第2話 新学年初日の通学路②

 そんなこんなで、なんでか黒紫憧こくしどうさんと一緒に通学路を歩くことになった。なんで?


「今日から新しい学年ね、白日はくじつくん。クラス替えとか、新しい友達とか、色々あると思うとドキドキするわ。白日はくじつくんはどう?」


 これが一人言じゃないとするなら誰かに向けてのキャッチボールとなる。ミットを持っているのは誰だ。ぼくか?


 黒紫憧燐花こくしどうりっかさんとは、一言でいえばスーパーガール。立てば芍薬しゃくやく、座れば牡丹ボタン、歩く姿は百合ユリの花。なのにスポーツ万能で成績優秀、そして品行方正という、非の打ちどころがなさ過ぎて逆に打たれない、出来すぎたくいだ。そんな人みたいな、杭みたいな……、ひとくい? ともかくぼくとは生きている次元がちがう人だ。


 身長百六十五センチのぼくより一頭身大きい、黒紫憧こくしどうさんは、色素の関係かアメジストのように輝く紫の瞳を向けて、ぼくに語りかける。


「どうしたの、白日はくじつくん? ずっと黙っているけど、もしかして具合わるい?」


「いやあ。どうしてぼく、黒紫憧こくしどうさんと一緒に歩いているんだろうなぁと思って?」


 素直に聞いてみる。


 黒紫憧こくしどうさんは――ちょっと見たことない表情をしていた。


 ただでさえ大きな瞳が、まん丸お月様みたいになっている。ダメだよ、黒紫憧こくしどうさん。どっちかといえばクールビューティな印象のあなたがそんな反応リアクションしたら、株が大暴落するよ。投資家全員、家でギャン泣きだよ。まあ投資家って、つまり同級生のことなんだけど。ぼく? ぼくはどっちかというと親近感が湧く。


 予想外の反応にこっちも「お、おっふ……」と人生で初めての戸惑いの声をあげていると、黒紫憧こくしどうさんは自らの腕を嗅ぎだした。


「な、なにしてるの?」


「もしかして私……くさかった?」


「なんで……」


「だって私と一緒に歩くの……イヤなんでしょう?」


 お月様なのに雨の気配を漂わせ、視界の潤んだ黒紫憧こくしどうさんが言い放つ。


 いや、嫌とは言ってません。そんなこと言ってませんとも。ええ。そんなことを口にすれば学校に千人はいるとされる黒紫憧こくしどうさんファンが、すぐに感謝祭カーニバルを開くだろう。神に捧げる供物が必要じゃ、供物が必要じゃ、とぼくの前で包丁をねぶって。邪教徒どもが!


 内心では冷静に対応しようと思いつつ、小市民のぼくは口をなんどもパクパクさせて次の言葉をつむぐ。


「ち、ちがうんすよ! すよ? ただどうして一緒に登校しているのか分からなかったから、だから不思議に思っただけで、その、ね!」


「約束、したから!!」


「――え?」


「約束、したから!! だから――」


 黒紫憧こくしどうさんはその場で立ち止まり、顔を地面に向けながらそう叫んだ。そう、叫んだのだ。朝早くから。閑静かんせいな住宅街では、そのハーモニカのような声色がとても良く響く。カナリアみたいに。


 ぼくから見て、うつむいている体勢の彼女は、制服のすそしわができるくらいに握って肩を震わせていた。


「…………」


 そっか、約束したのかぼく……。


 黒紫憧こくしどうさんと一緒に登校する約束…………。




 ――してないな。




「やくそく、したから……!」


 ええ……?


 記憶にないな。おーい、記憶にありませんよ、黒紫憧こくしどうさん。うわ、顔をあげて距離を詰めてきた!? 美人が迫ると迫力がすさまじい。心臓が! 血圧が! でも記憶はそんなプレシャスメモリーを否定する。だって覚えていないから。そもそもぼくと黒紫憧こくしどうさんってとくに接点なかったよね。


 勘違いじゃないかなぁ、それ勘違いじゃないかなぁ……と聞きたかったが、平素フラットに尋ねられる雰囲気でもない。ここでぼくが選択肢を誤れば、黒紫憧こくしどうさんはすぐに帰ってしまいそうな危うさを秘めている。今日、新入式だよ? そんな悲しいことってある?


 ぼくは走馬灯のように頭をフル回転させ、次の言葉を繋げた。


「し、した、ねっ!?」


「うん。そうでしょ!」


「うん、したした! いやあ、したした。いま記憶を捏造しました!」


「……え?」


「いや、思い出した。思い出しましたとも!」


 黒紫憧こくしどうさんは胸に手をあて、ほっと吐息を漏らした。まなじりを下げて、すごく嬉しそう。一方で記憶に思い当たりのないぼくは内心でダラダラと汗を垂らす。


「ひゃ、百回はしたね!」


「いえ。百回はしていないんじゃないかしら?」


 うお、そこで冷静にツッコミいれますか。「そうだよね、五十回くらいだよねー」とテンションのままに実のない会話を一区切りさせる。黒紫憧こくしどうさんは首を捻りながらもうなずいてくれた。どうやら穏便に済んだようだ……。

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