第20話 浩之の家で料理を作る
作曲をしながら、日々地道にライブをこなす。バイトを始めたから頻繁にはできないが、ファングループの人数も観客の数も少し増えてきた。
仲にはCDが欲しいと言ってくれる人が現れたりして、俺と浩之は少しずつメジャーデビューの夢を追いかけている。
『そんなもんさ。君も俺も。だから、前向きに生きていこう』
新曲のラストを歌い終わると、10数人の観客から拍手があがる。数人は完全に固定客で、ライブには必ず駆けつけてくれるお客さんだ。
「……みんなありがとう。おかげで今日も穏やかにライブができたよ」
「瑛太ちゃん、よかったよ!」
「アンコールはー?」
「今日は時間いっぱい使ったからないんだ。ごめんね」
腕時計をちらりと見ると、ライブの許可を出されていた30分にもうすぐなりそうだ。騒音とまでは行かないが、歌を歌う時間は守らなければならない。
「残念。また今度アンコールさせてね!」
「もちろん! みんな、ありがとう! 握手してくれる人はいつものように並んでくれると嬉しいな」
浩之に視線で合図すると、動き出す。
「瑛太さんの正面に並んで一人5分でーす! 時間になったら声かけるんで、それまでゆっくり楽しんでいってください!」
「あ、わたしも!」
「俺、初めて握手してみようかな……」
握手会もなじみの顔から初めての顔まで数人いて、本当にファンの人たちには感謝してもしきれない。歌が俺の希望と生きる理由であり、存在意義だから。
握手会が終わって撤収作業をして、家に発電機諸々を置いて浩之の家に向かう。あらかじめ朝今日は遅くなると伝えてある。
「友達ができるなんて、ずいぶんいい身分になったものね」
と恨み言を言われたが、いつものようにごめんなさいとだけ言ってスルーする。
前はそれができなくて胃が痛くなったりしていたのに。強い味方ができるとここまで人間は強くなれるのか。
不服そうな母さんに背中を向けて玄関を閉め、道路に立っている浩之のところに向かう。
「お待たせ。じゃ、行くか。材料買うことないのか?」
「うちにあるやつ使っていいっておふくろが言ってた。料理初心者だって伝えたらおふくろも手伝ってくれるみたいだし、失敗はしないでしょ」
そういうことなら、甘えてしまおう。食材代を後で渡せば貸し借りなしだ。浩之のお母さんならいらないと言うだろうけど、そこはきっちりしておかないといけない。
「おふくろー、瑛太来たぞー」
「お邪魔します! お久しぶりですー!」
「瑛太ちゃんいらっしゃい! また会えて嬉しいわあ! 浩之、あんたちゃんと大切にしてるんだろうね?」
「もう昔のおれじゃないって」
浩之がため息をつくのを横で笑いながら、俺はジャンパーを脱いで手を洗い、エプロンを借りる。最近人んちでエプロン借りるの増えたな。
「今日は肉じゃがにしようと思ってるの。簡単でおいしいでしょ? 味付けがちょっと難しいけど、野菜と肉と糸こんにゃくを切って煮るだけだから初心者でも作りやすいよ」
「肉じゃが……」
昔は母さんもよく作ってくれたっけ。俺の大好きな料理のうちの一つだ。
「ふふ。やっぱり肉じゃが好き?」
「大好きです!」
「ならよかった。じゃあ、野菜の皮むきと切るのを先にやろうか」
そういうと、浩之のお母さんは慣れた手つきで冷蔵庫の野菜室からじゃがいもとにんじんと玉ねぎ、そして冷蔵室から豚コマ肉を取り出してこっちに持ってきた。
「こ、こんなに使うんですか?」
「食べ盛りの男の子が二人だからね。たくさん買っておいたのよ。ご飯と味噌汁もあるけど、お腹空くでしょ?」
「ご迷惑おかけします……」
「いいのいいの! 気にしないで! さ、これ持って」
使い古されたピーラーとそれなりの量のにんじんを渡される。おかあさんは玉ねぎの皮むきにとりかかったのを見て、俺もピーラーで皮をむき始めた。
そのうち、隣から目から涙が出るような刺激物が飛んでくる。なのにお母さんの目には一切涙が浮かんでいない。この違いは一体……。
「目、かゆくなりませんか?」
「もう慣れちゃったよ。20年主婦やってればねえ」
けらけらと笑う浩之のお母さんに俺は不思議と安心感を覚えた。そう、昔の──母さんを思い出すから。
だから、今日だけ。浩之のお母さんを本当のお母さんだと思って甘えよう。ここ最近母親からの愛情というやつに飢えていたから。
俺がピーラーで人参の皮をむいているうちにジャガイモの皮むきまで終わらせてしまったお母さんは、暖かいまなざしで俺を見た。
「大変だったでしょ。急に男の子から女の子になっちゃって」
「まあ、いろいろありましたけど。今は浩之のおかげで楽しいです」
「あらまあ、うちのバカ息子が役に立ってるなら嬉しいわ。学校でお昼毎日一緒だと飽きるでしょ?」
「最初はちょっと怖いなって思ってましたけど……。今はもう当たり前のことですから」
俺の顔が何かおかしかったのか、お母さんは俺の顔をじっと見ていた。俺がおかあさんのほうを向くと、はっとしたのか片手を振る。
「いやね、前来たときは荒んだように見えたから。それが今こんなに楽しそうに笑うようになって、嬉しいなって思ったの。あたしでも瑛太ちゃんを笑わせてあげられるんだと思って」
「今、俺笑ってました?」
「うん、いい笑顔だったよ。それを忘れずにね。じゃあ、野菜切ろう。じゃがいもを半分に切って、さらに縦に半分に切ってから一口大に切ってもらえるかな」
「あ、はい」
俺は慌ててジャガイモを受け取って、まな板の上でゆっくり指を切らないように切っていく。
調理済みの芋しか触ったことがなかったから、表面がこんなにつるつるで、でもちょっとざらつく感じだとは知らなかった。
隣では慣れた手つきでどんどん野菜を切っていくお母さんがいたので、俺もはっとして一生懸命追いつくようにじゃがいもを切っていく。
「包丁使ったの初めて?」
「小学校の調理実習以来ですね」
「それじゃあ、もう初めてみたいなもんだね。……うちは娘に恵まれなかったから。こうして料理してると、元は男の子ってわかってても娘ができたみたいであたし嬉しいの」
その言葉に、鼻がつんとする。
女性から向けられる無償の愛情に最近触れていなかったから。ふいうちだったのもあって涙が出そうになるのを必死にこらえる。
食材を全部切り終わったあと、鍋に油を敷いて肉を焼いていく。そして半生くらいになったところで野菜を入れ、水を入れて煮立たせていく。
浩之のお母さんの3分の1くらいしか野菜を切っていなかったが、やはり料理というものは疲れる。チョコクッキーのときよりは疲れていないが。
「一気にやったからねー。疲れちゃったでしょ。ごめんね」
「そんな、謝らないでください。元はといえば浩之が俺の料理食いたいって言い始めたのが元なんで悪いのはあいつです」
「そうよねえ。いくらクッキーがおいしかったからって手料理も食べたいなんて、うちの子もわがままになったもんだわ」
「昔は違ったんですか?」
ことことと煮立ってきた鍋を見つめながら、浩之のお母さんはしんみりとした顔をする。
「うち、お父さんがいっつも遅いからさ。小さいころはなんでも言うことを聞くいい子だったのさ。それが中学でグレて、喧嘩もたくさんしたよ。でもまた手のかからない子になったと思ったら、今度は親友だって瑛太ちゃんの話を楽しそうにするから……。あ、ごめんね。おばちゃんの一人語りに付き合わせちゃって」
あはは、とお母さんはちょっと目に涙を浮かべて笑う。浩之のやつ、愛されてんな。……俺がこの家の子供だったら、どんなに幸せだっただろう。
でも、それは許されないことだ。人は人、自分は自分。人間は生まれ持ったカードで生きていくしかないという。
俺と母さんも、いつか──。わかりあえる日が来るのだろうか。
鍋の中の水が沸騰して、お母さんが台所の棚にある
「うん。今日も上出来だ。あとはつまようじでじゃがいもとにんじんを刺して……」
ぷす。じゃがいももにんじんもそんな音をたてたようにつまようじが奥まで入っていく。煮えている証拠だ。
最後に小皿に汁を取って笑顔で手渡される。それを受け取って飲むと、しょっぱすぎず、甘すぎず最高の出来だった。
「お母さん、これおいしいです!」
「うん。瑛太ちゃんが手伝ってくれたおかげだね。……それで、どうなの?」
「何がですか?」
にまあ、と悪い顔をしてお母さんが口元を俺の耳元に持ってくる。
「うちのバカ息子。彼氏になれそう?」
「な、あ……っ!? あ、あいつは親友ですよ! それ以上でもそれ以下でもないです」
「あら、やっぱりそうかい。だめだねえ。うちのバカ息子は昔は彼女とか作ってたけどすぐ別れるのを繰り返してたからねえ」
「そ、そうなんですか……!?」
それは初耳だ。中学の時の話だから本番まではしてないんだろうが……。やっぱり、彼女がいたと聞かされるとなんだか拗ねそうになってしまう。
「よし、ご飯も炊きあがってるからごはんにしよう。よそうからリビングに持っていってくれる?」
「わかりました」
俺はお盆の上に三人分のご飯を乗せて、リビングに運んでいった。
■ ■ ■ ■
「瑛太の料理おいしい……!」
「半分以上はお前のお母さんが作ってくれたんだぞ。もっと感謝してゆっくり食え」
がつがつと肉じゃがを食べる浩之の発言を訂正する。すると浩之のお母さんはくすくすと笑って眺めていた。
「それでも、瑛太が手伝ったのには違いないだろ? 実質瑛太の料理じゃん」
「バカ息子、明日の朝はなしがいいらしいね」
「ごめんなさい」
元ヤンの浩之もやはり母には勝てないらしい。ちょっと恐怖した顔をして一旦食べる手を止めるのが面白くて、俺はつい笑ってしまった。
それを見た浩之がぽかんとしてから、食い入るように俺の顔を見てくる。
「やっぱり瑛太は笑ったほうがかわいいよな」
「かっ、かわいい? 俺が?」
「瑛太ちゃんはかわいいよ。美少女、ってやつ?」
確かに美人になってしまった自覚はある。だがかわいいと言われたのは初めてで喜んでいいやら困惑するべきやら。
「なんか、かわいいって言われると恥ずかしいですね……」
「本当のことよぉ。ねえ、浩之」
「そうだよ。グループチャットでも笑うと可愛いって言われてるじゃん」
それは、そうなのだが。
一部のファンの間では俺はかわいいの部類らしく、ひたすらかわいいと言ってくれる人がいる。そんな感じなのだろうか……。
女になったのには慣れても、それを褒められることには慣れてないので思わず赤面してしまう。それを見た浩之とお母さんが顔を見合わせて、そして笑った。
料理は大成功して、俺と浩之は心行くまで肉じゃがを楽しんだ。
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