第24話黒紫憧さんと四月の日々⑭

「ふはっ!」


「ねんねんーころりーヨー。おころりーヨー。ぼうやはーよいこダー、ねんねーしナー。あんまりよいこじゃなくーてもー、ねんねーしナー。やっぱおきナー」


 微妙にイントネーションの悪い歌声に揺さぶられ、目を覚ます。頭の下にやらかい感触があり、まぶたを開けば眼鏡をかけた小動物みたいな顔の大人がいた。


「あ、起きたナ。問題児?」


 ――――救世ぐぜ導子どうこだ。


 ………………。


 救世導子ぐぜどうこだ。


 え、いや。なんで?

 なんでぼくは救世導子ぐぜどうこに膝枕されているの――――っ!


「ひいいぃ!」


「あ、コンニャロウ。せっかく人が介抱してやっているのに、悲鳴あげやがって!」


 反射的に跳び起きて床のうえを転がる。


 状況確認をするぞ、白日はくじつゆうひ。サー、イエッサー。頭、いたい。けれど包帯が巻かれている。悪化の心配はない。ヨシ! 周囲の状況は? 応接ソファーに複数の棚、そして長めのパーテーションがある。つまり生徒指導室だ。罠の心配はない。ヨシ!


 ヨシか……?


 なんでぼくは生徒指導室にいるの?


 床に片膝ついた、なんちゃって騎士みたいな体勢で、応接ソファーにもたれる救世ぐぜ先生を見る。先生は膝枕から解放された反動か、脚を組み、右手の小指あげながらマグカップの中身をズズズとすすっていた。


「ナンだよー。そんなにミつめて? ワタシに恋でもしたか。へい、ボーイ?」


「へい、ティーチャー。教師と生徒の恋愛、もんだいガーイ。どうしてぼくはここにいるのさ、問いかけたーい。チェケラ!」


「……ひど、ひどくナーイ? ボーイ、ひどくナーイ? うぅ」


 救世ぐぜ先生は手を震わせ、カップをおいてめそめそと真似を泣き始めた。


 ええ……。なんで今日はそんなに打たれ弱い設定なの? めんどくさ! そんな性格じゃないでしょうに。


 まだちょっと痛む頭を抑えながら、仕方なく救世ぐぜ先生に近寄る。彼女は両目を抑え、縮こまっていた。やりたくない、本当にやりたくないんだけど……よるねにするみたいに、頭をポンポンと叩いてみる。


 救世ぐぜ先生――いや、導子どうこちゃんは、しゃくりあげながら言葉を発した。


導子どうこね、導子どうこね。頑張ったノ。今日、頑張ったんだヨ。うえーん!」


 キッッッッ!


「う、うん……そ、ソウダネ……」


「うん、うん! 部活動紹介の司会だってネ、あれ、良かれと思って言ったんだよ? 導子どうこ、ヨカレト思って言ったノ。ああ、この先、コノ子たちがワタシと同じ過ちを繰り返さないようにって。ソウ、善意デネ! ナノに教頭と来たら、『自分の行動をかえりみろ!』だって。過去をかえりみたから、忠告したんダローガ!! う、うああああああああああ!」


 導子どうこちゃん――推定年齢二十代後半、独身、学年主任で担任の女教師――は、臆面もなくぼくの腹にしがみついて汚いような、そうでもないような液体を、顔中から漏れながす。


 内側からも頭が痛くなってきたな……。


「ワタシはみんなのタメを思ってサァ!」

 時と場所。

「ワタシは被害者ナンだぞ!」

 今日は加害者だったよ。

「結果的に、大盛況で終わったジャン。今日の部活動紹介。ナア?」

 ほぼ全部、黒紫憧こくしどうさんの手柄だけどね。あと他のパフォーマーたちの。


「やんや、やんや、ナンでワタシが文句言われなきゃいけないんだヨ。理不尽だよ、このシャカイ! 頼む、白日はくじつボーイ。ワタシのお兄ちゃんになってくれ。そして養え。このトーリだ、頼む!」


「いやだ」


「いやだ!? なぜ断れる、この提案を!」


 なんで受け入れられると思ったんだよ、逆に!!


 嫌だよ。こんなよるねとぼくの悪い所を足して、十年くらい冷凍保存させた挙句、チンして出来上がったような大人の面倒を見るの。よるねだって大変なのに。よるねだけだって大変なのに。……いや、あっちはあっちで、ぼくの面倒を見ていると考えているふしがあるので、控訴中なんだけれども。


 ともあれ。明確に固辞すべくゆっくりと導子どうこちゃんをお腹から離していく。「推定、オニイちゃん……!」斬新だな、その呼び名。もう二度と呼ぶなよ? 十歳以上年のはなれた、担任の教師のくせして。


 ぼくはテーブルの上からティッシュをぬき取り、救世ぐぜ先生の鼻に当てる。チーン、と何回も響いた。「落ち着いたかい、導子どうこちゃ――救世ぐぜちゃ……救世ぐぜ先生」「うん、うん! ……なんかどもらなかったタ?」「い、いやあ。どうですかね?」


 救世ぐぜ先生をソファーに座らせ、ぼくは対面のイスに座る。早く帰りたいが、どうしても聞きたいことがある。それを聞かねば。


 なにかと言うと。

 どうしてぼくは生徒指導室ココで眠っていたのかということ。


 マグカップを掌でもてあそぶ救世ぐぜ先生に優しく、幼稚園児の頃のよるねに接するみたいに「あの。ところで聞きたいことがあるんですけど?」と笑顔で切り出してみる。すると救世ぐぜ先生は――ニヤアと悪魔みたいに笑って、急に脚を組み始めた。三十度くらい頭をかしげ、右手で支え出して。


「知っているヨ? どうしてここに運ばれたのか、それが気になるんダロ?」


「え、ええ。まあはい……」

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