第二章『選ぶべき道』

洸龍歴676年/飛龍と言語

 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-+:-+:-+:-+:-+


 広大な空を舞う飛龍達や荷車を牽く飛龍達を、14歳になったヒューイは実家の窓辺から見つめていた。


 ド=イグラシア飛龍士養成学校が所有する飛龍達は試験的に健康診断を受けることも出来、龍紋病予防の為に清潔な厩舎で暮らせるようになった。

 清潔な環境が保たれるようになったことにより、他の病気の罹患率りかんりつもかなり下がっている。


 きっと、飛龍の理想郷に一番近い環境。

 ──しかし、それはあくまでも、閉ざされた狭い環境であるド=イグラシア飛龍士養成学校だからこそ辛うじて可能だったことである。


 龍紋病の治療法は広まりつつあるとはいえ、この世界くにでの飛龍の処遇は大きく変わってはいない。

 世間では、未だに飛龍は、『知能がほとんどなく、言葉が通じない愚かなトカゲ』という扱いをされている。


 彼らがただの家畜として扱われ、多少の怪我や老化で無残に使い捨てられる姿を見る度に、彼の胸は痛みと悲しさに打ち震えた。


「なんで?」


 少年の問いかけは、風に乗って遠くまで響いた。彼の眼差しは、飛龍たちが持つ誇り高き姿を見つめていた。

 彼らは決して「愚かなトカゲ」などではない。感情を持ち、高い知性を持つのだ。


 ──飛龍たちが大切にされる社会に変えていくために、これから僕は一体何をしたらいいのかな……。


 ヒューイは、その問いに答えを見出すために、さらに知識を深めなくてはいけないと感じた。

 彼の心に秘めた情熱と、かつて亡くした黒龍キングへの想いは、飛龍たちの未来を変えるための一筋の光となるのかもしれない。


 *


「──ヒューイ、もうすぐご飯よ! 考え事するのはいいけど、ちゃんと夕餉は食べなさい!」


 母の少し柔らかくなった声がヒューイの心に響いた。


 数年前、ヒューイがド=イグラシア飛龍士養成学校を目指すと本気で言い出した頃のことを、ふと、ヒューイは思い出した。

 当時のヒューイの母は、表面上、『飛龍のことについて勉強したいなら国一番の名門校に入らないと許しませんからね』と厳しい言葉をかけていた。

 しかしその実、母は、ヒューイが真剣ならば応援しようと考えていて、内緒で必死に働いて、ド=イグラシア飛龍士養成学校の学費を貯めてくれていた。

 幸い、ヒューイは師匠である獣医師グランの教えもあり、首席合格を果たしたため学費が免除され、そう高い費用は負担せずに済んだ。

 だが、それでも母の優しさは彼の心に染みていた。


「うん、わかった! すぐ行くよ!」と言い、ヒューイは階段を降りていった。


 *


「ヒューイ、あんた最近また背が伸びたんじゃない? ……小さい頃は、片腕で抱っこできるくらいちっちゃかったのにね」と背を比べながら、ヒューイの母はしみじみと語る。


「ヒューイは確かに小柄だったけど、言葉を覚えるのがすごく早かったね。周りの言葉を真似するのが上手だった。……もぐもぐ……滑舌はなかなかよくならなかったけど、舌っ足らずで可愛かったね」


 ヒューイの父がこっそりおかずをつまみ食いしながら呟いた。ヒューイの母は、それに気づきつつ、微笑みながら応えて思い出話をする。


「そうそう。かーか、とーとって、あたし達を呼びながら、はいはいしていたわ。ちょうど、あの床の辺り。色んなものに興味を示して動くものだから、ぶつかって怪我をしないように、机の角に緩衝材をつけていたのも懐かしいわ」

 ヒューイの母は、目元を細めて息子を見つめて微笑み、愛情を込めて食事を用意してくれていた。その穏やかな雰囲気の中で、ヒューイはふと、とても重大なことを見落としていたことに気づいた。


「……ねえ、母さん。人間の子供って、言葉を覚える為には、小さい頃から学ばなきゃいけないんだよね?」


「え? 何を言うのよ急に。当たり前じゃない」


 そう、当たり前のこと。当然すぎて、今まで無意識に考えから外れていたこと。人間ですら、生まれてすぐに言語を操れないのだ。年数を掛けて、周囲の大人達等から学ぶ必要がある。


 ──


 もし、飛龍に幼い頃から言語や文字を教育する研究を行えば、どうなる? 彼らの能力や理解力がどのように変わるのだろうか……?


 ヒューイが知っている限り、その実験を行った者は誰もいない。文字通り前人未到の領域に、彼は足を踏み入れようとしている。

 ──

 ヒューイは、あまりにも大きな可能性に胸を躍らせて目を輝かせ、高揚して笑顔を浮かべた。


「母さん! 僕、飛龍の卵買ってくる! あ、でも、ド=イグラシア飛龍士養成学校の許可も必要だね。申請書類も書かなきゃ……! 今から行ってくる!」


 突然バタバタと駆け出そうとしたヒューイの襟ぐりを、母はぎゅっと掴んで止める。


「あっ、こら、ヒューイ! 待ちなさい! ……ああもうこの子は、思いついたら一直線なんだから。何に急いでるか知らないけど、せっかく用意したんだから、ご飯はちゃんと食べなさい。そうしたら行っていいわ」

「わかった!」


 ヒューイは、もぐもぐガツガツとご飯を食べて、その美味さに頬を綻ばせた。「おいしいよ母さんありがとう!」と言いながら、すっかり食事を完食した。

 ヒューイの母は、少しだけ呆れたようにふうと息を吐きながらも、「行ってらっしゃい、ヒューイ」と言って送り出してくれた。


 *


 ──


 この新たなアイデアに燃える彼は、研究を始めることを決意した。誰もが未知の領域として避けていたその研究は、飛龍たちの未来を変える可能性を秘めているかもしれない。彼の心には、希望の光が灯り始めた。



 *


 様々な教師の反対や、『飛龍が言語を覚えるはずがない』という固定観念じょうしきを押しのけ、彼は、この研究を本格的に始めることにした。


 そして、彼は飛龍の卵を手に入れ、自ら孵化させることにした。幼い飛龍に対して、文字や言語を教えるための教育を施す決意をしたのだ。

 その過程で、飛龍たちの賢さが証明されれば、彼らの扱いを根底から変えることができる筈だと信じて。


 *


 ヒューイは、飛龍の卵を孵卵器に入れて、今か今かと誕生のときを待った。数週間後、ひび割れるようにして、卵が無事孵り、雄の飛龍がこの世に生まれ出てた。


 飛龍の成長は早く、孵ってから数時間で大地を踏みしめ立つことができる。幼いながら翼も備えており、ブルリと身を震わせると、翼を広げて乾かした。


「初めまして。生まれてくれてありがとう。君の名前は……」


 ビショップと名付けられた、産まれたばかりの幼龍。

 彼は、世界を変える世紀の研究の参加者となるのだろうか。それはまだ、誰にも分からない。


 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-+:-+:-+:-+:-+

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る