第12話 黒紫憧さんと4月の日々③

 いた。あの清楚で植物みたいにお紅茶を飲む黒紫憧こくしどうさんが。ぼくの目の前で。ぼくの目の前で。思わずハンケチーフを取り出して黒紫憧こくしどうさんに手渡す。


 よるねのと間違えて、猫が十匹かがみ餅みたいに刺繍ししゅうされたハンケチだ。


 そのがらを見て、黒紫憧こくしどうさんはもっとむせ返る。ケホッ、コフコフッ……! どうしよう、今日死ぬんじゃないかな、黒紫憧こくしどうさん。下手人はだれだ。ぼくか?


「あ、ありがとう……コフコフッ、ご、ごめんなさい」


 さすがの黒紫憧こくしどうさんも後ろを向いて、ハンケチで口を抑えている。年頃の少女だ、恥ずかしい姿は見せたくないのだろう。同年代としてその気持ちはよくわかる。犯人の思うことではないだろうが。サイコパスかな?


 落ち着いた黒紫憧こくしどうさんを確認し、歩きながら再び口を開く。


「そういえば今日から新入生への部活勧誘がはじまるね?」


「え、あ、な、流すのっ!? さっきのコト!」


 うん。まあ……。切り替えがうまくいかず口から出たサビみたいなものだし。黒紫憧こくしどうさんは可愛いってより綺麗系だよね、が本音だが、深追いはやめる。さらに墓穴を掘ることになりそうだ。


 そもそも『チョー可愛い』に込められているプラスの意味に違いはないので、訂正するのも変だし。結論スルーで。


 ぼくのいさぎよさに呆然としているだろう黒紫憧こくしどうさんは、ほほが紅茶の色よりよっぽど赤い。ぼくも耳が熱い。指摘するとまたブレーキとアクセルを踏み間違えそうなので、勢いで突っ走ることにする。


「ワクワクするね。すごいワクワクするじゃん! 黒紫憧こくしどうさんはどんな部活に入っているのさ!? うへへ!」


白日はくじつくんが別人みたい。私、泣きそう……。ん、と。そうね。私は華道と弓道、それに生徒会に入っているわ。華道と弓道は週の半分ずつ出て、生徒会は残った時間で仕事をこなしているの。どれもすごくやり甲斐があるわ」


 ホワッツ? なんて? 人間の体は一つで、腕の数は二つだっていうのに、なんで三の答えが出てくるんだい? ワハハ。


白日はくじつくんはなんの部活に入っているの?」


「帰宅部と下校部と直帰部、あと自宅警備部くらいかなー?」


「ええと、ええと、ううんと…………ぐすっ!」


 黒紫憧こくしどうさんがうまい返しを思いつかないようで、涙ぐみ始めた。


 いや、いいんだよ。黒紫憧こくしどうさん。そんな無理にひねり出そうとしなくても。容器の底のマヨネーズじゃあるまいし。笑ってくれ。ぜひ笑ってくださいよ。部活動にすら入らない軟弱なと。


 そもそもぼくは一人でゆるゆると過ごすのが好きなので、部活動などには加わらない方がいい人種なのだ。きっとそうなのだ。


 決して運動が苦手とか、集団行動になじめないとか、そういうことじゃない。ホントだぞ? ホントだからな! 理解ワカっているだろ、白日ゆうひ!? だからきみも泣きそうになるな!


 まだ本気だしてないだけ、まだ本気だしてないだけ、とぶつぶつ詠唱を唱えるぼく。それとは一転して、黒紫憧こくしどうさんは――急に頭をあげた。心なしか晴れ晴れとした表情で。

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