お気に入りの部下 (会社員女子(三十九歳) @居酒屋の個室 (その1)
ずっと考えている。
何が正しいのか。
三十九歳。
部長。
部下はおよそ二十五人。
独身。
離婚歴あり。
出産歴なし。
これまで、可愛いと言われるよりはキレイと言われることの方が多かった。
性格的なことも影響しているのだろう。
昇進すればするほど、普段から隙を見せないように肩肘張っているところがあることも自覚している。
御しにくい女。
そう思われていることも知っている。
私を部長に抜擢したであろう役員たちも私の扱いに気を遣っているところがある。
私も年若の女性社員に対するように気軽に世間話をしてほしいという気持ちもあるが、誰もそんなことしてくれない。
あーあ、と思う。
先日、打ち合わせで子会社に行ったときに久しぶりに会話した同期が楽しそうで羨ましかった。
彼女に出世欲はなく、半ば自分から子会社へ転身し、そこで主任という、あるようなないような肩書きで働いている。
二児の母で、年相応に外見に衰えを見せているが、公私ともに余裕のある生活を送っているように感じた。
朗らかな雰囲気が滲み出ていて、同僚と談笑しながら昼食をとっている姿が印象的だった。
同行した役員が彼女のことを覚えていて「おー」と自分から近寄って話しかけたことに自分でも驚くほど嫉妬した。
私にはそんな気さくな感じを見せてくれないのにな。
出世をしたくなかったわけではない。
いや、したかった。
だから、当然のように毎日残業し、休日でも仕事のことばかり考えて、色んな企画を提案し、上役のいる会議では目立つために発言を重ねた。
そうやって何とか勝ち得た今のポジションに立って達成感と共に味わっているこの空虚さは何なのだろう。
分かっている。
純粋な実力でここまで出世をしたのではない。
女性の社会進出が叫ばれる時代。
対外的なアピールとして部長級の名簿に女性が必要だった。
株主に配る決算資料などに女性の名前と顔写真を載せないわけにはいかなかっただけだ。
実力があれば男性だろうが女性だろうが関係なく抜擢する。
よく言われることだ。
が、そういったスローガンを掲げた結果、多少実力が劣っていても女性を重用せざるを得ないというのは皮肉なことだ。
そういう時代の流れは私の出世に大いに追い風だったし、これからもそれは変わらない。
必死に業績を上げてアピール合戦を繰り返す先輩男性部長たちを尻目に、私はあと数年無難に仕事をこなせば役員になれると踏んでいる。
私が好むと好まざるとに関わらず、そういうレールの上を走るトロッコに既に私は乗っているのだ。
そのトロッコは私だけを運んでいく。
スムーズでスピーディーで渋滞のない旅路。
ないものねだりなのだ。
ぜいたくな悩みと承知している。
だけど、私も一人の人間として人との温かみのある交わりが欲しい。
一人の女性として男性に可愛がってもらいたい。
それを求めることは決して許されないことではないはず。
何かしら潤いをもたらす触れ合いに私の心が飢えている。
そう飢えているのだ。
そんな時、ちょっと気になっている年下の男性部下と一緒に一泊二日の出張に行くことになった。
それだけだ。
それだけなのだが、勤務外の時間に日常とちょっと違う状況を一人の女性として自分を飾って楽しめればと思っていた。
独りよがりで良い。
こないだ始めたスマホの恋愛シミュレーションゲームのようなものだ。
昨年転職でうちの会社にやってきた人懐っこい笑顔が魅力的な彼はゲームの登場人物で、私は主人公として今日の日を楽しむ。
そのために何を着ようか二週間ぐらい考えたし、朝もいつもより一時間早く起きて入念に髪型を整え、化粧を施した。
下着は一番のお気に入りを身に着けている。
そうやって一人で自分の気持ちをアゲている。
名古屋の企業に対して自社製品のプレゼンを行う営業活動を三件行った。
日が暮れたところで名古屋めしを食べに行こう、というのは自然な流れで進んだ。
ある程度お腹がいっぱいになったところでまだ八時前だったから、もう一軒どう?というのも無理のない展開だったと思う。
二人してスマホで検索した近くの居酒屋の中からここを選んだのは「個室」が用意されるからだったが、そこも何気ない感じをうまく装えたと思う。
そして、今。
酒が入って順調に砕けた雰囲気になってきたが、さて、私はここからどう振舞えば、このゲームをより楽しめる展開にもっていけるだろうか。
酒が効いてきているのかもしれない。
彼の肩に頬を預け、その腕を取り、胸をグイグイ押し付けて、ゴロゴロにゃんにゃん甘えたくなってきた。
が、立場上それはまずいことは分かっている。
部長の威厳がなくなるし、客観的に見てセクハラだ。
もうちょっと控え目なところに目的地を設定しよう。
体温を感じたい。
肩や肘が時々触れるぐらいなら問題ないだろう。
それで私の印象(褒め言葉)を耳元で聞かせてもらえたら今日という日を満足できる。
そうやってゴール設定をしてみたが、その道筋は全く見えない。
そもそもこの個室では向かい合って座っているので彼の体温を感じられるはずがない。
二人きりになれるからと思って選んだが、失敗だったか。
三軒目に行こうと言ってみようか。
バーのカウンターなら隣同士に座れる。
しかし、名古屋に土地勘はないし、そろそろホテルの部屋に帰りたいと言われたら詰みだ。
それぐらいならこの店で粘った方が良い。
むむぅ。
「ちょっとぉ。また、仕事のこと考えてますよね?」
赤い顔をした古賀君が私にビール瓶を向けている。
「違う、違う」
私は顔の前で手を振った。
しかし、グラスのビールは飲む気がしない。
お腹がいっぱいになってきたし、ゲップを殺すのが苦しい。「古賀君こそ飲んでよ」
私はビール瓶を奪おうと手を伸ばす。
「僕はもう十分飲んでますから」
「まだまだでしょ。酒豪って聞いてるよ」
「誰ですか、そんなこと根も葉もないこと言ってるのは」
「誰だっけ」
わちゃわちゃしたやり取りが楽しい。
ビール瓶を中心に応酬している間に触れた古賀君の指の意外な太さと硬さに人知れずキュンとする。
結果としてビール瓶を奪い、古賀君のちょっとしか空いていない卓上のグラスにちょっとだけビールを注ぐ。
が、目分量を間違って、零れてしまう。
「あ、ちょっと……」
慌てて古賀君が前傾になってグラスに口をつけて吸う。「部長。もったいないですよ」
「あはは。ごめん、ごめん」
「そうやって、相手を酔い潰させるテクニックですか?」
「なわけないでしょ」
否定しながらも、古賀君がアルコールでもっと砕けてくれることを期待してしまう。
こんな感じでテンポ良く遠慮なくやり取りができるのは古賀君の良いところだ。
イケメンというわけではないが、良く笑ってくれて、しかもクシャっと皺だらけになる笑顔が私のストライクだから一緒にいて楽しい。
「部長こそ酒豪ですよね。飲み始めから全然変わらない」
「そんなことないよぉ。だいぶ酔っ払ってる」
実際はそんなに酔ったつもりはないが、そう言った方が雰囲気が甘くなるかと思った。
酔っ払っている方が踏み込んだ会話ができるし、ハプニングも起こりやすい。
どんなハプニングを狙っているのか自分でも良く分からないが。
「そうですか?見た目は変わっていないですよ。もっと飲んでくださいよ」
また古賀君がビール瓶を持ち上げる。
「でも、私、本当に強くないから」
「酔うとどうなっちゃうんですか?」
「さぁ……」
私は首を傾げながら、若かりし頃の失敗を思い返していた。
大学生のころ、私はお酒の席で好意を持っていたサークルのOBの男性に告白したことがある。
お酒を飲んでいるうちに何故か妙な自信が湧いてきて、その場で好きですと言ってしまった。
そして、返す刀で、ごめんなさい、と断られた。
その後の惨めな空気と言ったら……。
どんな酒席でも酔ってしまわないように酒量をセーブするようになったのはあの時からかもしれない。
口は禍の元だ。
酔っ払っていても素面でも私の口から零れてしまった言葉は取り戻せない。「思ったこと、すぐに口にしちゃうのかな」
「そりゃ、面白そうですねぇ。今日ぐらい酔っ払っても良いじゃないですか。僕、何言われても平気ですから」
そう言って古賀君は日本酒飲み比べセットなるものを勝手に注文した。
(その2へ続く)
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