第35話 心配してくれる人

 ピロン、とスマホが鳴る。ちょうど前勤めていたバイトが終わる時間だ。


 チャットアプリを開くと、さおりからだった。浩之は今日はなんだか眠いということで先に寝ている。


 バイト終わりにさおりから連絡があることはちょくちょくあった。俺が抜けた穴を埋めるのが大変だなんて一切恨み言を言わずに、寂しくなったとか、また会いたいな、とか嬉しい言葉を送ってくれる。


 さおりは完全に信じられているわけではない。しかし慕ってくれているのはわかるから、俺は邪険にはしないしできるだけ優しくする。


 さおりもそれに対して優しさで返してくれるから、さおりとはわりと良好な関係を築けていると思う。


 チャットアプリの画面には、「今日は大変だったよー! そっちは順調?」と表示されていた。


 事務所の送り迎えでここ最近毎日学校の裏口から学校に出入りしていることは事務所と学校と浩之が特別に知っていることだ。さおりには話せない。


「順調順調。ファーストシングルの売れ行き次第でセカンドシングルをいつ出すか決めるんだってさ。まあ、ここ一、二か月は出ないらしいけど。でも作曲自体はいつでも出せるようにしてるよ」

『そうなんだ、すごい! 大変だね、実力主義? ってやつ? 瑛太ちゃんなら頑張れるよ! って、無責任すぎるか』


 えへへ、というスタンプを押してくるのにこらー! というスタンプを送るとけらけらと笑うスタンプが返ってくる。さおりと話すのも、最近は別の意味で癒しになっていた。


「それで、今日はどうした? また変な客に遭遇したのか?」

『それもあるけど……。瑛太ちゃんのことが心配でさ。だって急にバイト辞めるんだもん。何かあったんだって普通は思うよ。話してくれなかったってことは言えないことなんだろうけど、心配くらいはしてもいいよね?』


 その言葉に俺は驚いた。


 普段ふざけてきゃっきゃと笑うゆるい高校生だと思っていたが、さおりもなかなか察しがいいらしい。


 申し訳ないが事情を話すことはできないのだ。これは俺たちだけの秘密だから。さおりがそういうことをする人間だと思っているわけではないが、うっかり口を滑らせたら大騒ぎになる。


 俺は返信を少し考えてから、明るく振舞うことにした。


「もちろん、心配してくれるのは嬉しい。ありがとな。そういうさおりこそ、あの常連さんにセクハラされないように気をつけろよ」


『む! こっちは心配してるのにそういうこと言うんだ! ばーか! 瑛太ちゃんのばーか!』


「誰がバカじゃい!」


 他愛ない会話は続く。


『そっちの学校はどう? もう夏休みも終わりになるしさすがに慣れたでしょ?』


「まあまあだよ。浩之と勉強会してる」


 さおりには家のことも、家を追い出されて二人で生活していることも教えていない。かえって気を使わせることになるし、さおりにはさおりの生活がある。それを俺がぶち壊していいわけがない。


 表向きは平和な家庭を演じている。まあ、浩之と生活してサチエさんのお世話になっている以上疑似家族のようなものだが、それは言わないお約束だ。


『店長もこの前心配してたよ。あいつはためこむやつだからって』


「加藤店長は本当に優しい人だなあ。そんなにためこむこともないっていうのに」


 これは今なら半分嘘で半分正解だ。家を出て解放され、ストレスが少なくなった今の俺は穏やかな気持ちでいることが多い。


 たまにあの人のことを思い出して気持ちがどんよりするが、それに気付いた浩之が抱きしめて慰めつつ励ましてくれる。こんなに幸せなこと、あっていいんだろうか。さおりはそれを俺たちが付き合ってること以外知らないから心配してくれているんだろうが。


『ねえ、瑛太ちゃん』


「んー?」


『わたしたち、友達だよね?』


 さおりの文面に思わず驚く。


 さおりはバイト仲間としては仲がいいと思っていたが、友達とはなんとなく思えないでいた。


 それはさおりが悪いわけではなくて、俺がまだ人を信じることに慣れていないから。事務所については仕事の関係だから信じざるをえないが、プライベートとなると俺のこころは途端に冷たくなる。


 前の俺だったら、間違いなくすぐさま否定していただろう。だが今は、さおりが本気で心配してくれているのがわかる。だから、俺はこんな文面を返す。


「友達かどうかは……ごめん、わかんない。でも、近くに住んでたら友達になれてたと思うくらいには俺はさおりのことが好きだよ」


『本当に? よかった……。最初嫌われてるんじゃないかなってどきどきしてたんだ。だから、絶対に仲良くなってやろうって意地張っちゃって。迷惑じゃなかったかな、ってちょっと不安だったんだ』


 そんなさおりの本音を、俺はゆっくりと噛みしめる。


 ああ、こんなにも。俺は大事に思われていたんだ。それを最初は振り払って、踏みにじって、本当にひどいことをした。


「最初は……ほら、緊張してたから。でもさおりのことをよく知ればいいやつだってわかったし、俺はさおりのこと盟友みたいに思ってるから」


『ふふふ。そうでしょそうでしょ。もうそんなに会えないけど、わたしは一緒にクッキー作ったことずっと忘れないよ。あのとき、すごく楽しかったもん。それにわたしは、瑛太ちゃんのこと友達だと思ってるから。恋愛相談だったらいつでもしてね!』


「はいはい。さおりがヒートアップしない程度に頼らせてもらいますよ」


 クラスの女子といい、さおりといい、この市の女子はいいやつが多い法則でもあるんだろうか? それはそれでありがたいので、何も言わないでおくが。


『あ、家についちゃった。楽しかったよ! また話そうね! でも、たまには瑛太ちゃんのほうから連絡とかほしいな。だめ?』


 その文面を見て思わず時計を見る。もう一時間半ほど経過していた。明日は学校が休みだがボイトレがある。俺もそろそろ寝なければ。


「さおりがいいなら。でもボイトレとかで忙しいからあんま送れないぞ?」


『それでもいいよ! 嬉しい! んじゃ、お風呂とかご飯とかするからこのへんで。ちゃんと連絡ちょうだいよね!』


 最後にスタンプを送ってきて、さおりからの連絡が途絶えた。俺は布団に体を入れてチャットの履歴を最初から見る。


 さおりとはしばらく会えていないが、まだ顔ははっきり覚えている。スマホを充電器に繋いで目を閉じると、それがより鮮明になるようだった。


 みんな心配してくれている。脅迫状は一回届いたきりまた届いたりしてはいないようだが、万が一ということもある。ほとぼりが冷めるまで用心するほかない。


 寝返りを打って、すやすやと寝息を立てる浩之の顔を見て、俺は決意する。


 今は守られるしかないけど、いざというときは守れる人間になろう。でもそのためには経験も立場も根性も足りなくてやきもきするけど。いつか大物になってそういうのを寄せ付けないくらいになってみたい。


 いつの間に眠っていたのだろう。目が覚めたときには、遮光カーテンの隙間から入ってくる光で目が覚めていた。


 そしてスマホを見て、のそりと起き上がり布団を片付けて朝ごはんの準備に入る。こうしていると、本当に女の子になってしまったなあ、と実感する。


 俺は目玉焼きと味噌汁と、それとご飯を炊いて浩之を起こしにかかった。


 そのときバイブにしていたスマホに、着信が来ているのに気付かないまま。

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