の二人にとってバイト終わりのデートがなくなると、会えるのはフリーの日曜日だけになる。
大学生のデートは週に何回ぐらいが平均的なのだろうか。
詩穂とは付き合って半年。
今は週に三回会えているが、それが一回になっても俺は我慢できる気がする。
しかし、この感じだと多分それを言ったら、彼女の目は失望色に染まるだろう。
「んー」
俺はもう何を言ったら良いか分からなくなってきた。
俺が萌音と二人で買い物に行ったこと。
偶然、その時に掛かってきた詩穂からの電話に気付かなかったこと。
萌音との買い物を俺が詩穂に言わず、詩穂は萌音から聞いて知ったこと。
詩穂が気に入らないのはこの三点のようだ。
どれも俺が気を配っていたら詩穂の気分を害することはなかったのかもしれないが、一方で、そんなに怒ることなのかっていう風に思わなくもない。
こうなったら……。
俺は黙って、詩穂の方へにじり寄った。
ラグの上で少しずつ尻をずらしてテーブルの角を曲がろうとする。
詩穂はそれに気づき、一定の距離を保つように俺から遠ざかろうとする。
俺は一気にガバッと詩穂に飛びついた。
床に体を投げ出すようにして横たわる詩穂の腰を捉える。
「何?何?」
詩穂は這うように俺から遠ざかろうとするが、すでに俺の手は彼女の尻の辺りを抱えていて、素早くその上にのしかかった。
馬乗りになって、さらに彼女の肩に手を伸ばし彼女を仰向けにさせようとする。
彼女はラグを掴み、頭を左右に振って抗う。
俺は自分の体を詩穂の背中に密着させ、彼女の胸と床の間へ力ずくで右手を差し込み、首筋に顔を寄せた。
「ごめんって、詩穂」
俺は耳元で囁きつつ、強引に自分の足を彼女の足に絡めた。
「嫌。やめて」
彼女の声に本気で嫌がる響きはない。
「やめない」
「変態。触らないで」
「こっち向けって」
「やだ。嫌い」
俺は右手を少し引き上げて彼女の左頬に添え、少し強引に俺の方へ顔を向けさせようとする。
俺の腕力に彼女が抵抗しきれるはずもなく、少しずつ顔が見えてくる。
「俺は好きだよ」
俺は床に倒れ込むようにしながら強引に詩穂の唇にキスをした。
「んー」
詩穂は俺の胸を押して遠ざけようとしたが、すぐに力を抜いた。
そして自分から俺の背中に腕を回す。「本当は私も好き」
「知ってる」
俺と詩穂は床に転がったまま抱き合った。
俺は彼女の後頭部を優しく撫でる。
「キスしたら何でも許すと思ってるでしょ」
「そんなこと……思ってる」
「むぅー」
至近距離で俺を見つめる彼女は不機嫌そうに頬を膨らませたが、すぐに目元に笑みを浮かべて「許しちゃう」と今度は自分から俺に唇を寄せてきた。
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