二股 (大学一年生(一浪)男子(二十歳) @自宅)
「どうだ?」
四方からみんなに見つめられて、俺は何と答えれば良いか逡巡する。
何か気の利いたことを言わなければならない雰囲気に圧され、そちらばかりが気になるから十分に味を感じられていない。
「ちょと、よく分かんないです」
グラスをコタツの上に置いて正直にそう答えると、みんな一様にがっかりした顔をする。
「何だよ、それ。つまんねぇなぁ」
俺の正面に座る三年生の横川さんがここに集まった俺以外の四人の気持ちを代弁するような顔で四人分の声量で非難するから耳が痛い。
しかし、安易に「おいしい」と言っても、次の言葉が出てこない。
それはそれで先輩たちには見透かされそうで怖い。
四人は俺の二十歳の誕生日祝いということで先ほど突然俺の部屋にやってきた。
二年生に進級するために必要なレポートの提出が明日に迫っていて気が急いているところだが、せっかくお祝いしてくれるのだからむげにできない。
「ほんとに、つまんない」
高校時代から付き合っている美里まで横川さんの味方だ。
美里は一浪して入学した俺よりも一年分横川さんたちと付き合いが長いからか、このハイキングサークル内では少し俺のことを見下した感じを出してくるのが前々から気になっている。
「まあまあ。こんなにじろじろ見られたら、味もよく分かんなくなるよ」
横川さんの同学年の真奈さんだけがフォローしてくれる。
もう一人、美里の同学年の住友さんは横川さんの向こうでスマホゲームに熱中している。
電池の残量がピンチだったらしく俺の部屋に上がり込むなりコンセントにつないで充電を始めた。
オンラインで誰かと何やらバトルをしているらしく、ある程度ケリがつくまで住友さんは黙ったままだろう。
「これ、結構高かったんだぞ」
横川さんは持ってきたシャンパンのラベルを悔しそうに見つめる。
横川さんは酒類の卸売会社でアルバイトをしていて、商品を社員割引きで格安に手に入れることができるらしい。
「やっぱり最初はビールか発泡酒で良かったんですよ」
美里が馬鹿にするような感じで言う。
「じゃあ、勿体ないから来月の美里ちゃんの誕生日まで、残りは取っとこうか」
横川さんがシャンパンの瓶を握っておどける。
すると美里がおおげさに「えー」と眉をしかめる。
「そんなケチなこと言わずに、もっと良いシャンパンでお願いします」
「しょうがねぇなぁ。またバイト先でお願いしてみるよ」
「やったー。楽しみ」
無邪気に諸手を挙げて喜んで見せる美里。
横川さんがシャンパンの瓶を俺に向ける。
俺はグラスを差し出しながら、美里の横顔をチラッと見る。
俺は横川さんと美里の関係が怪しいと思っていた。
証拠はないが、美里が横川さんに上目遣いで媚びている感じがどうにも嚥下できない。
昨日は誕生日祝いということで美里と二人で夕食を一緒に食べたが、こんなに楽しそうではなかった。
「田代君って気分的には誕生日当日っていつなの?」
真奈さんの質問は誕生日が二月二十九日である者の宿命でもある。
人生でこの質問に何度答えてきたことか。
「二月二十八日だとまだ十九歳なんですけど、三月一日は翌日っていう感じがしちゃうんで、二月二十八日から三月一日に変わる瞬間ですかね。正直、本当の誕生日は四年に一度しかやってこない感じです」
「ふーん。そっか。じゃあ来年は盛大にお祝いしないとね」
そう言って微笑んでくれる真奈さんの存在に癒される。
俺の誕生日を祝おうと思って来てくれたのは真奈さんだけだと思う。
他の人は俺が初めてお酒を飲むリアクションを見に来ただけだ。
「ぜひ、お願いします」
「よっしゃー!」
突然、住友さんがガッツポーズを決めた。
どうやら、スマホゲームはうまくいったみたいだ。
「おいぃ。急にびっくりさせるなよ、住友」
横川さんが大げさに耳を手で塞いで抗議する。
「あぁ。すいません」
住友さんは言葉では謝罪しながらも、よどみのない動きでコンセントから充電器のプラグを抜く。「ありがとな、田代」
「十円です」
「何だよ、田代。電気代取るのかよ」
「苦学生なんで」
「しょうがねぇな。おらよ」
住友さんはポケットから小銭を取り出して投げた。
受け取った硬貨は五十円玉だった。
「お釣りなんかありませんよ」
「いいよ。誕生日プレゼントだ」
「だったら、もっといいもの要求すれば良かった」
「何、言ってんだよ。そのシャンパンがあるだろ。俺も金出してんだぞ」
そう言われれば礼を言うしかない。シャンパンなんて欲しかったわけじゃないけれど。
「皆さん、ありがとうございます」
「じゃあ、行くか。あまりレポートの邪魔しちゃいけないからな」
横川さんが立ち上がり、他の三人もそれに
四人を玄関まで送る。
ドアの外から流れ込む空気はかなり冷たい。
寒い、寒いと手を擦り合わせながら、みんな逃げるように立ち去った。
ドアを閉め、部屋に戻ると、深い緑色のシャンパンの瓶が寂しさを形容するようにそこに佇んでいた。
一人でレポートを書く作業はついさっきまでもやっていたのに、突然四人がやってきて、十五分ほどでみんながいなくなると、不思議とこの部屋に寂しさというものが生まれる。
シャンパンの味は良く分からないが、寂しさのほろ苦さが喉の奥に絡んできた。
俺はグラスに残っていたシャンパンをグビグビと飲み干した。
ピンポン
チャイムが鳴った。忘れ物だろうか。
ドアを開けるとそこに立っていたのは真奈さんだった。
真奈さんは俺の体押し込むようにして、少し強引にドアの内側に入ってきた。
「ちょっと、忘れ物しちゃって」
後ろ手にドアを閉めて俺を見上げる真奈さんの目が少し怖い。
こんな機嫌の悪そうな真奈さんは初めてだ。
「何を忘れたんです?」
「上がって良い?」
「あ。はい」
真奈さんはズイズイと奥へ入って行く。
何か怖い。
恐る恐る後ろをついて行く俺に向かって真奈さんは「コタツのあそこに……」と指を差す。
コタツ?
小柄な真奈さんと目線の高さを合わせるために俺は少し屈んで、その指の先のコタツを見つめる。
何も落ちていないが。
その時、横にいた真奈さんが俺の頬に手を当てて向きを変え、顔を近づけてきた。
そして、スッとキスをする。
「?」
「これ、私からの誕生日プレゼント」
「は?」
「私、遠慮するの、もうやめようと思って」
「遠慮、ですか?」
「田代君と美里ちゃんって付き合ってるんでしょ?」
「ええ。まぁ……」
ばれていたか。
俺は内緒にするつもりもなかったが、美里がサークル内の空気が変になるのが嫌だからと言うので、大っぴらにはしていなかった。
それでも、勘の良い人には分かってしまうのだろう。
「美里ちゃん、田代君には内緒で横川とも付き合ってるのよ。二股なの。今日だってここに来るまでイチャイチャしてて、ここから出たら、またイチャイチャして。そんなのが許されるんなら、私だって美里ちゃんに遠慮することないなって思って。田代君への気持ちを押さえつけてきたのが馬鹿馬鹿しくなってきたの。そうじゃない?」
「いや、まぁ。え?えー!」
色んな事で頭が混乱して、やっぱりシャンパンの味が分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます