第34話 日常の中の不穏

 動画サイトに公式チャンネルができ、最初はプロの人が作詞作曲したファーストシングルのミュージックビデオが公開された。


 オーディション合格者の箔つきだからか多少は伸びたが、動画のほうはそこまで伸びなかった。


 だが電子シングルのほうはわりと伸びて、10位以内なんてさすがに無理だったがトップ50以内には入ったらしい。宣伝の効果もあるが、順調な滑り出しのようだ。


 メジャーデビューが決まって、残っていると情報漏洩があるからと時田さんに言われて泣く泣く解散したファングループの人たちは買ってくれただろうか。


 もちろんそこは強制ではないから、俺がメジャーデビューしたことによって興味を失った人もいるだろう。それでも、まだ興味を持ってくれている人がいると信じたい。


 久しぶりにバイトがない日なので浩之と一緒に抱きしめられながらだらだらしていると、時田さんから電話が入る。後ろを振り向いて浩之の顔を見ると頷いたので、俺はすぐにそれに出た。


『もしもし藤原さん? おめでとう! ファーストシングル電子のほうは50以内に入ったんだってね!』


「そうみたいです。なんだか夢みたいですね……」


『でも、これに慢心せずに頑張ってほしい。君はこれから自分で書いた曲でも勝負していくんだ。このシングルの作詞作曲で勉強になっただろうし、トップのシンガーソングライターになれることを期待してるよ』


 時田さんに改めて言われると実感がわいてきて、同時に自信もついてくる。今まで世にシンガーを送り出してきた時田さんの言うことだ。素直に嬉しい。


「はい、ありがとうございます! これもみなさんのおかげなので……。俺……じゃなかった、私ももっと伸びるように頑張ります!」


『あはは。テレビ番組に出るまでにはその癖直ってるといいね。……で、いいニュースはここまでなんだ。悪いニュースがある』


 悪いニュース? 何だろう。俺の歌い方が下手だったとかだろうか?


 今回の曲については俺の作詞作曲ではないが手は抜いてないし、自分が今出せる実力のすべてを出し切ったつもりだ。満点、とまではいかないまでも80点90点の出来だと自負している。


 俺が首をかしげると、時田さんは電話の向こうで言いにくそうにしている。それほど何か悪いことが起きたのだろうか。


『藤原さん、できるだけショックを受けないで聞いてほしい。脅迫文が、君あてに届いてる』


「え……」


 俺は頭がぐらあ、とぐらつくのを感じた。


 脅迫文? テレビでたまに見かける、あの? デビューしたての俺に脅迫文を送るなんて。


 それは時田さんも一緒の考えのようで、話を続ける。


『今までもデビューすると批判の手紙が届いたりするんだけど、事務所でそういうのは弾いてモチベーションが上がるようにしてるんだ。ただ、今回は脅迫文だ。内容は「今すぐ藤原瑛太のデビューをやめさせなければ刺す」っていう内容だ』


「そんなのあんまりじゃないですか。デビューしてこれからってときに……」


『私たちスタッフもそう思うよ。もうすでに法務部が動いてる。警察に相談する方向で話が進んでるはずだ。これから君はプロデビューした身で、給料も少額だが出る。バイトを辞めて、学校は我々が責任をもって送り迎えするよ』


「そんな、いきなりすぎます。時田さんの言っていることが理解できないんじゃなくて、ちょっと突然すぎて理不尽さを感じてるというか……」


 俺の声は怒りと恐怖で震えていた。


 人の不幸を願う人間ってのは、必ずいる。今回はどこの誰だか知らない人間に目をつけられたのだろう。


 それでも、気にいらないからといって普通脅迫文まで送るだろうか。世の中は狭いようで広い。全国のどこかに俺を殺したいほど恨んだ人間がいるのは確かだ。


 だからって俺もそれに屈服する気はない。俺の人生はこれから始まったばっかりなんだ。自分の人生くらい自分で守りたい。


 と言いたいところだが、女の子になって非力になってしまった体では限界がある。もし犯人が大柄な男だったりしたらとても太刀打ちできずに殺されてしまうだろう。


 ここは、事務所の言うことを聞くしかない。少額でも給料が出るなら生活はなんとかなるだろうし、さおりと加藤店長やみんなと会えなくなってしまうのは苦しいが、仕方がないだろう。


『君を守るためなんだ。わかってくれるね』


「……わかりました。バイトのほうには辞表を出しておきます。あとで俺の……いや、私の住んでるアパートの住所送りますね」


『こんなときくらいは素でいいよ。そうじゃないと心がもたないだろう? スタッフ一同君に伝えるか悩みに悩んだんだが、身の危険を考慮して伝えることにした。せっかく嬉しいことがあったあとなのに、ごめんね』


「いえ、時田さんたちのせいではないですから。じゃあ、これで失礼します」


『うん。あの少年と一緒に、気を強く持って。それじゃあ』


 2秒置いて電話が切れる。話を聞いていた浩之の手が、真っ白になるくらい握りしめられていた。


「脅迫文……? なんでだよ、瑛太は頑張ってようやくここまで来たんだぞ。それに安全のためとはいえ、せっかく仲良くなったバイトも辞めて送り迎えするって……あんまりじゃんか」


「怒ってくれてありがとう。でも一旦落ち着いてくれ。これは、事務所が俺を守るためにしてくれたことなんだ。浩之も俺も悪くなくて、もちろんバイト先の人たちも悪くなくて。でも、せっかく仲良くなれたと思った人たちとお別れなのは、寂しいな。まあ、チャットアプリでさおりとくらいなら話せるか」


 俺が最後は明るく締めると、浩之はなおも拳を握りしめている。怒りをぶつける先がないからどうすることもできずに苦しんでいるのだ。そうさせてしまったことに、俺は悲しくなる。


「許せない。犯人が誰なのかわからないのが、ますます……。待てよ、瑛太の……いや、もう赤の他人だけど、あいつの可能性は」


「……ないとは言いきれないね。自分の気に食わないことがあると、何するかわからない人になっちゃったから。でも、俺はなんとなく違う気がしてるんだ」


 今でもはっきりと思い出せる、絶縁のときのあの怨嗟えんさの表情。あの顔を見ていると、安直に犯人なんじゃないかと結びつけたくなる。


 だが、俺はあの人じゃない気がしていた。今はどうしているかまったくわからないが、自分が前科者になってまで俺を叩く性格なのかと言われるとそうではない。あくまで弱い者いじめができればそれでよかったのだ。


 だから、俺だけのために前科を背負う気概があるならもう俺はとっくにあの家の中で殺されていただろうと思う。だから、あの人ではない気がしているのだ。


 可能性がないわけではない。でも、限りなく薄いと俺は思う。


「……なんか、思ったより瑛太冷静だな」


「今まであの人の下にいていじめられてたんだよ? こういうのには慣れっこさ。それに今はもうあの人とは赤の他人だし、時田さんたち事務所の人や、何より浩之がいてくれる。だから、俺は大丈夫だよ」


 後ろを向いて笑いかけると、後ろからぎゅっと抱きしめられる。


「いざというときは、おれも瑛太を守るから」


「はは、ありがとう。もう今まで十分守ってもらったのに、いいのか?」


「恋人なんだから、当たり前だよ。瑛太がつらいときは、おれもつらい」


 痛くない程度に力を強くされて、その温かさに俺は心が温かくなる。俺を殺したいほど恨む人もいれば、こうやって守ってくれる人もいる。昔では考えられなかった状況だ。感謝しかない。


「ありがとう、浩之。でも無茶はするなよ。お前、前は無茶してたみたいだからな」


「がんばる」


「こら。無茶する気満々じゃねーか」


 ぺちぺち腕を叩くと、握りしめられていた拳の力が少し弱まった。浩之のご機嫌取りもだいぶ慣れたものだ。


 これからどうするかは事務所が決める。辞表も早めに書いて、出さなければ。


 その後俺はバイトを惜しまれながら辞め、さおりはもうめったに会えないからと泣いていたのが心に刺さった。同じ系列の学校といえど、直線距離でもそれなりに離れている。


 それに俺もデビューしたことでバイトも減らしてレッスンを受けたりしていたし、チャットアプリで毎日他愛ないことを話していても顔と顔を合わせて話すのとではまた違う。


 学校についても事務所の車での送り迎えの生活が始まった。浩之と一緒に乗れないかと時田さんに言うだけ言ってみたが、そこを記者に押さえられたら面倒だということで却下に。


 浩之と登校しているときと違って味気なく機械的な日々が、ゆっくりと流れていく。

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