第33話 神経衰弱

「瑛太さあ」


「なに?」


「最近あんまり構ってくれないよね」


「しょうがないだろ。学校にバイト、料理習ったりレッスンしたり挨拶周りしたりで時間がないんだ」


 それでも寂しそうな視線を向けてくる浩之に俺は何も言い返せない。最近構ってやれてないのは本当だからだ。


 二人きりの部屋の中、座ったときの腰の高さくらいしかない低いテーブルに向かい合って俺たちは座っていた。


 話があるというから何だろうと思ったらそれか。俺からすれば忙しいので仕方ないと突っぱねたいが、付き合っているのだからそれなりのスキンシップがほしくなるのは仕方ないだろう。


 中間テストも終わったことだし、バイトまで時間があるから何か一緒にできるようなものを探すか。


 そう思って俺が視線を巡らせると、古びたケースに入ったトランプが見えた。浩之が「ゲームだけじゃ飽きるから」と家から持ってきた数少ない代物である。


 これで遊ぶのもありか。俺ははいつくばってトランプを取ると、またはいつくばって戻り座布団に座る。


「トランプしようぜ。神経衰弱なら二人でも楽しめるだろ」


「いちゃいちゃしたい! いちゃいちゃしたい!」


「騒ぐな! 隣に聞こえるだろ! そうだな……。揃ったら、5分ハグでもしてやるよ」


「やる」


 こいつ本当に現金だな……。と思いつつ、カードをシャッフルして一枚ずつテーブルに並べていく。そしてジョーカーを抜いた全部のカードを並べ終えたあと、じゃんけんをした。


 俺が先攻、浩之が後攻。俺が有利だ。これならろくにハグもできずに終わるだろう。


「よし、まあ最初は揃わないだろうから気楽にっと」


 適当に二枚めくる。当然揃うはずもなく、俺はカードをまた裏返した。


 だが、俺は忘れていた。浩之の家にあったトランプなのだから、どのカードがどれなのか浩之が覚えている可能性を。


 にやりと浩之が笑う。そしてあらぬ方向へ手を伸ばすと、一枚めくった。ハートの8だ。そしてもう一枚めくったのはスペードの8。神経衰弱成功である。


「やったあ! ハグ5分ゲット!」


「はあ? なんで……」


「ふっふっふ。おれんちにあったトランプなんだから、かすれ方とか折れ曲がり方でどのカードなのかだいたいわかるのさ」


「ずりーぞ! 今からでも別のゲームに……」


「逃げるの? 負けるの怖い?」


 浩之の煽りに、俺はイラっとした。つまり、乗せられてしまったわけである。最近完全に尻に敷いていたから、思わぬ反撃に負けず嫌いに火が付いた。


「よぉーし……。やってやろうじゃねーか……」


「そんなこと言ってる間に。ほい、ペア成立」


「うがああああああ!!!」


 結局、浩之が揃えたペアは驚異の18ペア。惨敗だった。


「なんで俺トランプしようなんて思ったんだろう……」


「おれといちゃいちゃしたいから?」


「んなわけあるか! ……で、何すんだよ」


「まずハグでしょ。わき腹こちょこちょの刑でしょ。抱っこもしたいし。最後はキ」


「キスは嫌だ」


 俺はきっぱりと言う。今までのは雰囲気に流されてしてしまっていたが、今日は断固として拒否したい。唇に浩之の唇の感触が残ってると思うと顔がどうしても赤くなってしまうのだ。


 いや、浩之が嫌いだからではない。むしろ好きだからそうなっている。だからこそそういうところを見られるのが恥ずかしいというか、なんというか。今日はバイトだからさおりもからかってくるだろうし。


 一方の浩之は俺の考えなどつゆ知らず、妄想に花を咲かせていた。


「へへへ……。最近いちゃいちゃしてかったから、何してもらおうかなあ」


「おっさんみたいなこと言うな。じゃあほら、ハグするぞ」


「うん!」


 浩之が俺の隣にやってきてぎゅうっと抱きしめられる。安心と一緒に暖かいものが心を満たしていく。


 別に浩之のことが嫌いだからこういうことを嫌がるわけではない。うっかり甘えてしまいそうになる自分を押さえつけるのがつらくなってきたからである。


 体を支えるために浩之のTシャツを掴んでバランスをとる。あいかわらず太陽みたいな匂いのするやつだ。すると、不意打ちで頬にキスされて俺は声をあげる。


「ぎゃあ!」


「……もうちょっと色気のある声出せない?」


「いや、そういうのは無理だから。女の子だけど一応元男だし。びっくりしたらこういう声出ちゃうんだって」


 そういえば、と思う。時田さんからこの前、「デビューに向けて一人称を俺から私にする癖をつけてね」と言われていたんだっけ。


 いくらTS症候群に理解のある人も世の中にいるとしても、理解がない人もいる。見た目と言動が一致していたほうが嫌悪感が薄れるという寸法だ。


 それを思い出して、俺はハグをして見えない尻尾をぶんぶんと振っている浩之の腕の中でもぞもぞと動くと、至近距離で顔を合わせる。


「わ、私は、女の子だけど男なんだよ」


 一瞬浩之がフリーズした。なんだろう、気持ち悪かっただろうか。時田さんで試したときはばっちりだと言ってもらえたのだが。


 浩之はいったん体を離して、うーんうーんと悩んでいたが、やがてぽつりと呟いた。


「……めっちゃかわいい」


「は?」


「かわいいよ! 元々かわいいのに私って! 完全に女の子じゃん! うっかりキスしそうになるのを我慢したおれを褒めて!」


「お、おう。えらいな?」


 浩之の中で何かが爆発しているらしい。顔を下に向けて息を整えている。いや、そこまでか? たかだか元男が私って言っただけだぞ?


「元男で今は女の子な子が私っていうのギャップあるよなー。あー、やばい。今のはやられた。時田さんが言ったんだろうけど、破壊力あるな。美少女なだけに清純派な印象を与えつつハスキーボイスでパンチを与えていくスタイルか。時田さん、やるな」


「時田さんはそこまで考えてないと思うぞ」


 ああ、時田さん。俺が私と言ったことで理性が崩壊しそうになっている男がいます。どうすればいいでしょうか。


 俺のそんな考えもむなしく、浩之は一人ヒートアップしていく。


「いやさ、さっきキスっていいかけたのは冗談だったんだよね。でもどうしよう、今キスしたくてすごくやばい」


「恥ずかしいからやめろ! ……それに……。そんなにどうしても俺とキスしたきゃ、すればいいじゃん」


 そう言って俺は耳まで真っ赤にしてうつむいた。浩之がどんな表情をしているのかわからない。


 俺だって、できるなら普通の男女のようにキスしたい。でも元男という意識が邪魔して素直に言えないのだ。さっきまでは乗り気ではなかったからなのだが、今は、素直にしたいと思えた。


 浩之の気配が変わる。ヒートアップして暴走気味のものから、慈しむような冷静な雰囲気に。


 そっと目を開けると、俺は両頬を浩之の両手に包まれていた。俺が覚悟を決めて目を閉じると、噛みつくような、それでいて優しいキスが降ってくる。


 触れていたのは数秒。浩之はすぐに離れて、俺の体を180度回転させるとぽす、と腕の中に俺を閉じこめた。嫌な感じはしない。むしろ、浩之だから許している行為である。それに後ろから抱きしめられるのは、嫌いじゃない。


「へへ。元気ゲージマックス!」


「やっすい元気だな」


「だって珍しく瑛太からキス誘ってくれたんだもん。嬉しいよ。それに時田さんのおかげでかわいい一面も見れたしさ。……これはどっちでもいい話なんだけど、俺の前では一人称なんて気にしないで好きなほうでいいよ。時田さんの言うことは正解だと思うから」


 浩之は普段のへにゃへにゃした態度とは裏腹に物分かりがいい。今までいろいろ経験してきたからっていうのもあるんだろうが、元から頭の作りが違うのだ。


 俺は悩む。浩之の前でだけはありのままの自分でいたいという気持ちと、これからデビューするんだから時田さんの言うことを聞かなければ、という気持ち。二つの気持ちがせめぎあっていた。


 それに浩之は私という一人称を喜んでくれたし、これからは俺も多少は女の子として振舞ったほうがいいのかもしれない。


「……今は正直よくわからない。俺は俺だし、私っていう言い方になってもそれは変わらないからだ。もうだいぶお前のせいで女の子になってきちゃってるけど。だけど、忘れないでほしい」


「ん?」


「俺は時田さんとデビューのために一人称を私に変える。でも、たまにでいいから。浩之の前でだけ、「俺」になってもいいか?」


 浩之が目を丸くした気配がしたのは一瞬で、すぐに後ろからぎゅっと抱きしめられて耳元で低く囁かれる。


「俺は瑛太が好きなんだ。一人称が変わったくらいでそれは変わったりしない。女の子として好きなのは確かだけど……。男だった瑛太を否定したりもしない。だから、瑛太の好きにしていいんだよ。どっちの瑛太も、俺は好きだから」


「浩之……。ありがとな」


 俺の腹の上で組まれている硬い拳の上に手を置く。後ろで浩之がへにゃ、と笑う気配がして、相変わらずだな、とくすくす笑う。


 そしてふと時計を見て、俺は腕を振りほどいて立ち上がる。


「やっべ! もうバイトの時間じゃん!」


「ガチか! いちゃついてる場合じゃない! 怒った店長は怖いんだ!」


「ほら急いで荷物持って、鍵かけて、出かけるぞ!」


 そうして、俺たちはばたばたと部屋を出ていった。


 唇に浩之の唇の余韻と、体に暖かさが残っている。元気をチャージされたのは、俺のほうだ。


 時がすぎて、夏休み。俺はメジャーデビューを果たす。

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