第19話 バレンタインデーでいちゃこらする

 緊張しているとあっという間に時間が過ぎるもので、あっという間にバレンタインを迎えていた。


 他の女子たちは宣言通り浩之に何人かチョコを渡していて、浩之はまんざらでもなさそうである。あ、なんだろうこのイライラ。モテて羨ましいのだろうか。


 俺は、作ったクッキーをさすがにみんなの前で渡せないでいて、もやもやしたまま授業を受けていた。


 なんだろう。浩之にチョコを渡すと宣言されたときはなんとも思わなかったのに。別にチョコが特別好きというわけでもないから、ただの嫉妬なんだろうが。


 嫉妬? 何に?


 別に浩之がモテようと俺には関係ないはずだ。それなのに嫉妬なんて、ちょっとおかしくなっているのかもしれない。


 そんなことを悶々と考えているうちにその日の授業が全部終わり、放課後になる。俺たちはいつものように一緒に帰路についた。


 なんとなく気まずい。スクールバッグの中にあるチョコクッキーをいつ渡すか。


 いきなり渡してもいいのだがそれだと誤解を生みそうだし、学校を出たばかりだから周囲に学校の生徒がそれなりにいる。


 そこでチョコを渡したら、元男にチョコを渡された男として噂を流されかねない。そんな不名誉なことは避けたかった。


 何も話さない俺を不思議に思ってか、浩之が声をかけてくる。


「瑛太どうしたの? なんか元気ないみたいだけど」


「え!? い、いや、別に。お前のことなんて考えてないからな!」


「それは『あなたのこと考えてますよーっていう宣言かな? 本当にどうしたの今日。そわそわしちゃって」


 もうチョコをもらってるから俺のなんていらないかもしれない。浩之にチョコを渡した女の子の中にはかわいい子もいたし、浩之も笑顔でそれに対応してたから、元男の俺のお菓子なんて──。


 ええい、何を弱気になってるんだ。ぽいっと渡しておいしかったって言われればそれで十分だろう。なに、本当の女の子みたいにもじもじじちゃってるんだ。


 浩之は不思議そうに俺をじーっと見ている。そしてスクールバックの中からごそごそと女の子からもらっていたチョコを取り出した。


「食べる? 元気ない時は甘いものがいいよ」


「おま……! 仮にも女の子にもらったチョコを他人に渡すか!?」


「だって食べきれないし……」


 そう言われて、俺は納得する。


 俺が思っていた以上にもらっているらしい。浩之のスクールバッグがいつもより心なしか膨らんでいる気がする。それだけうちの学校にファンが多いと思うと、羨ましいような、悔しいような。


「お前、いつか刺されるぞ」


「刺されそうになったこと実際にあるから大丈夫」


「えっ……。女関係で?」


「元ヤン時代に逆恨みでね」


 それなら理解できる。正義の味方してたならそれなりにいじめっ子系のやつらからは恨まれてただろうし、隠居した今でも恨んでるやつはいるだろう。


 とりあえず、差し出されたままというのも悪いのでチョコを受け取る。


 型に流しこんで作ったタイプのチョコで、ハート型のものが多い。明らかに本命だ。


「お前さ……。いじめっ子からの恨みもわかるなら女の子からの恨みってのもわかるだろ?」


「わかるけど、全部食べてとはおれ言ってないよ。味の感想伝えたいから2個くらい残しておいて」


 たったの二個でいいのか。これ6個くらい入ってるぞ。半分以上食ったらなんか俺が食ったとか因縁つけられそうで怖いんだけど。


 それでも、浩之がいいと言うなら一個くらいは食べてみるか。本命チョコを横取りして申し訳ないが、ちょうど小腹も減っていることだし。


「んじゃ、本当にもらっちゃうからな。お前が刺されても俺は責任とれないからな!」


「気配でなんとなくわかるから大丈夫!」


「お前、そんなふんわりした感覚でよく生きてこれたな。いただきます」


 ハート型を避けて星形のチョコを口に運ぶ。


 美味い。生チョコというやつなんだろう。口の中に入れて噛んでいるとほろほろと溶けて甘さが口いっぱいに広がる。


「浩之、これすげー美味いぞ! ……お前もわかってんだろ? 本命だって」


「わかってるけど……。俺はその子のことよく知らなければ好きでもないし、本命だからってありがたがりすぎて逆にその子に不誠実な態度をとるほうが問題じゃないかな? 申し訳ないし気持ちは嬉しいけど、断るときは断らないと」


 正論をぶつけられてむぐぐ、となる。完全にモテ男の発言です、こんちくしょう。俺だって男だったら負けてないのに。


 話しているうちに、生徒たちがそれぞれの家に曲がっていって生徒の数がまばらになる。


 これは……チャンスじゃないか? あまり一目がなくなった今なら、チョコクッキーを渡せるんじゃないか。


 でも勢いで作ったはいいものの、たとえ義理だとしても元男からのチョコをもらって嬉しいもんだろうか。


 恩返しのチャンスだと思ったが、今さら自分が元男だったという事実を思い出して急に怖くなってくる。


 結構おいしくできたし、作詞作曲してるときのおやつにすればいいんじゃないか。


 そんなことを思ったとき、浩之が突然口を開けた。驚いてそっちを見ると、浩之がチョコを指さしている。これは……あーんというやつか。


「って、そんな恥ずかしいことできるわけないだろ!」


「大声上げると注目集めるよ」


「うぐ……。わ、わかったよ。あーんすればいいんだろ、すれば!」


 そう言って、俺はハート型のチョコを取って浩之の口に放りこんだ。浩之は生チョコをもぐもぐしてから、飲みこんでへにゃ、と笑う。


「おいしい」


「だろ? だから俺にあげるなんて意地悪言わないで残りは全部食ってあげろよ」


「うーん……。瑛太からのチョコがあるなら考えるかな」


「うっ」


 こいつ、エスパーか? どうして俺がチョコクッキーを作ってきたのがわかったんだ。いや、文脈からして冗談で言ったのはわかるが。


 俺は一気にそわそわする。


 こんなチャンスめったにない。渡すなら今しかないだろう。でも、そのための勇気がなかった。


 その様子を黙ってみていた浩之が、口を開く。


「もしかして……。作って、きてくれたの?」


「うっ」


 俺は顔が熱くなるのを感じる。元男が男のためにチョコ作ってきたなんて、笑い話にもならない。さすがの浩之でも気持ち悪がるに違いな──。


 おい。どうしてそこで浩之まで顔が赤くなってるんだよ。どうすんだよこの空気。どうすんだよこの雰囲気。気まずいったらありゃしない。


「そ、そうだよ。作ってきたよ。義理だけどな! 元男からのチョコで悪かったな」


「ううん、そんなことない! 瑛太からのチョコなんて、すっごく嬉しい!」


 ああ、本当に喜んじゃってるよこいつ。見えない尻尾をぶんぶんと振り回しているのが見えるようだ。


 俺はさすがに観念して、スクールバッグから赤いリボンで結んだチョコクッキーを差し出す。


 そのときの浩之の顔の赤さといったら。俺も負けてないけどな。主に羞恥でどうにかなりそうだ。


 浩之はまるで大切なものを扱うように両手で俺のチョコクッキーを受け取った。そしてリボンをほどき、クッキーを一枚食べる。そして目を開いて俺を見た。


「おいしい! これすっごくおいしいよ!」


「大げさだって」


「ううん。瑛太が作ってくれたんだ。たとえまずくたっておれはおいしいって言うよ。……にしても、よくお母さん台所使うの許してくれたね」


「あー……。さおりんちで作った。勉強も見てほしいからって」


「そっか、さおりんちで。それなら納得、かも」


 おい、女の子の家に行って羨ましいとかそういう反応はないのか? そんなスルーする案件かこれ? 俺は今は女の子だけど元男だぞ?


「さおりんちに行ったことについて他にコメントないのかよ」


「ない。さおりとはバイト仲間としか思ってないだろ」


「そうだけど……。ずいぶん自信満々だな」


「だって、俺は瑛太の親友だから」


 へにゃっと笑って浩之はもう一枚クッキーを頬張った。そして頷きながら喋る。


「うん、やっひゃりおいひい」


「食いながら喋るな」


「……瑛太さ」


 今度は浩之が言いにくそうにする。男なんだからはっきり喋れ。


「なんだよ」


「今度うちに来ておふくろと料理作らない?」


「は?」


 さすがの俺もこれには困惑を隠しきれなかった。


 何がどうなって浩之んちに行って料理を作らなきゃならないんだ? このチョコクッキーは半分以上さおりが作ったから美味しくなったようなもので、俺は手伝いくらいしかしてないのに。


「頼む! 今度のライブも頑張るからさ!」


「それはいつものことだろ。……わかったよ。親友に言われちゃ、仕方ないもんな」


 俺はふいっと顔を逸らして、顔が赤いのを見られないようにした。だって、なんだか変な雰囲気だから。


「作りに行くの、バイト休みのときでいいか?」


「あ、うん。俺も休み合わせるよ」


「それじゃあ、そのときに。来週あたりでいいか?」


「……うん!」


 浩之は嬉しそうに笑って大きく頷いた。


 二月の中頃。体の芯まで冷えているはずの体はなぜだか少しポカポカしている気がした。

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