第13話 ホワイトクリスマスに契約を

 きらきらと輝くイルミネーションの中を並んで歩く。道行く人はカップル、カップル、カップル、と男女だらけだ。


 ちらほらサンタ服を着てビラを配るバイトの人やおひとり様を見かけるくらい。それくらい、日本でクリスマスというのはカップルの聖夜なのだ。


 どこか幻想的になってしまった駅前通りはなんだかわくわくして、俺は隣を歩く浩之を見上げる。


「なんか……。すごい人だな」


「そりゃあクリスマスだからね。そんなクリスマスを一緒に過ごせておれはすごく嬉しい!」


「はいはい。わかったよ。俺から誘ったけど、いざこうして一緒に歩いてると恥ずかしいな」


 俺がそう言うと、浩之がにまにまと笑いながら俺の顔を覗きこんでくる。


「意識しちゃう?」


「別に意識はしないけどなんか恥ずかしい」


「ええー! そこは意識しちゃう♡ って言うところだろー!」


 なんなんだ一体。何を期待しているんだこいつは。


 俺たちは友達なんだから、間違ってもカップルみたいなことするはずないだろ。いや、冗談だとはわかっているが。


 ぐすぐすとお決まりの泣き真似をする浩之に呆れながら、俺は少し歩調を速めて前に躍り出た。


 この辺に安くておいしいファミレスがあったはずだ。いくらクリスマスでバイトをしているとはいえ高校生。


 レストランなんて高級なところに行けるはずもなく、案の定ファミレスのお世話になるというわけだ。


「お金があればな……」


「言うな。俺だって一回くらいはレストランでクリスマスなんてやってみたい」


 二人でカップルの行列にもまれながら待つこと30分。順番が回ってきて、テーブル席に通される。俺と浩之はそれぞれ料理を注文して、待ってる間顔を突き合わせる。


 ……近い。学校ではみんなの目があるから浩之もあまりじろじろ見てこないが、二人きりということもあって本当に幸せそうな顔をして俺の顔を見つめてくるもんだから恥ずかしいったらありはしない。


「ちょ、そんな至近距離で見てくんな」


「いいじゃん。俺たち友達だし……っていうか、親友に片足突っこんだくらいなんだからさ。浸らせてよ」


「親友って……」


 本当に昔にあった言葉に俺は言葉を詰まらせる。


 前の学校に、親友がいた。だが、一番最初に裏切ったのはそいつだった。


『TSなんかにかかる男とかいらね。よければセフレになってやろうか?』


 必死で首を振って蘇ってきた言葉を振り払う。俺の様子を見て、ふわ、と浩之の大きな手が頭に乗せられ、撫でられる。


「どうした? まさか、前の学校のこと思い出しちゃった?」


「ん。うん、まあ……」


「……あのときは詳しく話してくれなかったよな。よかったら、話してくれないか。前の学校で、一体何があったのかを」


 俺は、顔を上げて浩之の顔を見る。浩之は相変わらずへにゃへにゃな表情で、でもどこか真剣に俺を見つめていた。


 親友に片足突っこんでる、か。こんな短期間なのによくそこまで言えたもんだ。


 でも、浩之がやってくれたことは本当に感謝しているし、今はまだ少し怖いが信頼もしている。浩之なら裏切らないでくれるんじゃないか、なんて淡い希望が俺の唇を動かした。


「飯食ってからな。そうじゃないと、落ち着かないだろ?」


「……わかった」


 浩之は言うことを聞いてくれて、本当にいいやつなんだと実感する。


 そうして運ばれてきた料理を俺は恐怖を払拭するためにあえて他愛ない話を振って二人で漫才じみたことをしながら飯を食い終えた。


 そう、あの日。俺は悪夢を見たんだ。





■ ■ ■ ■





 あつしという親友がいた。幼稚園からの仲良しで、親友で、俺たち二人がいればいつだって最強だった。


 それは俺がメジャーデビューの話が舞いこんでも一緒で、まるで我が事のように喜んでくれたっけ。


 それから俺たちは同じ高校に入学し、楽しく生活を送っていた。


 ままごとじみたことだったが俺と敦と数人でバンドを組んでいたから曲を考えて、文化祭の体育館で歌を披露したりしていた。


「瑛太が曲に困んないように作ってやらなきゃな。あとで俺たちも瑛太のコネでメジャーデビューだ!」


「バカ言え。プロの世界は甘くないんだぞ!」


「そういうお前だってまだプロじゃないだろ!」


「あはははは!」


 何もかもが幸福だった。母さんも優しくて毎日見送りは欠かさなかったし、父さんも一緒にご飯を食べて、家族でテレビを見て笑って過ごしていた。たったそれだけだったのに。


 事が起きたのは、俺が39度越えの熱を出したことだった。すぐさま家に帰って解熱剤を飲んだが、まったく下がらなくて、母さんに連れられて病院に行った。


 病院の先生は俺の体を見るなり、すぐに隔離病棟に移すよう指示した。


「先生! どうしてですか? 瑛太はただの風邪では……?」


「そうだといいんですけどね……。ベッド早く!」


 そうしてベッドに乗せられた俺は隔離病棟に運ばれた。そのときにはすでに全身が痛くて、粉々になってしまいそうだった。痛みのあまり暴れる俺を男の看護師さんが必死で押さえつける。


「僕、大丈夫だ! 大丈夫だから!」


「病変、起こってます! 鎮痛剤の許可を!」


 そんなことを看護師たちが言っていた気がする。俺は薬を打たれ、痛みがなくなってきたころ。体に異変を感じた。


 体がおかしい。なんだか縮んだ感じがする。胸がほんのり膨らんでいて、股間が妙にすーすーした。


「う……」


「先生! 瑛太くんが目を覚ましました!」


「そうか!」


 近くに立っていた病院の先生が俺の顔を覗きこみ、そして悔しそうな顔をした。


「……TS症候群で間違いない。お母さんをこっちに呼んでくるんだ。事前説明は、興奮させないように慎重に行ってくれ」


「……はい……」


 そこからのことは、よく覚えていない。


 怒鳴り散らす母さんと、駆けつけたレコード会社の社長さんも怒鳴り散らしていた。病院の先生と看護婦さんはひたすら謝るばっかりで、何も頭に入ってこなかった。


 俺は、女になっていた。


 帰り道は洋服屋さんで何着か適当に服を母さんが買ってきて、気付いたら家のベッドの上だった。涙まみれだったのを今でも覚えている。


 辛辣なことを言われた。レコード会社の社長さんも、母さんも。父さんは味方になろうとしてくれた。けど、お金のことで頭がいっぱいみたいで父さんは委縮してしまった。


 何日間か家にいて、女子用の制服を買い学校に行った。


 噂はすでに広まっていて、みんなゴミや汚物を見るような顔で俺を見て遠巻きにしていた。


「よう、瑛太ちゃんっ、と」


「うわっ! ……な、敦?」


 俺の座っていた椅子を蹴ったのは敦だった。中3のときからだいぶ背が伸びて、女になった俺よりはるかに身長が高い。


 俺は転びそうになったのをなんとかこらえて敦を見る。敦は完全に女を見る目になって、俺に言った。


「瑛太ちゃん、TS症候群おめでとう! ……ぷぷ。メジャーデビューなんて調子に乗ってっからそうなるんだよ!」


「え……」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。調子に乗ってる? 誰が? 俺が? そんなことない。俺は自分の実力でメジャーデビューを勝ち取ったのであって……。


「俺たち出し抜いて一人でメジャー行こうとした罰が当たったんだよ。おら、こっちに来いよ」


「なっ、あぶな……っ! やめろよ!」


 突然立ち上がらせられて、男たちが集う男子トイレに連れこまれる。そこには見慣れたバンドメンバーの顔もあった。


「おらっ、土下座しろ!」


「うっ……」


 俺は腹を蹴られた痛みでかがんだと同時に足を蹴られ、四つん這いになった。その頭を、敦が踏みつける。地面に頬骨が当たってひどく痛む。


「やめ、やめろよ! 俺、なんもしてないだろ!」


「エセ女がイキがってんじゃねえよ! おら、『敦様、今まで申し訳ありませんでした』って言え。じゃねーと……ここにいる全員でお前のこと犯して回したっていいんだぜ」


「なにを……」


 本当に何を言っているのかわからない。数日前まであんなにフレンドリーだった敦が、女になったってだけでどうしてここまでするんだ?


「はい、10数えるまでに言わなかったら犯すからな。いーち、にー……」


「わ、わかった! 言うから! 敦様、今まで申し訳ありませんでした!」

「うわ、こいつガチで言ったぞ! みんな聞いたか? 男様からメスになってちゃんと反省してますってよ」


「これからお前は俺たちの下僕だ。逆らったら犯す。わかってるよな?」


 言っている意味はまったく理解できなかったが、自分の立場を理解させられるには十分だった。


 それからだ。いじめが始まったのは。


 殴る蹴るは当たり前。根性焼きされたり、セクハラをされたり、先生の前で淫らな言葉を口にさせられたりした。


 女子は楽しんでいるようで、まったく助ける気配がなかった。いつも男子たちにいじめられている俺を見て、固まって遠巻きからくすくすと笑っているだけ。


 虫を食わされたり、小便を飲まされるなんてこともあった。バケツに水を入れて、窒息寸前までされたこともある。


 先生たちはそれを黙って見ているだけだった。そのうち俺の心は荒んでいき、敦に裏切られたというのもあって、どんどん敦に怯え、周囲を恨み、死にたいと思うようになっていった。


 だが、事が校長先生の耳に入ったとき、対応が変わった。もう定年近いおじいさんだったが、正義感が強く、俺を遠くの高校へ転校できるように計らってくれたのは校長先生だけだった。


 母さんは金がかかるとごねていたが、校長先生の必死の説得によって引っ越しを決意し、ここに来るに至ったのだ。





■ ■ ■ ■





 浩之は言葉を失っていた。失望させたかもしれない、と暗い感情が沸き起こってくる。


 すると、浩之は財布を持って突然席を立った。そしてレシートを持って戻ってくると、俺の手を優しく取る。


「立てる?」


「う、うん」


 真剣な顔をした浩之に遠慮しながら立ち上がると、浩之は俺の歩幅に合わせつつ、前を進んで店を出る。


 そのとき、白い小さなかふわふわした塊が空から降ってきた。雪だ。


「あ、雪降ってる。寒くない?」


「着こんでるから平気……わぷっ!?」


 そのとき、浩之が自分のマフラーを俺の首に優しく巻いてくれる。さっきまで人肌であたたまっていたからか、材質もいいのでふかふかであったかい。


「女の子は冷やしたらだめなんだよ。……おれさ、考えたんだ」


 往来の真ん中、迷惑そうに避けて歩く人たちの間で浩之は俺の両手を自分の両手で包みこんだ。暖かい。


「あったかい?」


「暖かいよ。けど……」


「俺と、親友になってくれないかな」


「え……」


 明らかに表情が凍る俺に対して、浩之はゆったりとした笑顔を浮かべていた。それが見れたから、俺は体の緊張がどんどん解けていくのを感じる。浩之なりに、気を使っていてくれているのだ。


 でも、このシチュエーションは……。まるで、告白だ。そういうのはもっと可愛い女の子のためにとっておけばいいのに。


「前から思ってたんだ。フィーリングが合うし、話してみれば案外素直でいいやつだし、この前の泊まりで確信した。俺は、瑛太と親友になりたいんだって」


「でも、親友は……」


 裏切られた。一度裏切られた傷は塞がらない。小さくなることはあっても、小さな傷となって永遠に血を流し続けるのだ。


 すると浩之は眉を下げて、困ったように笑う。


「俺と親友になるの、いや?」


「それは……」


 浩之はいいやつだ。間違いなく。本当は一緒になんか喜んでくれてなかった敦よりも、浩之はずっといいやつで。


 だからこそもったいない。俺という汚れた存在より、もっといい人がいるんじゃないかって。


「親友、お前いっぱいいるだろ?」


「友達はいっぱいいるよ。でも、親友はいなかった」


「嘘だろ。お前、学校の休憩時間にあんだけたくさんの人と話して……」


「そりゃ、友達だったら話すだろ? でも俺は、瑛太と親友になりたいんだ。瑛太じゃなきゃ、だめなんだ」


 だから、いちいち言葉選びが告白じみている。俺を慈しむように見つめる目が優しくて、本当に困ってしまう。


「……俺は重いぞ? 一回裏切られてるからな」


「うん」


「それにすぐお前に見切りをつけるかもしれない」


「うん」


「本当に、それでいいのか?」


 浩之は一瞬うつむいて考えたようだが、すぐに顔を上げて、いつものへにゃっとした笑顔で答えた。


「うん」


 ああ、本当にこいつはさおりも言っていたが人たらしだ。俺が本当に欲しい言葉とシチュエーションをくれる。


「マネージャー。シンガーソングライターとして命ずる」


「ん?」


「俺と、親友になれ」


「……ふふ。それ、俺の言葉なのに。瑛太は本当にずるいなあ」


 浩之は本当に嬉しそうに笑った。手をぎゅっと握って、暖かさを共有しあう。


「なあ、親友」


「なんだい、親友」


「……お正月。そっちも一緒に……出かける?」


 俺が少し顔を赤らめて言うと、浩之は少し驚いた顔をした。それからまたへにゃっと笑う。


「うん。お参り、一緒に行こう。クラスのみんなもいるかもしれないけど、なんかあったら守るから」


「……俺、お前がなんでモテないのかわからないわ」


「?」


 首をかしげる浩之の手を離す。今日は母さんに食事だけと言ってきてある。そろそろ叱られる頃合いだ。


「今日のところは帰るぞ」


「手、繋ぎたいな」


「……しょうがないやつだな」


 俺はそう言って、隣に立った浩之の手を繋ぐ。浩之は嬉しそうに笑って、俺たちは同時に一歩踏み出した。

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