洸龍歴670年/斑の飛龍
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8歳になったヒューイは、父の町工場の手伝いの一環で、父が所有する飛龍車に乗せてもらい、工具の納品について行った。飛龍車の車輪が小石を踏む度にガタゴトと音を立てて、その度に、御者を務める父の隣に座った小柄なヒューイの体もガタガタと揺れる。飛龍は、大きな翼を持って空を飛ぶだけでなく、荷車を牽引することも出来る。
ヒューイが生まれるよりずっとずっと大昔には、飛龍の代わりに荷車を牽く『馬』という生物がいたらしい。しかし今では汎用性が高く、生体取引価格も安い飛龍にその座を奪われている。今の時代、『馬』は、珍しい動物を展示している博覧会にしか居ないらしい。
ヒューイは、飛龍車を牽く黒龍キングに話しかけた。「キングは力持ちだね。いつもありがとう」と、ヒューイが言うと、誇り高き黒龍キングはグルルと上機嫌で唸った。
*
父が町工場の取引先の客と話している間、ヒューイは飛龍車の荷台に腰掛けて脚をパタパタさせた。
暇を持て余したヒューイは、いつものように黒龍キングに話しかけた。「ねえキング、すごい人だかりだねえ。……ええと、なになに? 『飛龍サーカス』って言うのが開かれるみたいだよ」とヒューイがチラシを見ながら言うと、黒龍キングはウルル?と高い声を上げた。これは、彼が疑問に思っている時に出すサインだ。
ヒューイは黒龍キングに向けて、飛龍サーカスについて説明してあげた。「飛龍サーカスっていうのはね、飛龍士の中でも、曲芸に特化した人達が開く興行なんだってさ。火の輪くぐりをしたり、空中旋回をしたり。団員さん達は、とにかく凄い技術を持ってるって噂だよ。色んな町を巡業してるんだって。一箇所に定住しないで、ずーっと旅をするんだって。そういう生活、大変そうだけど、すごく楽しそうだよね」とヒューイは言う。黒龍キングは、フスフスとチラシの臭いを嗅いだあと、グルルと唸って頷いた。説明の内容を分かってくれたらしい。
「ねえ、キング。僕、飛龍士免許をとったら、君と一緒に空を飛びたいな」とヒューイが笑顔で言うと、黒龍キングは上機嫌に翼をバタバタさせた。
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ヒューイの父は、取引先の人と話し込んでおり、まだまだ商談は終わりそうにない。
ほんの少しだけ、ヒューイは飛龍サーカスを見に行きたくてソワソワしていた。しかし、それでもちゃんと父が仕事を終えるまで待った。「キング、僕、ちゃんとやるべきことを終わらせてからやりたいことをやるんだ。だからちゃんと我慢できるよ」とヒューイは言う。黒龍キングは、満足気にフスーと鼻息を吐くと、温かい舌でペロペロとヒューイの頬を舐めた。「わ。ふふ、くすぐったいよ、キング」と言いながらも、ヒューイは楽しそうに笑っていた。
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その後、ヒューイは、父にねだって飛龍サーカスのチケットを手に入れた。その喜びは、彼の心を躍らせ、喜びに満ちた笑顔を浮かべさせた。父は、ヒューイの頭を優しく撫でながら、「ヒューイは大人しく待っていたから、ご褒美だ。母さんには内緒だぞ」と、悪戯っぽく微笑んだ。その父の優しさに包まれながら、ヒューイは心から父を敬愛していた。
「ありがとう、父さん!」とヒューイは微笑んだ。
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幼い私が無邪気に感謝の言葉を述べる姿を見て、私の父は、曖昧に微笑んだ。今思えば、私の父は、飛龍サーカスがどんなものなのか、知っていたのだ。知っていたからこそ、幼く無邪気で、世界が優しいものだと思い込んでいた私に本当の姿を見せておこうと思ったのかもしれない。
何にせよ、この飛龍サーカスでの出来事は、私の人生に大きな衝撃を与えた。
*
ヒューイは、初めての飛龍サーカスを見に行った。期待と興奮が胸を躍らせる中、彼は会場に入り、飛龍たちの壮観なパフォーマンスを期待していた。しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。
飛龍たちの姿は、ヒューイが想像していたものとは全く異なっていた。彼らは疲弊し、傷つき、その鱗はくすんでいて、濁った瞳には明らかな疲労の色が浮かんでいた。それでも、サーカスの人々は無理やり飛龍たちを鞭打ち、火の輪をくぐらせていた。
ヒューイは、その光景に呆然と立ち尽くしていた。しかし、彼の父親はそばに寄り添い、静かに語りかけた。
「ヒューイ、言おうと思っていたことがあるんだ。飛龍の扱いは、どこでもこんなものなんだ。サーカス団員の人々が、特別に悪辣だと言うわけでは、ないんだよ。このサーカスは、食事や休息をある程度与えている分、マシな方だと思う。飛龍は、友達ではない。──飛龍は、家畜なんだ。それが、この国の、常識なんだよ、ヒューイ」
ヒューイは、父の言葉に耳を傾けてはいたが、父の言葉には頷けなかった。飛龍は愚かな生き物ではない。彼らには、意思もあり、自我もあり、愛もあり、きっと、憎しみすらもある。
そんな憎しみが膨れ上がり、破裂してしまったら、一体何が起きてしまうのだろうという疑問が、ヒューイの心には芽生えていた。
火の輪くぐりをさせられていた、まだら模様の鱗を持つ飛龍。彼の瞳には、隠しきれない殺意と憎悪がフツフツと煮えていた。黒龍キングの優しい目付きとは全く違うそれに気づいてしまったヒューイは、小さく息を飲んだ。
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飛龍サーカスの興行を終えて、疲弊した飛龍たちを見て、ヒューイの心は激しく痛んだ。彼はサーカス団員たちに近づいた。「どうだい? 楽しめた? しばらく興行は続けるから、楽しかったらまた来てよ!」と、サーカス団員のピエロは微笑む。しかしヒューイは、一頭の飛龍の様子が気になって、それどころではなかった。ヒューイは、必死に訴える。
「あの子! まだら模様の鱗の飛龍。ものすごく……疲れてるみたいです。お願いです。少しでいいから、休ませてあげてください」と彼は懇願した。
しかし、飛龍の専門家でもない、ただの子供であるヒューイの訴えは、団員たちの耳に届かなかった。
*
「大丈夫だよ。うちのサーカスには、飛龍士の資格を持つ人がいるから。怪我やミスをしないようにちゃんと休ませているよ」と団員は笑って言った。しかし、ヒューイにはそれが本当かどうか疑わしいものだった。まだら模様の鱗を持つ飛龍の瞳には、人間たちへの怒りと憎しみ、そして疲労が滲んで淀んでいるのだから。
「お願いします。あの子、鱗も削れていて、随分痩せてます。あれは、精神的に疲弊して、身繕いが出来ないでいるんです」
ヒューイは必死に叫んだ。しかし、8歳の子供の言うことなど、誰もまともに受け止めない。サーカス団員に構って欲しくて大袈裟に発言しているのだと、サーカス団の大人達は解釈して、肩を竦めた。
「はいはい。坊や、飛龍が大好きなんだね。チケット買ったら、また来てね〜」と言いながら、風船を渡してくれた。ヒューイは、風船なんて欲しがっていないのに。
「お願いです、僕の話を聞いてください! そうじゃないと……何か……何か起こってしまいそうで……!」
ヒューイの懸念は的中した。最悪なタイミングで。──まだら模様の鱗を持つ飛龍は、不意に首をのばし、サーカス団員の指を、ヒューイの前で食いちぎった。
*
恐慌。鮮血。叫び声。その光景を、ヒューイは恐らく一生忘れることはできない。
まだら模様の鱗を持つ飛龍は、憎きサーカス団員の指を食いちぎっただけでは飽き足らず、鎖を引きちぎって暴走し、周りの人々を襲おうとした。間近で団員が襲われる光景を目にしたばかりのヒューイもその中にいた。幼い彼は怒り狂う飛龍の姿を見て恐怖に震え、身動きが取れなかった。「ヒューイ、危ない!」とヒューイの父が叫んだが、父の動きでは間に合わなかった。
──ヒューイ・ガゼットの幼い人生は、ここで終わりを迎えるはずだった。
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