洸龍歴675年/龍紋病(前編)


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 厩舎の掃除を終えた後、ヒューイ・ガゼットはド=イグラシア飛龍士養成学校の広大な敷地に足を踏み入れた。青い空に広がる美しい風景の中で、彼と白ぶち龍ポーンは、楽しげにフリスビーで遊び始める。ポーンの鋭い眼差しと、少年の笑顔が、まるで太陽ソルのように輝いていた。


「投げるよ〜!」

 ヒューイが叫ぶと、ポーンはクルルと喜びの声を上げ、空を舞いながらフリスビーを追いかけた。その姿はまるで、空を自在に舞う一対の友情の証だった。

「えい!」

 ヒューイは楽しそうにフリスビーを投げ、時にはポーンが空中で回転しながらキャッチするという芸当を披露した。周りの人々もその光景に見入っていた。そして、ポーンがフリスビーをキャッチするたびに、ヒューイは大きな拍手を送った。

「すごいね、ポーン!君は天才だよ!」

 ヒューイが全力で褒めるのに応えて、ポーンは嬉しそうにクルルと鳴いて、尾を振りながらヒューイのそばに戻ってくる。

「君と一緒にいると本当に楽しい時間を過ごせるね、ポーン」

 ヒューイは、天真爛漫な笑顔を見せた。


 *


 白ぶち龍ポーンと遊びながら、ヒューイは黒龍キングとの特別な絆を思い起こしていた。


 しがない平民であるヒューイの実家には、こんな広い敷地がなかったから。黒龍キングには、庭のお散歩くらいしかさせてあげられなかったのだ。

 ある日、幼いヒューイは、キングの背に乗せてもらいながら庭を散策し、ゆらりゆらりと揺れる感触を楽しんでいた。

『キング、僕、飛龍士の免許を取ったら、君と一緒に空を飛ぶんだ!』

 そんな叶うはずのない夢を語っていた幼いヒューイの言葉と、黒龍キングの優しい眼差しを想起した。しかし、現実のポーンの嘶きが聞こえたと同時に、その優しい思い出は風に散るように掻き消えていった。

 黒龍キングは、もういない。

 ヒューイの心の中にしか、いない。


 *


 たっぷり運動して遊んだ後、「よしよし、いい子いい子」とヒューイが優しく声をかけると、ポーンは満足そうに鳴き声を上げた。ヒューイは専用のブラシで白ぶち龍ポーンの鱗を撫でてやり、愛情を込めて彼の体をケアしていた。


「ふふ、君はやっぱり人懐っこいね」


 しかし、突然ポーンは地面にゴロンと転がり、腹部を擦り付けるような仕草を見せた。ヒューイは心配そうに白ぶち龍ポーンを見つめた。


「どうしたの、ポーン? 虫刺されでもした?」

 白ぶち龍ポーンは不快そうに唸り、腹部を削り落とそうとするような仕草を繰り返した。

 脚を上げ下げして、グルル、ウルル、フルル…と、もどかしそうなむず痒そうな態度をしているように見える。飛龍の体は柔軟性に欠けるので、猫のように自分の足で自分の腹を掻くようなことはできないのだ。


「痒そうだね。ポーン、大丈夫?」

 ヒューイはポーンの様子を見て、何かが彼の腹部に刺さっているかもしれないと心配し、しゃがみこんでポーンの腹部を見つめた。

 鱗の隙間を見て、一枚一枚目視で確認する。鱗と鱗の隙間に何かが挟まっている場合もある。そんな時は、人間が汚れを取るのを手伝ってあげた方がいいのだ。


「……?」


 その時、ヒューイは彼の腹回りの鱗の一枚にが現れているのに気づく。鱗を這い回り、侵食するような不気味なその紋様。飛龍特有の病気という授業科目で見た


「……嘘だッ」

 顔が青ざめ、息を飲み込みながら、絶望的な声で呟くヒューイ。

「──龍紋病りゅうもんびょうだ……」


 *


 龍紋病りゅうもんびょうとは、飛龍にとっての不治の病である。青い紋様が龍の鱗を覆い、見栄えを悪くする症状が出ることからそう名付けられていた。最初は鱗に青い紋様が蔓延るだけだが、青い紋様は徐々に体内を蝕み、飛龍の動きを悪くしていく。原因は特定出来ておらず、飛龍のみに一定の確率で発生してしまい、未だその治療法は見つかっていない。

 

 しかし、飛龍同士を近くに置いておくことで龍紋病の感染が拡大することだけは知られている。ド=イグラシア飛龍士養成学校の学生全体の義務として、龍紋病に罹った火竜を見つけたらすぐに教師に伝えるように言われている程だ。被害をにするために。


 ヒューイはすぐに、白ぶち龍ポーンの周囲に他の飛龍が居ないことを確認して、柵につなぎ、白ぶち龍ポーンを隔離部屋に移動させる許可を、教師に取りに行った。

 表面上、冷静で最適な対応を取っているつもりでも、ヒューイの感情はぐちゃぐちゃのボロボロだった。

「嫌だ──嘘だ……ポーンまで…………」

 はっ、はっ、はっ、と、荒く呼吸をしながら走るヒューイの脳裏に、かつて黒龍キングが安楽死させられた日のことがフラッシュバックする。


 温かかった黒龍キングの温もりが少しずつ失われていって、もう二度と、彼の眼が開くことはなくて。

 ヒューイを優しく舐めてくれた温かい舌の感触も、もう二度と感じることは出来なくて。

 あれほど優しくて、大切で、温かかった黒龍キング。


 キングの命が失われていく瞬間を、ヒューイは忘れたことなどない。



「……どうしようどうしようどうしようどうしよう……このままじゃ、ポーンも……でも、……放置して、他の飛龍にまで、龍紋病が広がったら──……」


 そう呟きながら、ヒューイは涙を零しながらガタガタと震えた。それでも必死に、龍紋病の兆候を見つけた学生としての責務を果たすため、教師を呼びに走った。

 そんなことしか、今の彼にはできない。


 ──ねえ、飛龍きみたちの命を助けるために、

 ──僕に出来ることなんて、本当にあるの?


 *


 隔離用の厩舎に移された白ぶち龍ポーン。飛龍士の資格を持つ教師によって龍紋病の初期症状である青い紋様が確認された。ヒューイの勘違いでは、なかったのだ。


「先生、ポーンは、どうなるんですか……」

 ヒューイは答えを分かっていながら、藁にも縋る思いで尋ねるしかなかった。

 彼が飛龍をとても愛し大切にしていることを知っている教師は、曇った顔を見せた。


「……ガゼット君。君は、学んだはずだ。龍紋病にかかった飛龍は、他の飛龍への感染防止の為に、直ちに処分される。……


 ヒューイは、奥歯を噛み締めた。

 奥歯がひび割れそうなほど、噛み締めていないと、正気を失ってしまいそうだった。

 ヒューイの愛する飛龍ポーンが、また、一頭。

 への道を歩まされそうになっていた。

 まるで黒龍キングと同じように。



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