第8話 友達として

 学校に行くのが憂鬱だ。


 別にクラスメイトたちがうざったいわけではない。あれから適度に距離を持ちながら接してくれるし、性格が悪いなと感じるやつが驚くほどいない。


 人間環境が変われば人も変わるというがここまでか。思えば、前の学校にいたときはいじめっ子の巣窟みたいな場所だった。


 いかんいかん。前のことを思い出してナーバスになるのはやめると決めたんだ。


 それに。俺はカーテンをちょっと開けて下を見る。そこには二階のほうを見上げて、小学生かってぐらいうきうきした表情でそこにいる浩之見てげんなりした。学校に行くのが憂鬱なのはこいつが原因だ。


 土曜日、マネージャーになったんだから連絡先交換しよう。あと危ないから家まで送っていく、と浩之は言って聞かず、結局家を特定されてしまった。


 母さんは浩之には優しくしたが、そのあとは大目玉だった。また性懲りもなく友達を作って、と叱られて、俺はわかってると返して部屋に戻った。


 友達にはなった。でもそれ以上はない。


「瑛太! 例のあの子来てるんだからさっさとご飯食べて学校行きなさい!」


 下からイライラした母さんの声が聞こえる。俺は頭を横に振って雑念を振り払った。


 これ以上母さんの機嫌を損ねないようにさっさと着替えてさっさとご飯を食べ、玄関から出るとやはり見えない尻尾をぶんぶんと振って俺を迎える。


「瑛太、おはよう! もう、瑛太の顔見たくて家まで迎えに来ちゃったよ!」


「やめろ、体は確かに女だが心まで完全に女になったわけじゃないんだからな」


「というと?」


「……はあ。わからなくていいよ」


 俺はもう慣れたスカートを揺らしながら学校に向かって歩いていく。すると浩之はぱたぱたと走ってきて隣に並ぶ。


「つれないこと言うなよー。友達兼マネージャーなんだからもっと仲良くなって、二人で天下取ろうぜ!」


「音楽業界はそんな一筋縄でいく業界じゃない。天下取りたいってんなら俺から一から学ぶんだな」


「おっ。瑛太先生! 俺に音楽業界のいろはを教えてくれ!」


 わりと素直に引き下がったな、と思って横目で浩之を見ると、にこにこと笑いながら俺をじっと見つめている。


「……なんだよ」


「いや、今日もかわいいなって思ってさ」


「か、かわいい? 俺が?」


 びっくりする。女になってからかわいいなんて言われたのは初めてだ。いつも、気持ち悪いと言われていたから。


「だって可愛いじゃん。ショートカットなのが残念だけど黒くてさらさらの髪にスレンダーな女の子憧れの体形。いっつもうちのクラスの女子にダイエットの秘訣聞かれてるじゃん」


「それはそうだけど……」


「俺、今まで女の子はちょっとふっくらした子が好きだったけど、瑛太見てからスレンダーもいいなーって思って」


 こいつ。天然の女たらしか。顔は普通だが、性格がいいからそこから繰り出される言葉は言われると嬉しい言葉をこれでもかと繰り出してくる。こいつのこと好きな女子絶対いるだろうな。


「元男の俺なんかよりもっといい子いっぱいいると思うぞ?」


「いーや、俺は瑛太じゃなきゃだめだ。だって一発で『この人と友達になりたい』って思って、それがやっと叶ったんだもん。あ、恋人とかはまだわかんないけど。友達になれてすっごく嬉しい」


「お前、もうその言葉自体が告白じみてるってわかってる?」


「えっ!? で、でも……。え、瑛太とならいい、かも……」


「やめろ、くねくねするな気持ち悪い」


 もじもじくねくねする瑛太につっこみを入れる。というか、わざわざ結構遠くから朝早くやってくるとか、どれだけ好かれてるんだか。


 気持ち悪い。そう思おうと思うのに、心のどこかが「嬉しい」と呟く。人の暖かさに触れて心がバグってしまっているらしい。


 まあ、それでも心なんて開いてやらないが。優しさをもらえるらしいが、それを受け取るか受け取らないかは俺が決める。


「だいいちさ、確かに見た目は女の子になったけど精神的にはまだ男の俺のどこがいいの?」


「え? 見た目はもちろんだけど、素直じゃないところとか、なんだかんだで気を使ってくれるところとか、好きなことに一生懸命なところとか……。うん、だいたい好き」


 にっこりと微笑まれて、俺は聞くんじゃなかったとちょっと顔を赤らめる。こんな女たらしと友達になってしまって、褒められて、優しくされて、心が傾いてしまいそうだ。


 だが、それを踏ん張る。ここで簡単にほだされてしまってはいけない。人は信じられないもの。心が凶暴に叫ぶ。ひどい言葉をぶつけて距離を拓けと。


「つまりお前は男が好きと」


「んなっ!? さ、さすがに男はそういう意味では好きじゃないよ」


「でも、俺は元男だぞ?」


「ぐぬぬ……。それはー……。うーん」


 珍しく真面目に考えてる浩之を見て内心ほくそ笑む。


 そうだ、悩め。悩んで、だんだんこんな嫌なことを言う俺を嫌いになればいい。そうすれば俺は一人に戻れるし、心を閉ざして生きていかなきゃいけないのを思い出せる。


 うーん、と浩之は考えあぐねたあげく。やっぱり優しい笑顔を浮かべてけらけらと笑う。


「確かに元男だからそういう意味では好きにならないかもしれないな。だけど、俺たちは友達だし、俺は友達としては瑛太のことが大好きだ。だから、それでいいんじゃないかな」

「うぐ……」


 性格のよさパンチで返されて、俺はぐうの音も出なくなる。性格がよすぎる。どうすれば俺のことを嫌いになるんだ? 


 考えこむ俺の頭に、手が乗せられる。


 顔を上げると、そこにはにっかりとした浩之の明るい笑顔があって、ああ、眩しい、と無意識に思う。


「瑛太は俺に心を開いてくれてないけどさ」


「わかってたのか?」


「だって瑛太わかりやすいもん。俺のこと友達だって言いつつなんか考えてるらしいのもわかってる。だけどさ、瑛太。俺は瑛太のこと、すっごく大事に思ってるから。大丈夫だよ」


 そう言って頭を優しく撫でられる。


 振りほどかなければ。それでも、振りほどけない。この暖かさを失いたくないと、そう思ってしまったから。


「早く学校行こうぜ。瑛太と話してるの楽しいけど、遅刻したら意味ないからな。走るぞ!」


「えっ、はっ? ちょっと待てよ!」


「勝ったほうがジュース奢りな!」


「しかも賭け事あり!?」


 俺はどんどん先をいって遠くで足踏みしながら待っている浩之のところまで全力で走る。なんでこんな青春みたいなことしなきゃならないんだ。昭和じゃないんだぞ、今は令和だ。時代錯誤もはなはだしい。


 結局賭け事に負けて、結局ジュースを奢った。おいしそうにジュースを飲む浩之を恨めしく思いながら、喉を潤すために俺もジュースをあおった。

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