第9話 友達ってなんだっけ

 午前中の授業を受け終わって昼休み。俺は素早くスクールバッグを持って教室を後にしようとして、手首を掴まれる。


 ああ、今日もまた失敗した。


「一人で食べようとすんなよー。一緒に食べようぜ!」


「あ、ずるーい! わたしも瑛太ちゃんと食べたい!」


「そうだぞ。最近浩之ばっか一緒に食べてるじゃんかよ。こう、クラスのみんなと親睦を深めるっていうことをだな……」


「悪いな。俺たち、友達だから」


 にへっと笑って、俺の顔を見る。俺に同意を求めるんじゃない。


「ごめん、そういうことなんだ。みんなとご飯食べるのは、浩之がいないときにね」


「おれはいつだっているぞ!」


 ええい。やかましい。


 そこで俺はぴんとひらめいた。これでもかとばかりの愛想笑いを顔に貼り付けて浩之を見る。


「浩之、友達いっぱいいるだろ? たまにはみんなとも食べたらどうだ? 浩之も友達付き合いってやつが……」


「休憩時間にみんなと話したし。それに俺が相手してない間瑛太もみんなと話してただろ? となれば当然、昼休みは飯一緒に食べるよな」


 そんな謎理論で言いきられても困る。確かに友達だから飯を一緒に食べるのは普通なんだが、一週間経ってなお一緒に食べたいっていうのはもはや恋人がすることでは?


 寒気がする。たまになら一緒に飯を食ってやってもいいが、こんなに毎日となると束縛されているようで嫌だ。


 かといって他のクラスメイトと食べるのは、気を使って飯どころじゃなくなる。だから、どこか一人で飯を食うのが一番気楽なのだ。


 浩之の言葉を聞いた女子が何か閃いた顔をした。嫌な予感がする。


「元男の子と男が二人。何も起きないわけがなく……」


「いや、何も起きないからね。そういう趣味なのは一発でわかったけど、浩之とだけはないから」


「えっ。じゃあ他のやつとならあるのか?」


「誰もそんなこと言ってない!」


 もうこの天然クラスメイトたち嫌だ。女の子としての生活にも慣れてきたし、身だしなみにも気を使うようになって一見すればただの女子なんだが、まだ俺は男だったころを引きずっている。


 それに俺は人間自体が嫌いなんだ。女の子もお断りしたいし、男なんてもっとお断りしたい。


「そういうわけだから、俺は一人でご飯を……」


「させないぞー! 休憩時間も話したいの我慢してたんだから昼休みは付き合ってもらうからな!」


「なんでそうなる!? 俺が誰と一緒に食べようがじゆ……」


 そこで猫をかぶっていたのに、俺が素になってきてぽかんとしているクラスメイトたちを見てはっとする。


 そうだった。クラスでは猫をかぶっていなければいけなかったんだ。このまま浩之のペースで話を進めていると俺が本当はクズなのがバレてしまう。


「……うだけど、浩之は友達だからな。一緒に食べよっか」


「うん! そういうわけだから、みんな散った散った! 昼休みの瑛太は俺のだから」


「その恋人みたいなムーヴやめてくれない?」


 それだけは声を大にして言った。しょぼんとしながらそれぞれのグループに分かれていくクラスメイトたちを見て、俺は小さくため息をついた。窓際の席だからできることだ。


「……言いたいことがあるから、どっかで食べよう」


「えっ!? 二人きり!? こ、心の準備が」


「ふざけてないで。屋上の踊り場なんてよさそうだな。行くぞ」


 それとなく手首を掴んでいる手を振りほどいて、俺はバッグの肩紐を肩にかけて教室を出た。背後から慌てて俺を追ってくる浩之の気配を感じながら、屋上がある五階の廊下の真ん中奥にある階段を上って踊り場に座る。


 屋上は危ないからという理由で立ち入り禁止だ。いつでも鍵がかかっている。扉のガラスからちょうど太陽の光が入ってきていて、踊り場はほんのり暖かい。


 後ろを歩いていた浩之も床に座る。床は冷たいので座った瞬間体をびくびくとさせているのが面白くて鼻を鳴らす。


「だっせ」


「こんな冷たい床に座ってるとお腹冷えちゃうだろ。女の子はお腹冷やしちゃいけないんだぞ」


「どこで知ったんだそんなの。まあいい。飯食いながら話するから」


 俺はスクールバッグの中から弁当を取り出す。それを見た浩之もコンビニで買ったらしきパンを取り出した。ピザパンか、うまそうだな。


「瑛太ってさ」


「ん?」


「いつもお弁当だよな。お母さんが作ってくれてるの?」


「お前も弁当作ってもらえてないのに俺が作ってもらえてると思ってるわけ?」


 その言葉に浩之はきょとんと不思議そうな顔をした。ああ、親が喧嘩してるだのなんだの言っても結局は平和なんじゃないか。


「自分で作ってんだよ。夜に作っておくと朝眠れるからな。母さんは弁当なんて作ってくれないよ」


「どうして?」


「理由が必要なのか?」


 そう言うと、浩之は黙りこんだ。パンを一口頬張り、何事か考えているようだ。


 それを見て、俺も自分で作った卵焼きを食べる。食材はもちろん全部自分持ちだ。前のバイトの貯金があるから、そこから食材を買っている。


 母さんはとことん俺に干渉しようとしない。メジャーデビューという大金が入ってくるチャンスと、俺を金稼ぎの道具としか見なくなったそこに愛情なんてない。


 涙はとうに枯れ果てた。心がひんやり冷たくなって、心なしか寒いせいもあるが手先足先が冷えてきたように思う。


 浩之はもう一口ピザパンを食べて、ごくんと飲み下す。そしてまっすぐ俺を見た。


「瑛太はさ」


「なんだよ」


「話を聞いてほしいのか? 聞いてほしくないのか?」


「……は?」


 自分でも恐ろしいほど冷たい声が出た。


 今度はどんなエゴを振りかざして俺をバカにするつもりだ? どんな好意を使って俺を振り向かせようとする気だ? 俺は、どんなことにもひっかからない。


「は? じゃないよ。俺と二人のとき、ちらちら家庭の話出してきたと思ったらすぐ黙っちゃうし。かといって俺が聞かないでいるとなんだか不機嫌になるし。俺は、瑛太の友達だよ。でも、はっきり言ってくれないとわからないことだってある」


 俺は心底驚いた。こいつ、そんなことを考える頭があったのかと。


 でも──。


 確かに、俺は浩之に自分の家の話をしすぎた。完全に黙っていればばれないものを、どうして浩之に小出しにして話してしまったのか。それは反省せねばなるまい。


 だからといって、俺が何を話そうが、それについて浩之がどんな反応を示したとして拒絶するのも自由なはずだ。


「別にかまってちゃんしてるわけじゃねーよ。でも、どうしてかお前にはちらっと話しちまったな。悪かった。忘れてくれ」


「はいそうですか、って言うと思ってるのか? 友達が苦しんでるっぽいのに? 確かに俺は家庭には踏みこめない。俺が何かできることなんて少ないのはわかってる。でも」


「そういうのが迷惑なんだよ!」


 つい大きい声が出てしまった。誰もいない五階の廊下に俺の声が響き渡る。


 浩之は半分残っていたピザパンを口に全部入れた。そしてもごもごとパンを咀嚼して飲みこむと、軽く、本当に軽く俺の頬を叩いた。


「なっ……!」


「ぶってごめんな。でも、こうしないと瑛太の目が覚めそうにないから。今晩、俺の家に泊まってけよ」


「おい、人の話を……!」


「聞いてるよ、ちゃんと。だからこそ俺の家に泊まっていってほしいんだ。俺は、瑛太のことがもっと知りたい。だから、俺のことも知ってほしい」


 目の前で頭を深く下げられる。それを見て、俺は混乱のさなかにあった。


 本当に何を言っているんだ? こいつは。友達だから自分のことも知ってほしいだと? それで、俺に何の得があるんだ。タダ飯ができるくらいのことしかないじゃないか。


 浩之は頭を下げ続けている。俺はそれを見て、考えた。


 友達って、なんだったっけ。こんな言い合いするような仲のことを言うんだったか。


 小さいころ。それこそ幼稚園や小学生のときはもっと気楽だった。何も考えず、ただ好きな子と遊んで帰って、ご飯を食べて寝る。そんなたあいもない関係を友達と言うのではなかったか?


 遠い昔のことを思い出す。小さいころから歌うことが好きで、幼稚園の先生の前で歌っては褒めてもらって、頭を撫でてもらって。それで友達にすごいね、上手だねって言われて嬉しかった。


 どこでこうなってしまったんだろう。


 俺は一人の人間の頭を下げさせて、それで自尊心を満足させるようなクズになり下がっていた。


 小さいころは、もっと素敵な大人になると思っていた。でも現実はズタボロの弱い自分で、母さんに逆らうことのできない無力な弱虫で、友達になった人間に頭を下げさせている最低の人間だ。


 視界が歪む。それが涙だと気付いたとき、俺は自制心をもってそれを引っこめた。


「……わかった」


 俺はうつむいて答える。浩之が頭を上げる気配がした。


「どうせうちにいても何もすることないから。一晩泊まるくらいなら家族も何も言わないだろうし」


「……よかった。断られると思ってた」


 浩之が安心したように笑う気配がする。


 だからどうして、人のためにそこまでできるんだよ。こんな俺なんかのために頭まで下げて。プライドってもんがないのか。


「俺、おふくろに電話するから。瑛太は飯食べてて」


 そう言って浩之はスラックスのポケットからスマホを取り出すと、今日俺を泊めたいということを話し始めた。


 俺は弁当を食べる気にならず、それを片づけ始めた。


 浩之が話し終わったころには予鈴が鳴っていて、俺たちは急いでスクールバッグを肩にかけて教室まで走った。


 走っている途中、浩之が俺の手を握ってくる。俺は、それを振り払わなかった。

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