洸龍歴677年/想いの萠芽

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 飛龍ビショップの厩舎は、小さいながらも清潔に整えられ、飼葉も水もしっかりと用意された心地よい環境が保たれていた。


 厩舎の中央には、一年前に卵から孵ったビショップが立派な成龍となって堂々と佇んでいる。

 その体格はがっしりとしており、脚も逞しく、大きな翼もしっかりと羽ばたかせられる。もはや優雅に空を飛ぶことも可能だろう。

 しかし、その巨大な姿にもかかわらず、彼は相変わらず甘えん坊な性格をしていた。ヒューイが近づくと、彼の手を擦り寄せるようにしてクルルクルルと鳴いて、撫でてほしがるのだ。 


「おいで、ビショップ。君は本当に可愛いねえ、いい子だねえ」


 *


 しかし成龍ビショップは問題も抱えている。ヒューイが過保護に育てすぎたせいか、人見知りで臆病な性格を持ってしまっているのだ。

 彼はヒューイや級友ギネヴィア以外の人間が近づくと、驚いて逃げ出すほど繊細な性分だった。

「そろそろ人慣れさせないと、あなたやわたくしが倒れた時に大変なことになりますわよ」

 ギネヴィアが心配そうにヒューイに告げた。


 ヒューイも頷いて彼女に同意する。

「うん。少しずつ、他の人にも慣れさせていこうと思うよ。まず、先生を頼ろうと思うけど、どうしても上手くいかない時は、母さんに頼むよ。母さんは、扱いにくい飛龍も世話してきたベテラン厩務員だからね」

 そう言いつつ、ヒューイは少し落ち着かない表情だった。目をぎゅっと瞑り、彼の母親の声色の真似をした。

「『あんたは昔から考え無しで行動する悪癖があるよ!』『甘やかすのと可愛がるのは違うんだからね!』 って……すっっごく怒られそう。母さん、怒ったら誰より怖いんだよ。正論しか言わないから反抗もできないし……」

 ヒューイがしょんぼりとした表情で俯くと、ギネヴィアは楽しそうに笑った。

「ふふ、頼もしいですわ。ヒューイさんのお母様、しっかり者なんですのね」

「うん。何だかんだいつも助けてくれて、頭が上がらないよ」

 ヒューイも微笑みながら返した。彼は、母のことを敬愛している。畏れを抱いてもいるだけで。



 *

  

 成龍ビショップの鱗を鱗磨きブラシで磨いてやると、彼は嬉しそうにクルルクルルと鳴き声を出した。


「うん。鱗に傷も欠けもない。健康状態は良好だね」


 成龍ビショップの健康調査をしながら、ヒューイは、ふと心に浮かんだ疑問をギネヴィアに投げかけてみる。 


「……ねえ、そういえば、ギネヴィアさんの家族の話ってあまり聞いたことないよね。ギネヴィアさんのお母さんって、どんな人なの?」


 ヒューイの視線が、ギネヴィアの表情に触れると、彼女は深く息を吐く。彼女の表情は明るいものとは言えず、ヒューイは「……どうしたの?」と心配する声をかけた。


 彼女はしばらく沈黙したあと、静かな声で答えた。 


「……わたくしのお母様は、わたくしが幼い頃に亡くなりましたの。だから、どんな人だったのか、わたくしもよくわかりませんの……。わたくしの頭を撫でてくれたことがあるのは、覚えておりますけれど……」 


 その告白に、ヒューイは驚きを隠せなかった。

 彼は少し口ごもる。


「……そうだったんだ。軽率に聞いてごめん……」


 ヒューイは謝罪の言葉を口にする。


「謝る必要はございませんわ。お母様のこと……弟以外の誰かに話したのは、初めてですから、ちょっと戸惑っただけですの」

 ギネヴィアは静かに首を横に振って、彼の気遣いを受け入れたことを示す。

 そして、伺うようにヒューイの方を見つめた。


「よろしければ、わたくしのお母様のお話を聞いてくださいますか?」


 ヒューイは、こくりと真剣な眼差しで頷く。

 ギネヴィアは彼女の母の半生を掻い摘んで話し始めた。

 

  *

 

 ギネヴィアの母は、男爵家の血を引く女性で、エルドリッジ伯爵家に仕えていたメイドだった。

 ある時から、彼女は、ギネヴィアの父であるエルドリッジ伯爵の妾になり、ギネヴィアを含めて二人の子を産んだ。そして彼女は、ギネヴィアの弟を産んだ際に、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまったのだ。

 ギネヴィアは、幼い頃に見た疲れきった母の面影しか覚えていないという。

 彼女は深い悲しみを滲ませた息をついた。


「お母様の人生は、ほんの少しでも幸せだったのかしら。わたくし、ずっと考えていますの。でも、答えが出せなくて……」


 ヒューイはギネヴィアの言葉に耳を傾けながら、彼女の心の内の痛みを考えて、胸が潰れるような気持ちになった。

 出来うる限り思慮深く答えようとして、ヒューイはゆっくりと口を開く。


「僕にも、ギネヴィアさんのお母さんがどんな気持ちだったかはわからない。……でも、僕は、ギネヴィアさんのお母さんに感謝したいよ。ギネヴィアさんを産んでくれてありがとうって、伝えたい。ギネヴィアさんと仲良くなれて、僕、嬉しいよ。だから……」


 ヒューイは、自分に言える精一杯の言葉を尽くした。

 その言葉に、ギネヴィアの綺麗な紫色の瞳にはじわりと涙が滲む。彼女は涙を堪えようとしたようだが、やがてポロポロと泣き出した。

 そんな彼女を見てヒューイは慌てて、清潔なハンカチをギネヴィアに渡す。


 しばらく泣き続けるギネヴィアのそばに、ヒューイは寄り添い続けることしか出来なかった。


 *

 

 その後、彼女はハンカチで涙を拭うと、ヒューイを見つめて口を緩めた。


「ハンカチ、ありがとうございます。今度、綺麗にしてからお返ししますわ」

「ううん。おろしたてのハンカチだから、よかったら、そのまま使って。……ねえ、ギネヴィアさん。辛い時は、泣きたいだけ泣いていいよ。僕で良かったら、いつでも話を聞くから」


 ヒューイが言うと、ギネヴィアは微笑んだ。


「ありがとうございます。わたくしのお母様が幸せだったか……やっぱり、考えてもわかりません。でも、あなたの言葉で少し心が軽くなりましたわ」


 ヒューイも彼女に微笑みかけた。


「僕の方こそ、お礼を言わなきゃ。いつも気にかけてくれて、ありがとう」

「……だってあなた、弟みたいで放っておけませんもの。好奇心が強くて、思いついたらそのくせ危険に突っ込んでいって、危なっかしいところが」

「……否定できない」


 ヒューイが眉間に皺を寄せて返事をすると、ギネヴィアは軽やかに笑った。年頃の普通の少女のように。ギネヴィアの笑顔は、まるで春の陽光のように明るく、ヒューイの心を温かく包んでいた。彼女の無邪気な微笑みに、ヒューイは自然と心が躍るのを感じる。

 ヒューイは、素直に浮かんだ気持ちを言葉にした。


「僕、ギネヴィアさんの笑った顔、好きだな」

 

 *

  

 耳まで真っ赤にして照れたギネヴィアは一気に立ち上がり、走ってその場を離れてしまった。彼女は、厩舎の外の扉に半分ほど体を隠してから叫ぶ。


「だから! どうしてあなたは、そんな! 軽率な! ことを! 言うんですの! ばかー! ばかー!」


 ギネヴィアの声が遠くから響く。

 ヒューイは彼女の赤らんだ顔を見つめた。彼女の表情を見たヒューイの顔も、ほんの少しだけ赤らんでいる。じわりと頬が熱くなっているのを感じながら、彼は少し俯いて告げる。


「僕……思ったことを、喋っただけだよ」 

 まるで林檎のように頬を赤くしたギネヴィアと、彼女を見つめ続けるヒューイ。二人の間には、これまでにない微妙な距離感が生まれつつあった。


「……!」


 その視線の交差に耐えきれなくなったギネヴィアは、首元まで赤くなった。


「わ……わたくし……わたくしだって──」


 何かを言おうと口をパクパクさせたあと、結局何も言えず、ビショップの厩舎から逃げ去ってしまった。

 ぽつんと取り残されたヒューイは、呟くしかなかった。

 

「僕、ただ、本当に、君のことが……」


 成龍ビショップはウルルと鳴いて、やや落ち込んでいるヒューイの頬を舐めてくれた。


「ビショップ。慰めてくれるの? ありが……と……」


 心配してくれたのかと思ったが、ビショップの足元には彼の好物の『フンゲン菜』と書かれたカードがあった。どうやらお腹がすいてきたので、ご飯を所望していただけらしい。


「……うん、わかったよ、おやつだね。でも最近食べすぎてるし、控えめだからね」


 そう言って、ヒューイは、ビショップの食事を用意する為に立ち上がるが、まだ彼の顔は赤かった。

 その後ろを、上機嫌なビショップがトコトコ着いてきたのだった。

 

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