洸龍歴670年/黒龍の鱗(後編)


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 飛龍サーカスの団員は、サーカスで所有しているまだら模様の飛龍が暴れ出したことを詫び、ガゼット家の財産である黒龍キングを傷つけて、使いものにならなくした責任を取り、賠償金を支払った。

 黒龍キングの値段は、銀硬貨三枚。たったそれだけの金額で、黒龍キングの怪我と安楽死に関しては、手打ちとなった。

 そもそも、飛龍の値段はとても安い。飛龍の卵は、無精卵も混じっているため、価格は銅硬貨三枚。今すぐにでも荷車を牽けるほど若く健康な飛龍であっても、血統書付きでもない限りせいぜい銀硬貨一枚。飛龍は所詮、牧場で大量『生産』され、大量出荷され、使い捨てられる労働用家畜。

 それにしては、『黒龍キング』についた賠償金は、若い飛龍の三倍の価格。それは、相対的には安くはない。飛龍サーカスは、責任を果たしたと言える。


 しかしそんなこと、大事な友達が安楽死させられようとしているヒューイには全く興味のない事だった。


 *


 黒龍キングは、近場の厩舎に繋がれて、翌朝の安楽死までの時間を待っている。痛みでフゥフゥと息をつきながら、それでも暴れ出したりせずじっとしている。

「キング……」

 ヒューイは、キングの名前を呼んだ。黒龍キングはいつものように、グルルと優しく唸った。明日の朝、彼は安楽死させられる。他でもない、ヒューイを庇ってくれたせいで。ヒューイは、黒龍キングの鱗に触れて、ボロボロと涙を流した。

「ごめん。ごめんね。僕が、僕のせいで、キングが、……ぼ、僕が、僕が怪我すれば良かった。僕が怪我してれば、キングは脚を折らなくてすんだのに」

 ヒューイは、泣いて彼にすがった。しかし、黒龍キングは、こんな時でも気高く、雄々しかった。フンと強い鼻息を吐いて、雄叫びを上げる。厩舎の中に反響するほどに大きなその声は、ヒューイの体を震わせた。

「……キング、何が言いたいの? 何を伝えたいの? 僕、キングの言葉が分からない。き、キングは、僕に何をして欲しい? 僕、僕にできることならっ、なんでもするからっ」と、ヒューイは泣きながら、黒龍キングに尋ねた。黒龍キングは、ヒューイが腰から下げている、鱗用のブラシを鼻先でつついた。

「……ブラシ? ブラシを、かけてほしいの?」

 そうヒューイが尋ねると、『はやくしろ』と言わんばかりに、黒龍キングはどっかりと座り込んだ。ヒューイは、涙を無理やり拭うと、「……わかった。キングのお願いなら、僕、なんでも聞くよ」と言って、無理やり笑った。

 ヒューイの胸に、黒龍キングとの思い出が去来する。彼は人の言葉を喋れないけれど、言葉より雄弁な態度で、ヒューイを支え、ずっとそばにいてくれた。



 ──キング。キングの鱗、僕、好きだなあ。黒くてつやつやして、格好いいの。僕、キングのこと、だいすきだよ。



 ──キング! 近所のガキ大将に叩かれた! でもね僕、思いっきりやり返してやった! 腕力じゃかなわないから、勉強で勝ったんだ。あいつの顔、悔しそうだったなあ!



 ──キング。今日は母さんに怒られたよ。ちゃんと宿題しなさいって。内容全部覚えてるんだから、宿題なんてやったって、何の意味もないのにね。



 ──キング! 僕ね、飛龍士免許を取ったら、君と一緒に空を飛びたいな! 君と僕で、大空に羽ばたくんだ。そうしたらきっと、どんなことよりも楽しいよ!



 過去の思い出。そして、もう、絶対に叶えられない夢。ヒューイは、拭っても拭っても溢れてくる涙を止められなかった。それでもヒューイは必死に、キングの鱗をブラシがけする。そんなことしか、ヒューイには出来ない。

(キング……。僕、君のために何もしてあげられない。君の怪我を、治すことだって出来ない。君の苦しみを、和らげてあげることも出来ない……僕は何も出来ない役たたずで。弱虫だ……)

 ヒューイは必死に、黒龍キングの鱗を、丁寧に丁寧にブラシがけした。

 すると、ヒューイの頬に、温かいものが触れた。黒龍キングの舌だった。泣いているヒューイを慰める時、彼はいつも頬を舐めてくれる。言葉がなくても、思いやりは伝わる。だって、ヒューイは、生まれた時から黒龍キングと一緒にいたのだから。

 ヒューイは、必死に涙を堪えた。泣いていたら、黒龍キングを不安がらせてしまうから。鱗を一枚一枚ずつ、撫でるように優しくブラシをかけた。

「キング、どう? 痛くない? 痒いところは?」

 黒龍キングは、ヒューイの言葉に呼応して、翼を広げて見せた。脚が折れていて、立つことなんて難しいはずなのに。「右翼側を、擦ればいいんだね」とヒューイは言う。黒龍キングは、頷いた。右翼の付け根を、重点的に擦る。すると、彼は嬉しそうにグルル…と唸った。


 *

 ヒューイは、一晩中、黒龍キングに寄り添っていた。寄り添うことしか出来なかった。それでも、黒龍キングは、誇り高き飛龍だった。暴れることもなく、ただヒューイが寄り添うことを許してくれていた。

「……そろそろ、時間だよ、ヒューイ」

 ヒューイの父が、ヒューイに声をかける。ヒューイの父の後ろには、安楽死させるための薬剤を持った人々がいた。安楽死担当の獣医師は、柔らかい視線で、ヒューイを見つめた。

「坊や。……お父さんを責めちゃいけないよ。この安楽死の薬は、治療費よりは安いけど、それでもかなり値が張るんだ。それでも、痛みを長引かせないために、薬を使うことを選んでくれた。……飛龍を飼っている人は多くても、ここまで大切に扱われた飛龍を見た事はそうそうない。とても、とても、大事にしてきたんだね、坊や」と、獣医師は言った。


 ヒューイは、涙を堪えて、ジッと黒龍キングを見た。泣かないで、目を逸らさないことしか、ヒューイには出来なかった。

「キング。僕、君が──大好きだよ……」

 そう、ヒューイが言うと、黒龍キングは、いつものように、ヒューイの頬を舐めた。全て分かっているというような、深く温かな眼差しで、ヒューイを見つめた。 この時彼が何を考えていたのか、ヒューイには知る由もない。知る方法など、この頃はなかった。

 黒龍キングは、安楽死の注射を打たれる前に、折れた脚で立ち上がり、ヒューイに向かって咆哮した。それは威嚇ではなく、激励だとヒューイにはわかった。

 ──強く生きろと、キングは言っていた。


 そうして、ヒューイの目の前で、安楽死処置は行われ。

 穏やかに、静かに、キングは逝った。

 温かな陽光が差し込む、春の日のことだった。


 ──ヒューイはこの日を、生涯忘れることはなかった。



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