洸龍歴674年/へっぽこヒューイと厩舎の掃除

 *【注意書き】今回、飛龍の排泄物に関する描写がございます。苦手な方、お食事中、お食事後の方はご注意ください。読み飛ばしても一応大丈夫なようには書いておりますが、生き物をテーマとして書く以上どうしても必要な描写と考えております。どうかお許しください……。(作者)


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 風は軽やかにヒューイの髪を撫で、彼の心を高揚させた。飛龍の背中に座り、空を舞う感覚はまるで夢の中のようだった。まるで飛龍と一心同体かのような騎乗者ギネヴィアの優雅な所作は、飛行中にもその洗練された動きを失わず、ヒューイの心をとらえて離さなかった。


「──どうですの? 少しは、空を飛ぶ感覚、掴めまして?」

 ギネヴィアの声は、風に乗ってヒューイの耳に届き、彼の心をさらに高揚させた。彼女は、これ程丁寧な騎乗をしても尚、同乗者のヒューイを気遣う余裕すらあるのだ。

「うん……! すごい……!」大空の景色に見とれながら、ヒューイは感激の声を漏らした。瓶底メガネ越しでも、飛龍の優雅な舞と美しい景色が彼の心を魅了した。

「ギネヴィアさん、君、本当にすごいんだね! 全然揺れたり、ふらついたりしない!」とヒューイは興奮気味に告げた。


「当然ですわ。わたくし、放課後の練習も欠かしておりませんし、もっともっと褒めてもバチは当たりませんわよ」と彼女は高飛車な物言いをしつつ、頬が赤くなっていた。どうやらその口ぶりは、彼女なりの照れ隠しらしい。


 *


 彼女は、飛龍をそのまま数回旋回させると、鮮やかな手綱さばきで、優雅な着地をさせた。風に舞う金髪が陽光を受けて輝き、彼女の技術と優雅さが一層際立って見えた。飛龍の翼音が静かになり、大地への帰還を告げるかのように、彼女は自信に満ちた微笑を浮かべた。


「──さあ、次はあなたの番でしてよ!」


 ギネヴィアは期待に満ちた目で、ヒューイを見つめる。

 ヒューイは唾を飲み込み、こくんと頷き、「わかった!」と凛々しく叫んだ。


 *

 


 ──風が荒々しく吹き抜けるド=イグラシア飛龍士養成学校の訓練場。

 しかし、ヒューイの姿勢は不器用で、手綱を握る手は震え、腹を蹴る足はぎこちなく、空を駆ける指示はまるで的外れだった。


「さあ、ポーン、空に向かって、行くよ! ……さあ! ……えい! ……やあっ! ほっ……ふっ……!」


 ヒューイの最初の掛け声は立派なものの、ポーンは地面に根っこでも貼っているように動こうとしない。なんど手綱を握っても揺らしてもビクともしないポーンを見て、ヒューイは困り果てて、首を思い切り傾げる。


「え? なんで? ギネヴィアさんと同じようにやってるつもりなのに……」


「それ本気で仰ってますの!? 全然違いますわ!? さあ、ほら、もっと姿勢を正して、腕のスナップを効かせるんですの! 飛龍と一体になる心持ちで!」

「や、やってるつもりなんだけど……!」


 やがて、ながい沈黙の果て、ヒューイの下手くそな手綱の指示に呆れたような目をした白ぶち龍ポーンは、やれやれ、しゃーない、一応従ってやるか……という風に歩き始めた。ヒューイが出しているのは飛行の指示のはずなのに、もはや飛ぼうという気概すら感じない。


 ──もたもた、ぼてぼて、のそのそ……という効果音が聞こえてきそうなほどもっさりとした優雅さの欠片もない動作に、ギネヴィアは表情筋をヒクつかせた。


「な、何をどうしたらそうなるんですの? わたくしが先程乗っていたのと同じ飛龍の筈ですのに……」

 ヒューイは必死に手綱を握りながら、一生懸命腕を動かす。しかし、その動作はまるで初心者のようにぎこちなく、どう見ても野暮ったい。ヒューイが繰り出すてんで見当外れな指示に、飛龍が多少苛つき始めているのが伝わるようだった。

「が、がんっ、頑張ってるんだけど、なんだか、どうにも、手応えがなくて……う、うわー!!」


 姿勢制御が上手くできないヒューイの足がバシッと腹にぶつかったことで『前進』の指示を受けたと勘違いした白ぶち龍ポーンは、ヒューイを乗せたまま全速力で駆け出し始めた。


「うわあああ! た、助けてええええ……!」

 ヒューイは必死に手綱を引き、白ぶち龍ポーンを止めようとしたが、その力では及ばず、とうとう練習場の端まで走り抜けてしまった。

「こわい!!! と、止まってええ……!!」


 情けなくヒューイの声が響き、やがて、飛龍ごと植え込みに突っ込んだらしく、ボスゥ!という鈍い音が聞こえた。突っ込んだ弾みに飛龍鞍から放り出されたヒューイは、命綱のおかげで大きな怪我はせずに済んだ。


 とはいっても、飛龍ごと植え込みに突っ込んでしまったヒューイは、茂みの中から下半身を出してジタバタもがくという非常にみっともない結果を晒してしまった。

「今どうなってるのー! メガネ取れちゃったよー!」と、ヒューイはうめいて、必死に助けを呼んでいた。


「……ヒューイさん、あなた、同学年の誰よりも飛龍の知識があって、飛龍の世話や装備品の手入れは完璧なんですのに、どうして飛龍騎乗のことになるとこんなになんですの……?」

 伯爵令嬢ギネヴィアは、心底困った表情を浮かべながら呟き、茂みの中でまだジタバタしているヒューイを助けるために駆け出していった。


 *


 植え込みの茂みからギネヴィアの手で救助されたヒューイは、はにかむように微笑んで感謝を述べた。


「ギネヴィアさん、ありがとう。色々教えてくれたり、助けてくれたり、すごく勉強になったよ。お礼に、厩舎の掃除当番代わるね。僕、掃除好きだから」

「……代わって下さらなくて結構ですわ。でも、一緒にして下さると助かります。厩舎の掃除は学生の義務とはいえ、あまり気乗りするものではございませんので」

 ギネヴィアは、長い髪を括って網状の帽子の中にしまい、清掃用のに着替えるための準備をしている。

「そう? 楽しいけどね、掃除。僕もつなぎに着替えてくる。着替え終わったら、先にポーンを連れて厩舎に行っておくね!」

 ヒューイは機嫌よく飛び出して行った。本当に厩舎の掃除が楽しみらしく、先程飛龍騎乗の練習でぐったりしていた少年とは別人のようである。

「本当に飛龍が大好きなんですのね」と、ギネヴィアは年の離れた弟を見守るような眼差しで彼が走っていった後を優しく見つめた。


 *


 飛龍の厩舎の掃除は、ド=イグラシア飛龍士養成学校に通う学生の責務の一環ではあるが、生徒達からあまり好まれる作業ではない。飛龍の主食は植物で、糞尿の匂いはそこまで酷くない。とはいえ、貴族の子息が多く通うこの学校で、糞尿を片付ける作業が得意な学生はそう多くない。

 その中でも一番の掃除好きであるヒューイは、清掃用つなぎに着替えて、楽しそうに片付けを行っていた。鼻歌を歌いながら、手袋越しとはいえ手づかみで糞を掴み、崩れ方を見て、細かく観察しているように見えた。

「あなた、何してらっしゃるの? ……調べ物ですの?」

「うん、そうだよ。獣医師のグラン先生から聞いた事なんだけど、健康状態はやっぱり排泄物に出るからね。草が消化しきれていなかったり、異物を飲み込んだりしていないかの確認もできる。僕ね、飛龍にも健康診断が必要だと思うんだ」


 ヒューイは厩舎の掃除をしながら、飛龍の健康管理について真剣に考えていた。糞尿の崩れ方を見てメモを取りながら、彼は願っていた。怪我や病気の兆候を見つけて、手遅れになる前に早期治療できれば、医療費もそんなに掛からなくて済むのではないかと考えていたのだ。


 その行動は、大切な親友である黒龍キングとの思い出に根ざしていた。ヒューイは今もなお、あの出来事を悔やんでいた。あの時、もしも、ヒューイに医療技術があれば、もしも、ヒューイに彼を助ける知識があればと、彼は心の奥底で願って後悔し続けていたのだ。


「すごい! 立派な果実ナナバ型の糞だよ! 健康状態が良好なんだね! 見てよギネヴィアさん!」

「見せなくてよろしいですわ! もう! 観察するなとはいいませんが、せめて高々と掲げるのはおよしなさい!」


 ギネヴィアは、糞を宝物のように掲げるヒューイの姿を注意しつつ、密かに彼に感銘を受けていた。

「……きっと、あなたのような人が、世界を変えるんですわね。飛龍を愛して、飛龍に寄り添って、飛龍と共に生きるあなたが」

「ん? 何か言った? ……あ、この子、果実ばっかり食べてるね。果実の種が沢山だ。甘いものが美味しいのは凄くわかるけど、飼葉も食べさせるようにしてあげようね」

 ヒューイはしゃがみこんで、一頭一頭の排泄物をまじまじと見て確認していた。近い将来、彼がまとめた飛龍の排泄物に関する健康診断法は、飛龍を扱う者達に広がり、知られるようになっていくのは別の話。


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