水筒をめぐって (高校三年生女子 @教室 (その1))

 どうしたものか。


 私は教室の後方の扉の影に身をひそめて思案した。

 夕方の教室は薄暗がり。

 それでも窓際の自分の机の上にある水筒が私のものであるのは見間違えようがない。


 家に帰る途中で水筒を忘れたことに気付き、急いで学校に戻って来た。

 後は、あれを掴んで家に帰るだけ。

 それだけなのだが、私は教室に入るのを躊躇していた。

 何故ならそこに前橋君とスネ夫がいたからだ。

 しかも私の机の前の席に前橋君。

 私の椅子の後ろの机にスネ夫が腰を下ろしている。

 まるで私の淡いピンクの水筒を挟むようにして向かい合っている。

 何故、そこに?

 前橋君の席は全然違う場所だし、スネ夫に至ってはクラスが違う。


「しゃあねぇな。譲ってやっても良いぞ」


 スネ夫が何かを譲歩した。


 ちょっとかすれ気味の甲高い声。

 釣り目でツンツン頭。

 いつ見てもスネ夫そっくりだ。


「何だそれ。お前のものじゃないだろ」


 前橋君が軽く笑い飛ばす。


 甘い声。

 爽やかな笑顔。

 今日も格好良い。

 昨日も格好良かった。

 多分、明日も。


「だったら、俺が頂くぞ?」


 スネ夫が親指を立てて自分の顔に向ける。


「何でだよ。窃盗犯か」


 何を言い合っているのだろう。

 口調からも分かるが、普段から仲の良い二人だから喧嘩をしているわけではないのだろう。

 二人は家が近所で幼馴染と言える関係らしい。

 金持ちであることを鼻にかけ、自己中心的な性格のスネ夫が前橋君と仲が良いのが気に入らないのだが、そこは仕方ない。


「盗むわけじゃないだろ。ちょっと舐めるだけ」



 舐める?

 何を?



「やめとけ。変態が」

「あっ。そうやって自分だけいい子ぶって。バッシーだって舐めたいんだろ、瑠美ちゃんの水筒。正直になれよ」



 ??????



 びっくりして声が出そうになって、慌てて両手で口を押さえた。


 私の水筒を舐める?

 マジか。



 ゾゾっと寒気がして腕や背中に鳥肌が立つ。

 


 気持ち悪い。

 私の水筒は蓋を開き、飲み口に直接口を付けて飲むタイプのものだ。

 そこを舐められたら、もうあの水筒は使う気がしない。



「俺は別にそんなことしたくない」



 良かった。

 前橋君は普通の感覚だ。

 頑張れ、前橋君。

 スネ夫の野郎。

 どういう神経しているのか。



「じゃあ、帰れよ。俺、ちょっとここでやることあるから」

「水筒、舐めるつもりだろ」

「そんなこと言ってないだろ」

「顔に書いてある」

「そんな奴いねぇよ」

「ここにいる」


 前橋君はスネ夫の顔を指差した。


「あのなぁ……」


 スネ夫は怒った感じで、私の椅子に座った。

 そして、声を殺して諭すように言う。「正直になれよ。お前も瑠美ちゃんのこと好きなんだろ。だったら、こんなチャンスないじゃん」



 前橋君が私のこと好き?



 私はまた声が出そうになって、唇を押さえる手にさらに力を込めた。



 もしかして両想いってこと?

 どうしよう。

 マジか。

 ヤバい。

 何て言うことだろう。

 お腹の底から何かが湧き上がってきて、叫びたくなってきた。

 ドキドキして顔が熱い。



「そう……かな」


 前橋君が私の水筒をまじまじと見つめる。



 え。

 前橋君?

 まさか、私の水筒を舐めるの?


 でも、前橋君なら良いような気がしてきた。

 いや、むしろ嬉しいかも。

 前橋君が舐めた水筒を回収したら、後でこっそりとそれを口に持っていってしまう自分を予感した。

 間接キスだ。

 キャー。



 私は思わず両の拳を握り締めてブルブル震わせる。

 想像しただけで全身の汗腺がドクドク脈打つほどの興奮だ。


 はぁはぁ。


 呼吸が苦しくて口を閉じられない。


「だろ?俺はその後で良いよ」



 はぁ?



 私は頭の線がブチっと切れそうになった。

 馬鹿か。

 何で、前橋君の後にスネ夫が舐めるのか。

 そんなことをしたら、私の楽しみがなくなるだろ。

 下駄箱のお前の靴に画びょう忍ばせるぞ。


「ってならないだろ。しねぇよ、そんなこと」


 馬鹿馬鹿しい、と言うように肩をすくめて前橋君が立ち上がる。「俺、帰るわ。じゃあな」



 わっ。

 どうしよう。

 こっちに来る。



「おう。じゃあな」


 スネ夫が軽く手を挙げる。


 前橋君は制服のポケットに手を突っ込み教室前方の扉に向かって歩き出した。


 水筒は机に置かれたまま。



 私の水筒、何だか心細そう。

 まるで私があそこに立っているような気持ちになる。

 悪の組織に連れ去られ、拘束されているみたい。

 前橋君、行っちゃうの?

 私、どうなっちゃうの?



 その時、前橋君の背後でスネ夫が水筒に手を伸ばした。



 嗚呼!

 ヤバい。

 前橋君!

 助けて!



 ワンタッチの蓋がポンと開く音がする。


「やると思ったよ」


 そう言って前橋君がスネ夫に飛びかかり、その腕を鷲掴みする。


 蓋は開いてしまったが、スネ夫の動きは止められた。


「瑠美ちゃん……」


 苦しそうにスネ夫が私の名前を呼ぶ。

 そして、首を伸ばして水筒に口を近づけようとする。


「やめろって」


 前橋君がスネ夫の額に額を押し付け、水筒との距離を保つ。

 男子二人の強力な力によって私の水筒が行ったり来たりする。

 



(その2へ続く)

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