第10話 救済
俺の泊まりの許可はあっさり下りた。想像通りだったが。あとは家に寄って泊まり支度をして準備は完了だ。
「お邪魔しまーす」
「おふくろー! 友達連れてきたぞー!」
玄関で靴を脱いで玄関先にあがると、小太りの浩之のお母さんが家の奥からスリッパをはいてぱたぱたと走ってくる。
「はーい! いらっしゃい! うちのバカの新しい友達なんだってね! ご飯の用意もうちょっとでできるし、うちのお父さんはいっつも遅いから先食べようね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「緊張してる? うちでは家にいるみたいにリラックスしていいからね! あ、スリッパそこにあるから。浩之、ご飯できるまでリビングでテレビでも見てて。えーっと……」
「瑛太です。ちゃんでも構いません」
呼び方を考えあぐねているらしいお母さんに、俺はできるかぎり柔和に笑顔で声をかける。
すると安心したのか、お母さんはぱあっと顔を明るくした。
「瑛太ちゃん、でいいのね。おばちゃん事情は浩之に聞いてるから。なんもない家だけど、ゆっくりしていってね。ほら浩之、ぼさっとしないでスリッパくらい出しなさい!」
「いてっ! 頭叩くことないだろ!」
「あんたがのろのろしてるからよ! おほほ、見苦しいとこ見せてごめんね。ささ、あがってあがって」
この一連の流れだけで、家族仲がいいんだというのがわかった。喧嘩やなんやらがあるみたいだが、これだけ仲がよくて死にたいと思うなんてどうかしている。
浩之の家は築何年か知らないが、少しボロい印象を受けた。少なくとも自分の家ではない。俺と同じ借家といったところだろう。
家にあがって暖房がきいたリビングに通される。
そこそこのテレビとおそらく汚れを隠すためのゆったりとした布がソファの背もたれのところにかけられており、テーブルは膝の少し上にくる木製のものだ。
ふわふわする感触のカーペットの上を歩いて、浩之は慣れた様子で部屋の奥側のソファに座った。そして手招きしてから隣をぽんぽんと叩いてくる。
「隣はさすがに恥ずかしいっていうか……」
「でも離れて座ってるとまた猫被るんだろ。大丈夫。台所とリビングは別の部屋だから普通に話す分には聞こえないよ」
「それができたら苦労しないし……。ええい、座ればいいんだろ、座れば」
どっちにしろ浩之だけの前でもう猫をかぶるとかできそうにないので仕方ない。これは俺が悪いのではなくて、浩之が悪いんだ。そうだそうだ。
俺は浩之から距離を置いて隣に座ると、浩之は苦笑いを舌。
「確かにぴったり隣に座ることはないけどさ。そんなに離れて座ることもなくないか?」
「俺たちは友達になりたてて、今日たまたまあんなことがあったから泊まりに来ただけなんだぞ。普通これくらい距離取るだろ。しかも男同士ならともかく俺は女なんだぞ」
「確かに……」
冗談ではっとした顔をした浩之の顔を見てからつんとそっぽを向く。そんな俺の様子に浩之は苦笑いを浮かべてリモコンを使ってテレビをつける。
「あ」
思わず声が出る。もうすでにゴールデンタイムに入っているからか、たまたま好きな番組がやっていた。母さんとこじれてからリビングにいることがないからもう久しく見ていない。
「ん? どうした?」
「ああ、いや。昔この番組見てたなあって。最近は見てないけど」
「瑛太これ好きなの? おれと一緒じゃん。このコンビの司会が面白いんだよなー」
画面では人気お笑いコンビが出演者をうまくいじっているところだった。久々に見るいじりが面白くて思わず笑ってしまってから、横からの視線に気付く。
「な、なんだよ。テレビ見て笑ったら悪いのかよ」
「いんや。やっぱりかわいいなあって思って」
「またそういうこと言う!」
「本当だから仕方ないんだよなあ。学校内でも美少女転入生で噂がもちきりだぞ?」
「……あんまり嬉しくねーな」
俺は男のときもイケメンと呼ばれる部類だったから容姿を褒められるのは慣れている。それでも、なんだかやっぱり美少女という公然の事実を語られても普通の女の子みたいに嬉しくなったりはしない。
反応が悪いのをなんととったのか、浩之が苦笑いを浮かべていると、リビングのドアが開いた。その手にはピンクのミトンがはめられていて、大皿に色鮮やかなパエリアがこれでもかと乗せられていた。
美味しそうな匂いと見た目に思わず唾を飲む。他人の手料理なんて、何か月ぶりだろうか。
浩之のお母さんは料理をテーブルに置くと、俺のほうを見てウィンクしてくれた。
「今日は奮発してるのよー! 苦手なものないっていうから、たまにはおしゃれな料理もいいと思ってね。おかわりあるから、たくさん食べてね! ハンバーグとかもあるから、持ってくるから待ってて」
「あ、ありがとうございます」
「もう、緊張しなくていいって言ってるのに。じゃ、ハンバーグ持ってくるから待ってて。あ、チーズ乗せる?」
「よければ……」
俺が遠慮がちに言うと、浩之のお母さんは満面の笑みを浮かべた。
「うん。遠慮しないでね。浩之は乗せるでしょ」
「もち」
「はいはい。じゃあ二分くらい待っててねー」
嵐のように現れ嵐のように去っていったお母さんを見ていると、浩之はおかしそうに笑った。
「な、なんだよ。何がおかしいんだ」
「だって、おふくろそんな怖くないのにおれに対してみたいじゃなく縮こまってるのが面白くて……あいた!」
正論なのだが、むかつくものはむかつく。俺は浩之の足をつねったのだった。
■ ■ ■ ■
それから三人でパエリアとハンバーグを食べて、風呂に入らせてもらってドライヤーで髪を乾かし、家の一番奥にある浩之の部屋に入る。すでに床には布団が敷いてあり、そこに浩之が座っていた。
「あ、おかえり」
「風呂ありがとな。さっぱりした。……お前、ベッドは?」
「客を布団に寝かせるわけにはいかないだろ。消臭剤かけておいたし、おふくろが短時間だけど布団干しておいてくれたからそんなにおれの臭いはしないと思う」
「いや、そこまでは気にしないけど……。ありがとう」
本当に嫌味のない家だな、と思う。だって母さんだったら金がかかるだけの他人のお泊りなんて客に文句を言わなければ気が済まないタイプだ。それを、暖かく歓迎してくれて。
お礼を述べた俺を見て制服じゃないラフな格好をしていた浩之は立ち上がり、下着を取って俺の肩を叩いて横を通りすぎる。
「風呂か?」
「うん。すぐあがってくるから、ベッドの寝心地でも確認しててくれ」
こちらを振り返らず片手をひらひらとさせて風呂場に向かっていく。それを見送って、俺は綺麗に整えられたベッドにもふっと座る。
十何年ものだろうが、ふかふかでいいベッドだ。俺のは折りたためるスチール製のベッドにマットを敷いているから硬い。こんないいベッドに寝られるなんて、さぞ家族に愛されているんだろう。
(……母さん)
母さんだって、昔から金にうるさかったわけではない。ごく普通の家庭だったと思うし、運動会にも授業参観にも来てくれる普通の親だったはずなのに。
歌を口ずさむ。
歌を歌って、メジャーデビューの話が舞いこんでからすべてがおかしくなった。母さんは金の亡者に、父さんはそれを見て見ぬふりをする無責任な大人になった。
じゃあ、俺は?
「……やっぱり瑛太の歌はうまいな」
びっくりして振り返ると、そこには頭をタオルでがしがしと拭く浩之の姿があった。
「聞いてたのか!? い、いつから」
「瑛太が動揺する姿を見るのは新鮮だなー。ついさっきだよ。いい声だから、ちょっとだけ黙ってた。ごめんな」
「別に……歌くらいなら、いいけど」
「よっしゃ! 風呂入ってまだ八時半といったらゲームだろ!」
「へ?」
俺は素っ頓狂な声をあげる。てっきり、今日の学校でのことを問い詰められると思っていたから。
リビングにあったものよりは小さいテレビにあらかじめ接続されていたゲーム機のホーム画面を起動する。何年か前に発売された対戦格闘ゲームの最新作を起動して、キャラクター選択画面まで進む。
「ほい、コントローラー。瑛太2Pな!」
「もう決まってんのかよ」
「おれうまいぜ。負けないかんな」
そう振り返ってにひひ、と笑う浩之を見て、なんだかこんな間抜けな笑顔を浮かべる男に負けたくないと思った。
俺はすでにキャラクターを選んでいる浩之を軽く睨みつつ、俺も強そうなキャラを選び始める。
あの世界的に大人気なキャラも参戦しているゲームで、小さいころ友達の家でやって勝ったり負けたりして楽しんだっけ。あれから10年経つとキャラがかなり増えていてびっくりする。
(こういうときは、下手に新しいキャラ使わずに昔使ったキャラ使ったほうがいいよな)
そうして俺は小さくて当たり判定が他のキャラより微妙に狭いキャラを選んだ。そして、カウントが始まり対戦が始まった。
カキーン。
「よっしゃ! おれの勝ちー!」
カキーン。
「瑛太弱いなー。これだとおれの独壇場だぞー?」
カッキーン。
「なんか……。ごめん」
「いじけてないし。たかがゲームだし。友達やめてやるし」
「あああごめんって! 本気出したおれが悪かったから許して!」
いつの間にか隣に座っていた浩之に揺さぶられる。それくらいで許してやるもんか。今度何か美味しいものでも奢ってもらわないとこれは無理だ。
つーんとそっぽを向く俺の両肩を掴んでゆさゆさとゆする浩之の顔をちらりと見る。必死に許しを請う様を見て、少しだけ心がすかっとした。
「じゃあ、明日のバイトは俺サボり気味でやるからよろしくな」
「ひでえ! いじめだあ!」
繁盛時の忙しさは身をもって知っている。いくら平日でも7時から9時までの忙しさは半端ない。
まあ、俺はまだ体験中で本採用されたわけじゃないから最初から本気でやる必要はないのだが、困っている浩之を見てみたかった。
うわああんと泣き真似をしながら体をゆすってくる浩之に内心優越感を禁じえないでいると、ふと浩之が俺の体をゆするのをやめた。
どうしたんだろうと思って浩之を見ると、いつものへにゃへにゃした表情はなくなり、数日前に見た真剣な表情になっていた。どくん、と心臓が高鳴る。
「瑛太。今日、楽しかったか?」
「あ、ああ」
「家にいるときは?」
じく、と心が痛む。浩之は核心をつこうとしている。でも散々冷たい態度をとって浩之を傷つけてきた俺が、こんな暖かな時間をもらってそれを無視することはできない。
というか、させてもらえない。この瞬間のために、浩之は家に泊まっていけと言ったのだから。誰かの前では本音を吐けない俺への配慮だろう。
「……それを聞いてどうするんだよ」
それでも、わかっているのに口から出るのは減らず口。浩之は苦々しい顔をして、願うように言った。
「頼む、教えてくれ。瑛太がどんな人生を歩んできたのか。それで、今家でどんなふうに過ごしているのか。前までだったら知らないふりをできた。でも友達になった今、知らないふりをするわけにはいかない」
こんなに必死な浩之は初めて見る。どうしてそこまでしてくれるんだろう。そればかりが脳裏をよぎっていた。
「……浩之」
「なに?」
「怒ったり、怒鳴ったり……しないか?」
その言葉に浩之は一瞬びっくりした顔をしてから、頷いた。
それから俺は、今までの人生を語った。メジャーデビューがダメになって家庭が激変したこと。前の学校でのいじめのことは触れるだけだったが、浩之は深くは聞いてはこなかった。
母さんは俺に憎悪を向けていること、父さんはそんな俺を見捨てて仕事ばかりで夜遅くに帰ってくることを話す。
乗せられていただけの手が、服を掴んでぎゅうっと握られるのを感じる。浩之は何も言わず、俺の話を全部聞いてくれた。
「……これで終わりだよ」
「本当、なのか」
「嘘ついてどうするんだよ。ただTS症候群っていう病気で人生狂った男の話ってだけだろ」
事実、それ以上でもそれ以下でもない。たった一つ、性別を変えるという病気で人生が狂った以外の何物でもないのだから。
浩之はうつむき、黙って考えこんでいた。そして顔を上げたとき、優しく抱きしめられる。
「ばっ、おま! 抱きしめたら友達やめるって……!」
「……つらかったよな」
「……え?」
つらかった。
そんな言葉、考え着いたこともない。全部俺が悪くて、全部俺がめちゃくちゃにして、全部変えてしまったのは俺なのに。
でもその言葉を聞いて、枯れ果てたと思っていた涙が頬を伝うのを感じた。
なんだこれ。おかしい。俺が、泣いている?
そんなことありえない。だって俺はいつだって悪者で、そうでなくちゃならなくて、性格の悪い俺はいつだって母さんに責められてないといけない。
「これだけは言える。瑛太は悪くない。その会社のやつらも、TSしていじめてきたやつらも、悪いけどお前のお母さんも全部悪い。だから、もう抱えこまなくていいんだよ」
「でも、俺、母さんを……」
「今は瑛太のお母さんは置いておこう。瑛太は悪くないんだ。それだけなんだよ。月並みなセリフだけど……。おれに瑛太を支えさせてほしい」
支える? 何を? 俺を?
そんなの無理だ。だって、俺がめちゃくちゃにしてしまったものはもう元には戻らない。俺はその罪を一生かけて償っていかなきゃならない。
「でも、でも……! 母さんが今苦しいのは俺のせいなんだ! 俺が生きてるからこんなことになるんだ! 俺が……!」
「だから、死ぬって言うのか?」
びくっと体が震える。
「おれだって死にたいなあなんて漠然と思ったって、前話したよな。でも、瑛太の歌に救われた。生きて、もっと瑛太の歌が聞きたいと思ったから。だから、おれを生きる理由にしてほしい。ほんの些細なことでいい。おれんちに来るとゲームができるからとか、そんなことでもいい。頼ってほしいんだ」
まっすぐな言葉が苦しい。俺を崩壊させそうで。でも、嫌な暖かさじゃない。昔母さんがくれた、暖かさに似ているから。
(瑛太、大好きよ)
「……母さん」
俺は気が付けばぽろぽろと涙を流して泣いていた。だって、浩之がくれる暖かさが優しすぎて。すべてを聞いたうえで、抱きしめてくれている。そう思うと、振り払う気になんてなれない。
ぎゅう、と少し強く抱きしめられる。
「どう? 俺に、支えさせてくれる? 瑛太の痛みも、つらさも、弱さも……。何より、心を」
こんな状況にまで追い詰められて、答えは決まっていた。
「やれるもんならやってみろ。こんちくしょー……」
それがまともに言えた最後の言葉だった。そこからは涙やら嗚咽やらで言葉にならず、浩之の背中に腕を回して泣いていた。
母さん、ごめん。俺、やっぱり幸せになりたい。
ひとしきり泣いて落ち着いてきたころ、ようやく浩之は俺を離してくれた。へにゃっとした笑顔を浮かべて、俺の体をベッドに横にさせて背中を撫でてくれる。
「今気分興奮してるからな。背中さすってるから、眠くなったら寝ていいよ」
「……うん」
今日は特別。だから、素直に頷いた。
瑛太が背中をさすってくれる手が優しい。泣き疲れた俺は、すぐにまどろみの中に入っていった。
幼いころの、優しい母さんの夢を見ながら。
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