20240205 カップ塩焼きそばと雪

 雪のため、在宅勤務になる。

 息子も同じく在宅勤務になった。

 たまに重なる日があるのだが、お昼は各々で支度をして食べている。

 支度と言っても、私は大概冷凍うどんをチンするだけ。

 あとは、麺つゆをかけて、すりごまと揚げ玉を乗せれば、美味しくてボリューミーで、何よりこの手軽さがたまらなく好き。しかも麵つゆのおかげでプロの味となるし。

 息子は湯を注いで捨てるだけのカップ塩焼きそばを作っていた。

 で、ひと口貰った。

 このひと口っていうのが、私的に美味しさの秘訣となっている。

 カップ麺類は好きだけど、食べてるうちに飽きてしまい、自分用に1個作っても半分も食べられない我儘女なので、息子と在宅が重なった日に、一口貰うのが密かな楽しみ。

 それに、色々なカップ麺を息子が食べるおかげで、私も色々な味を知ることが出来るという一石五鳥くらいになってる気がする。

 そんな母を持つ息子は最近「ひと口食べるんですか?」と先に聞いてきてくれるようになった。

 さすがです。ありがとう。


 *


 ついつい立ち上がって、窓の外を見る。

 音もなく次から次へと空から落ちてくる雪をずっと見てしまう。

 雪が降りだす前に雨が降ったので、まだまだ積もる気配がない午前中は、安心して雪が見られた。

 雪が生き物に見える時がある。

 目や口はないけれど、ゆらゆらして意志があるような不思議な生命体というイメージ。

 そのイメージは子供の頃からあって、降っている雪は一体一体ばらばらだけど、人間が手でおにぎりのようにぎゅっと丸めると一致団結する。

 辺り一面雪景色になると、それは全部友達とか親戚で、でも、あっちの雪だるまと、こっちの雪だるまは、争ったりもすることもあるから、作る時は気を付けなければいけない。

 何を気を付けるのかは分からないんだけど、とにかく争いが起きない様にしなければならない責任が、人間にある。みたいな。懐かしい。

 そんな子供の頃と、さほど変わらない地域に住んでいるけど、雪が降る日がだんだんと少なくなっている。

 何日も降り続いた時もあったし、大きな雪だるまを幾つも作れるほど積もった。

 その雪だるまも何日も溶けることなく残ってしまい、排気ガスや泥で汚れていき、木で作った手は取れ、そのうち首も落ち、なんとも不憫な姿に変貌していった。

 バケツの水の表面は凍っていたし、軒先につららも出来た。

 ソリでも遊んでいたな。

 今とは全く寒さが違い、温暖化ということを実感する。

 となると、いずれこの地域には冬がなくなってしまうかもしれない。

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