20240304月 餃子の日
夕食の献立として大量の餃子を手作りしていた頃が懐かしい。
たしか、娘が3歳とか4歳の頃に作ったのが最初だった記憶がある。
見よう見まねで皮をひだにしていく娘の手つきが可愛かったし、「好きな形でいいよ」と言ったところ、独自の発想でボールだとか亀と命名された餃子が包みあがった。
それを焼くのがまた一苦労だったのだけど、一口サイズで意外と食べやすく、家族3人でワイワイ楽しい食卓になった覚えがある。
娘が餃子らしい包み方が出来るようになった頃には、今度は年が離れた息子が独自の形で包むようになり、長らく我が家の餃子は子供の作品的な要素が盛り込まれ、具の中身もチーズ入り、たくあん入り、キムチ入りと、バラエティーに富んだ大量の餃子を焼くようになっていた。
そんなある餃子の日、一家団欒の夕食の席で夫が放った一言がすべてを台無しにする。
遊び要素の餃子に飽き飽きしていたという夫が「こんなの餃子じゃない」と言い放った。
こっちはその了見の狭さに飽き飽きしつつ、夫の前に形のいい餃子だけを並べ直し、子供たちは空気を読みとてもお利口さんにご飯を食べ進めるという快挙を成し遂げて、どっちが子供なのか分からなくなった。
楽しい記憶をたどって行くと、必ずと言っていいほど汚してくる夫がらみの記憶を投げ飛ばしたくなる。
そんなこともあったり子供達も成人したりで、今ではすっかり『餃子は買うもの』になっているのだが、そのきっかけは作り手である私の情熱の欠如に他ならない。
作る手間を考えたら買った方が断然経済的だということに気づいたし、夫もパクパク食べているので問題はない。
それにしても美味しいよね、餃子って。
メーカーによって全然味が違うし、焼き方もそれぞれ指示があって製造者のこだわりを感じる。
つけダレも好みで組み合わせ自由なところも良い。私のお気に入りは、醤油+お酢+ユズスコで、夫はお酢と胡椒、息子は醤油とラー油。3人3様で食べている。
しかも、今日の餃子を食べた息子が「今までの中で一番好きかも」と言うではないか。
さすが紀伊国屋のチルド餃子(半額)だ。
赤い半額シールはいつでもどこでも最強なのだ。
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