洸龍歴675年/龍紋病(後編)

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 五日目の夜、教師に心配され、根を詰め過ぎていると優しい注意を受けたヒューイとギネヴィアは、今夜は自宅でゆっくり休養することになった。

 飛龍ポーンの世話と観察は、教師がしてくれることになった。二人は、教師に感謝を述べて帰路についた。

 時間が限られている状況下で、本当はずっとポーンの傍に居たかったが、四日間も学校に泊まり込みで疲労困憊だったのも事実だ。彼らは一度休息を取り、思考を整理する時間を設けることにしたのだ。


 *


 月の光が校門を照らし、ヒューイとギネヴィアは静かに歩きながら、何気ない会話を交わしていた。ヒューイは、榛色の瞳をギネヴィアに向けて、言葉を述べる。

「ねえ。ギネヴィアさん」

「なんですの?」

「昨日……ギネヴィアさんは、僕がド=イグラシア飛龍士養成学校を動かしたって言ってくれたけど。僕を引っ張って行ってくれたのは、ギネヴィアさんの方だよ。この五日間、君がいてくれて、すごく心強かった。ありがとう」


 ギネヴィアは、何日も必死に研究に携わったにもかかわらず、優雅な仕草を保ちながら、凛とした姿勢で歩いていた。しかし、その瞳や目元の隈には疲労の色がにじんでおり、彼女がどれほど努力していたかを物語っていた。ヒューイは、そんな大切な級友に対して、少しでも感謝の気持ちを伝えたかったのだ。


「……フン。わたくし、大したことは何にもしてないですわ。ただ、あなたの方が龍紋病に詳しくなるのが、イヤだっただけですわ。わたくし、学年主席を目指しておりますので、知識はあればあるほどいいんですのよ」

 二人の足音が、街路に響く中、彼女はプイと顔を背け、つっけんどんな態度をとる。ギネヴィアのそんな様子を見て、あからさまな照れ隠しに気づいたヒューイは楽しそうな笑顔を浮かべる。


「ギネヴィアさん、久しぶりにツンツンしてるね。……試験勉強そっちのけで、ヘトヘトになるまで必死に頑張ってくれたくせに」

「べ、別に! あなたの為じゃありませんわよ。ポーンの為ですわ!」

「……それでも、力を貸してくれてありがとう。僕が君の力になれることがあったら、何でも言ってね。僕も、君の為に頑張りたい」とヒューイは微笑んだ。


「もう、ヒューイさん。なんて軽率に約束するものではありませんわ。でも……そこまで言うなら、いつか、わたくしが困った時、力になってもらいますわ。約束ですわよ」

 彼女は、金髪を揺らして、ツンとそっぽを向いた。

 その頬っぺたは、林檎のように真っ赤になっていた。


 *


 ──その夜、久しぶりに実家に戻って、自室のベッドで眠ることになったヒューイ。彼は、ベッドに横たわるなり、疲れがどっと出て、夢の中に迷い込んでいった。


 ヒューイは、実家の町工場の夢を見た。母はいつも忙しく働き、家事を手際よくこなしていた。しかし、母の顔にはいつも少し悩みと疲れが滲んでいた。それは、掃除しても掃除しても現れるあるものに対するものだった。それは、ただ拭いても解決しない、専用の薬剤を使わなければ駆除できない、そして再発を繰り返す、そう──の名称は。


 夢の中で母の苦悩を見つめながら、ヒューイは突然目を覚ました。彼の頭の中には、実験結果や調査結果が交錯し、ひらめきが湧き上がってきた。口から漏れるのは、まるで小さな種のような言葉だった。


「……?」と、ヒューイは呟いた。


 *


 その瞬間、寝台から飛び起きた彼は、慌ただしく着替えを済ませると、朝食もそこそこに、ド=イグラシア飛龍士養成学校への道を全力で走っていった。

「このっ、仮説が、正しければ──正しければ、龍紋病は、不治の病ではなくなる……! それどころか──」


 ──龍紋病に罹った飛龍は処分されるというこの世界の大前提を、思い切りひっくり返してやれるかもしれない。


「ポーンは、感染した部分を痒がっていた。そうか、そんなところにも手掛かりがあったんだ……人間で言う、白癬症みずむしと同じような……いや、断定は危険だ、でも、でも、でも──もし、そうなら……」


 ──今度こそ、飛龍きみたちの命を、救える。



 *


 六日目の朝、ヒューイは、ド=イグラシア飛龍士養成学校に辿り着くなり、教師や生徒達が纏めてくれた資料を読み漁った。湿環境。こと。そして、青い紋様は、。つまり、青い紋様の正体は生物の可能性が高い。──ヒューイの仮説を否定する論拠となるものは、今のところない。


 一週間という短い研究期間の中で、断定するには至っていない。しかしこれが、大きな手掛かりとなりうることは、事実だった。

 ヒューイは、ギネヴィアや教師陣に青い紋様がカビではないかという仮説を説明した。時間制限が近づいていることから、今のところ有力であるヒューイの仮説に基づいた実験や研究が優先して進められることになった。


 そして、七日目タイムリミットの夜にようやくド=イグラシア飛龍士養成学校に届けられた最新鋭の顕微鏡によって、青い紋様の正体は、ほとんど確定する。


 ──群青ぐんじょうカビと呼ばれる、有り触れたカビの一種。


 で、どこでも見かけるような微生物。家屋や食べ物に侵食するカビの一種。

 それが、飛龍の鱗や肌で繁殖し、侵食したことによって鱗の表面に独特な模様を描いたもの。人間で言うところの、白癬症みずむしに近い症状だという可能性が高まった。


 ヒューイとギネヴィア、有志の教師や生徒達は、大きな大きな発見に、肩を抱きしめあって喜びを顕にした。

 七日間という制限時間の間に、龍紋病に関する有力な手がかりを掴んだことで、飛龍ポーンの安楽死は延期された。


 今度は治療法解明の為に、ポーンに協力してもらう事となった。この頃には研究に携わった人間一同がポーンに愛着が湧いており、彼をできるだけ傷つけないように研究を進めようという連帯感が生まれていた。


 時間をかけて研究は丁寧に進められ、龍紋病の謎を解明する為に大きな貢献をしたヒューイとギネヴィアの意向もあって、出来うる限り飛龍の肌や鱗を損傷しない形での治療が模索された。


 ヒューイの師匠である獣医師グランの提案により、群青カビの駆除に効果があるというアルケア草の使用が提案された。アルケア草のエキスを絞り、青い紋様に垂らしたところ、駆除効果が確認された。様々な検証と研究の結果、アルケア草由来の飛龍専用の安価な薬用洗剤シャンプーが開発され、龍紋病の予防、改善に大きな役割を果たすことになった。


 *


 ──やがて、一年後。

 ド=イグラシア飛龍士養成学校の敷地で、楽しそうにフリスビーで遊ぶヒューイと、白ぶち龍ポーンの姿があった。白ぶち龍ポーンの腹には、青い紋様は既に影も形も残っていない。今後の経過観察は必要ではあるが、彼は少なくとも寛解状態になったのだ。


「ポーン、投げるよ〜!」


 ヒューイは力いっぱいフリスビーを投げる。白ぶち龍ポーンは、力強く羽ばたいて口で受け止めた。フリスビーを受け止めた後に大きく旋回するという特技も身につけたポーンは、すっかりド=イグラシア飛龍士養成学校で可愛がられる存在となった。


 ヒューイ以外にも沢山の生徒や教師に愛されるポーンの姿は、後年に『龍紋病治療被験体第一号之姿』という文章を添えられて、ド=イグラシア飛龍士養成学校に建立された石碑にも刻まれることとなる。


 ──龍紋病は、不治の病ではなくなった。


 さらに時間をかけて研究や臨床試験が重ねられ、原因が群青カビだと完全に特定されたことで、定期的な厩舎の清掃と換気、薬用洗剤で飛龍のケアを行えば、予防や治療が行える病になった。


 これを契機に、龍紋病に罹った飛龍は、処分するのではなく、安価で手に入りやすい薬用洗剤での治療が優先されるようになっていく。少しでも弱った飛龍を使い捨てることが当然だった社会の形は、ほんの少しずつ、しかし確実に変わり始めていた。


 龍紋病は克服された。

 ──様々な人間と飛龍の、弛まぬ努力によって。


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