他人のキスを見たら (主婦(41歳) @自宅のリビング)

 前回アレに触れたのはいつだったろう。

 ヨガマットの上で風呂上がりのストレッチをしつつ夫の唇を見つめながら、そんなことを思う。


 そんなことに意識が行ってしまうのは、帰り道で他人のキスを見てしまったからか。

 あのキスを見て、私は触発されてしまったのだろう。

 興奮したとまでは言わないが、瞬間的にクッと血圧が上がり、ほんの少し頬が火照る感覚を味わった。


 乗客がわずかだったとは言え、電車の中という公器での、恐らく高校生同士の軽いキス。

 そこには可愛らしさや初々しさと共にこちらの居たたまれなさがあった。

 キス自体は男子側の突然の行動だったようで、女子の表情には驚きが見て取れた。

 サッと電車を降りていく男子の姿を呆けたように窓越しに目で追い、その後、懸命に引き絞るが、ニヤニヤが止められないその唇を両手で覆い、小刻みに足踏みする女子の仕草は映画の一場面のようで、彼女の胸の高鳴りが伝わってくる光景だった。


 彼女にとってあれがファーストキスだったのかもしれない。

 もしそうだったらなおさら彼女はあのキスを一生忘れないだろう。

 私も学生時代にあんな風に一方的だけどスマートに意中の男性からキスされたかった。


 それは高望みに過ぎるとしても、とんとご無沙汰になっていて、単純にキスが羨ましい。 


 羨ましいと思うのと同時に、寂しさの苦みを噛みしめた。

 私はもう二度と夫の唇と触れ合うことなく老いていくのだろうか。


 結婚前、当時付き合っていた夫とは二人で会うたびにキスをしていた。

 結婚してからも、毎日とは言わないまでもそれなりにしていたと思う。

 やはり、出産と育児でキスは遠のいた。

 四十代になった今、夫と前回キスをしたのがいつだったか思い出せない。


 キスは性行為の一環としての行為と単独での行為との二つに分けられるだろう。


 二児の出産により何となく子どもはこれで打ち止めという気配が夫婦の間に漂った。

 私個人としてもそれで良いと思っている。

 ただ、それにより、性行為は子作りのためとしては不要となり、ただ単に夫婦の性欲を満たすためのものとなったと言える。


 性欲。


 正直、出産を境に私の中でそれはかなり低くなった。

 他人のことは分からないが、少なくとも私にとって性欲は妊娠への希求に裏打ちされた面が強かったということなのだろう。

 受精の必要性に区切りがついた子育て期において私の関心事は二児の世話がメインとなった。


 当然だ。

 幼い我が子は自分では何もできない、親が面倒を見なければ生きていけない弱者なのだから。

 私たち夫婦には生まれてきた子どもを育てる義務があり、その義務は夫婦の時間の多くを割かなければ果たせないものだった。


 そういう状況にあっては夫の存在は我が子を育むための相棒という認識になっていたように思う。

 私の子どもへの愛は深く、自分は良い母でありたいと思うようになった。

 そして相棒の夫には良き父であることを求めた。

 良き母と良き父に必ずしもセックスは要らない。

 当然、性行為につながるキスもまたしかりだ。-


 しかし、少しずつ状況は変わってきている。

 二人の子どもは今や中学一年生と小学五年生。

 手が掛からないことはないが、一日中見ていなければならないということはない。

 逆に、見られていることに反発するようにもなってきた。

 現に今もそれぞれ自室に引きこもっている。

 そういう意味では引き算の結果として夫婦の時間が増えつつあり、その過ごし方を見つめ直す時期に来たのかもしれない。


 では、改めて夫と性行為をするということか。

 いや、それはなくても良い。

 セックスをしなくなって……十年ほど?

 今さら、どういう手順を踏めばそこに至れるのか分からない。

 急に私がその気を見せたら、夫も困惑するだろう。

 そして、自分の体の衰え問題というのも厳然とそこに存在する。

 外見で言えば、たとえ夫であっても、このたるんだ張りのない体を見せるのは恥ずかしい。

 内側、つまり体力の面でもセックスを一セットこなせるか、こなした後の反動がどれほどかが不安だ。

 それにセックスでもたらされる快感や刺激がこの年齢になると強すぎる気がする。

 夫も程度の差こそあれ、結論としては同じものに至るのではないか。

 となると、性行為に付随する行為としてのキスは依然として遠い存在のままということになる。


 一方でキスを性行為とは別物の単独の行為として見たときに、私たち夫婦はそのキスをどう扱っていただろうか。

 少なくとも習慣として定着させてはこなかった。

 行ってきます、とか、おやすみ、とか、おはよう、とか。

 する時もあったが、しないことの方が普通だった。

 日常の場面ごとにキスをすることに面倒だという意識はなかったが、欲求も必要性も感じておらず、夫婦ともに積極的ではなかった。

 行ってきますのキスを習慣として構築していたら今になってキスをどうこう見つめ直すということもなかったのだろうが、ルールやルーティンとしていたらしていたで面倒に感じたり感じさせたりということもあっただろう。

 義務感によるキスだなんて言葉の響きは悲しい。


 それに親のキスを子どもはどう見るのかという問題もある。

 少なくとも自分の両親は私の前でキスをしたことがない。

 日常的に行われていたら、キスに対する考え方も変わっていたかもしれないが、私が今の自分の子どもの年齢ぐらいの時に急に親がキスをしているところを目撃したら、見て見ぬふりをして余所でやってくれよとうんざりしたかもしれない。

 自分から親のキスを見たいと思うことなんてなかった。


 同じことは自分の子どもにも言えるのではないか。

 私たち夫婦も子どもたちの前でキスをすることを見せたことがないと思う。

 今の時代、私たちが子どもだった頃よりキスに対する許容度は高まっているだろうが、子どもが親のキスを見たいかと言えば、それはまた違う気がする。


 だとすると、単独の行為としてのキスも実際、時と場所を見つけにくい。


 しかし、今、私のキス欲は近年ないぐらいに高まっている。


 では、私は誰とキスをしたいのだろう。

 相手は夫が良いのか、夫でなくても良いのか。

 はたまた夫以外が良いのか。


 ソファに座ってテレビを見ている夫を間近に見ながらそんなことを考えることに少々ドキドキする。


 これだけのことでドキドキしてしまうのだ。

 実際問題、夫以外の人とキスをするのは私の精神に大きな影響を与えるだろう。

 それは相手に対する好意が余程強くなければ、おそらくマイナスの面が大きいのではないか。

 気持ちを許した相手でなければ、キスがもたらす幸福を享受できないに違いない。

 となると、今この昂ぶっているキスへの希求をぶつける相手としたら、やはり夫しかいない。


 この気持ちを夫は受け止めてくれるだろうか。


 そもそも夫はキスをどう思っているのだろう。

 そんなもの意識の外にあって、普段考えることもないのだろうか。

 私とキスをしたいだなんて、思ってもみないのかもしれない。


 私とキス?


 夫は相手が私でなかったら、どうなのだろう。

 職場の若い女の子とだったら、そりゃしたいだろう。

 もしかしたら、私が知らないだけで不倫していたりして。

 だから、私に手を出すことがめっきりなくなったのか。

 一般的に男性は四十代でも性欲は旺盛だと聞く。

 なのに、私にセックスを求めてこないということは、外の女で処理しているからではないのか。


 そんなの許せない。


 私は夫を見る目に憎悪の念を込めた。


「ん?どうしたの?」


 夫が私の視線に気づき、少しうろたえた様子を見せる。


 それがまた私の癇に障る。

 やましいことがなければ、うろたえる必要などないのに。


 私はヨガマットの上に立ち上がった。

 そして、つかつかと夫の隣にまで歩いて行ってソファに腰を下ろした。

 まっすぐに夫を見つめる。


「キスして」

「は?」

「できないの?」

「いや、そういうことじゃなくてさ……」

「じゃあ、してよ」


 私は無造作に唇を突き出した。


「何だかな……」

 夫は諦めのような声と共に私の肩を抱き寄せ、そっと口づけをした。「どう?」


 夫の唇の優しい感触。

 全身が浮き上がるような脱力感。

 後頭部に快感に似た淡い痺れ。

 夫への愛情が温かい血の流れと共に全身をめぐる。


 キスはやっぱり良いものだ。


「満足」


 ドライヤーを掛けに浴室へ向かう私の足取りは不思議なぐらいに軽かった。

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