洸龍歴670年/黒龍の鱗(前編)
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──ヒューイは、自分の死を覚悟して、目を閉じた。
そして来るべき衝撃に備えたが、痛みはいつまで経っても来なかった。ヒューイが恐る恐る目を開くと、飛龍が噛み付こうとする前に、黒龍キングが立ち塞がり、彼を守ってくれていた。堂々とした姿勢でまだら模様の飛龍を睨みつけ、雄々しい雄叫びを上げる黒龍キングの姿を見て、心から安堵した。
その威嚇に怯えたまだら模様の飛龍は、すぐに逃げ去ってしまい、ヒューイは無事に助かった。彼は黒龍キングにすがって泣いた。
「……キング! 怖かった……! た、助けてくれて、ありがとう!」
黒龍キングは、ヒューイが無事であることを確認して、誇らしげに胸を張り、フスーと大きな鼻息を吐いた。
*
黒龍キングは、ヒューイを守るために脚を骨折してしまったが、それでも彼のことを心配していた。ヒューイの頬を愛おしそうにペロリと舐めると、黒龍キングは優しい瞳で彼を見つめた。ヒューイは、そんな黒龍キングの優しさに満ちた表情を見て、恥ずかしそうに笑った。「へへ、キングってば、くすぐったい。キング、ありがとう」と、ヒューイは泣きやみ、微笑んだ。
*
私はこの時、呑気に笑っていた。私が生まれてから、父の経営する町工場にいる飛龍達が大きな怪我をしたことは一度もなかった。だからこの時はまだ何も知らなかったのだ。
何故、街中には、弱った飛龍や年老いた飛龍はおらず、若く健康的で、足腰がしっかりした飛龍しか見かけないのだろう。そんなことを、一度でも考えていればすぐに分かったはずなのに。
私は幼く、愚かだった。私は無知だった。
しかしその代償を払ったのは私ではなく、私を守ってくれた黒龍キングの方だった。
*
ヒューイは黒龍キングの頬を撫でながら微笑んだ。
「本当にありがとうね。キングがいなかったら、きっと僕、大怪我してたよ」
黒龍キングは、誇らしそうにグルルと鳴き、頬をヒューイの腹に擦り付ける。ヒューイは、変な方向に曲がってしまった黒龍キングの脚を見て、痛ましい気持ちになった。
「……キング、脚、折れちゃったんだね……痛いよね。ごめんね……僕を庇ってくれたから。そうだ、お家に帰ったら、治療してあげる! 応急処置って、人間と同じでいいのかな? 取り敢えず、添え木当てておくね」
ヒューイは、手近にあった布と、木の枝で黒龍キングの足を固定した。
黒龍キングは、骨折の痛みを感じながらも、ヒューイの頬を優しく舐めてくれる。
しかし、ヒューイの父は唇を噛んで、ヒューイと黒龍キングが戯れる光景を見ていた。
ヒューイは、なぜ父がそんな悲しそうな顔をするのか、理解できなかった。
「父さん、どうしたの? 早くキングを運ぼうよ」
「……ヒューイ、済まない。それは、できないんだ」
と父は蒼白な顔で言った。
ヒューイは目を見開き、父の発した言葉の意味を考えた。そして、父の苦しそうな表情から、ただ事ではないと察した。それでもなお、ヒューイは、認めたくなかった。
「……嘘だよね、父さん。キングの、治療が出来ないなんてこと、ないよね?」とヒューイが問いかけると、ヒューイの父は、ゆっくりと首を横に振った。
ヒューイは、驚愕して父に駆け寄り、叫ぶ。
「と、父さん、どうして!? キングは、僕を助けてくれたんだ。僕も、キングを助けたいよ! 確かに、飛龍飼育教本には、骨折の治し方は書いてなかった。……で、でも、治す方法はあるんでしょ!? そうでしょ!?」
しかし、父は重々しい口調で続けた。「……ヒューイ。飛龍の骨折に掛かる治療費が、いくらか知っているか?」と問うと、ヒューイが首を横に振ると、父は信じられない額を口にした。その治療費は、ヒューイたち家族が五年分の生活費を使ったとしても足りないほどの、恐ろしく高額なものだった。
「……大きな怪我をした飛龍をわざわざ治療することは、しない。治療方に関する研究も進んでいない。その必要が無いからだ。飛龍の怪我を治すより、新しい飛龍を一頭買った方が安いからだ……」と、父は苦渋の表情で伝えた。父は、泣きそうな瞳で黒龍キングを見つめる。
「私もわかっている。キングが、ヒューイを守ってくれたことも。キングがいなければ、ヒューイは大怪我して、死んでしまっていたかもしれないことも。骨折した飛龍を治す医者は居る。でも、それには、工場を売って、お金を作りでもしなければ無理だ。工場を売れば、私だけではなく従業員も路頭に迷う。キングの骨折は完治はしないだろう。例えキングの怪我が治ったとしても、経済的に困窮してしまうのには変わらない。……私には、キングを助ける力がない。済まない、ヒューイ。済まない、キング……」
ヒューイの父は懺悔するように跪き、告げた。
「──ヒューイ。このままでは、キングにとっても辛いんだよ。治せない痛みに苦しみ続けることになる。それは、ヒューイも嫌だろう? だから、キングとは、お別れするしか、ないんだよ……。脚を折った飛龍は、もう、使い物にならないんだよ……」
ヒューイは、ヒューイの父に抱きしめられ、呆然と座り込んだ。ヒューイは、黒龍キングの優しい眼差しを見つめ返した。彼は、この状況を理解しているのか居ないのか、ただ、真っ直ぐに、ヒューイを見つめていた。
──黒龍キングは、明日、安楽死させられることになった。
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